物語No.2『必然の遭遇』

「「ーー起きて、起きて、起きて」」


 聞き覚えのある二人の呼び掛けで、俺は静かに目を覚ました。

 案の定、声の主はあの二人だった。


愛六めろ三世みぜか……。良かった、また会えて」


 地にうなだれたままで、俺は必死に叫んでいる二人を見ていた。

 目覚めて、声を出して、俺は生きていると実感した。


「琉球、生きていたんだね」


 二人は俺が生きていると分かり、安堵する。


「心配かけた。すまなかったな」


 二人が心配してくれたことが嬉しかった。

 生きていて良かったと、心から思う。


 しばらくして、起き上がれるまで回復した。鉄球のように重かった身体も、今ではすっかり軽くなっていた。

 周囲を見渡し、見覚えのない景色に当惑した。


 半径三百メートルほどの小規模な湖、中心には小さな島があり、そこに三十メートルほどの木が一本生えている。

 木には桜が咲いていて、花びらが燦々と舞っている。暗闇に包まれた夜に、花びらは異様に光り湖全体を照らす。

 その木の下で、俺はこの場所に初めて来たはずなのに知っているような、まるでデジャブを体感していた。


「なあ、ここは?」


「分からない。琉球を助けようと海に潜ったら、急に光り出して、それで気付いたらここにいた」


 海が光る……?

 そういえば海で出会ったあの女性は一体誰だったんだろう。

 神様だったのか、それともただの人だったのか。

 俺がこうして生きているのは彼女のおかげなのだろうか。


 海で体験した不思議な出来事は夢だったのではないか、と疑いを覚えるほど神秘的だった。

 だがあれは確かに俺がこの目で見て、遭遇した。

 夢ではないはずだ、その確信は確かにあった。


「あの光を見たのか。なら俺以外に誰かに海にいなかったか?」


「いなかったと思うよ」


 三世と愛六は顔を見合わせ、首を傾げた。

 どうやらあの女性を見たのは俺だけみたいだ。


 もどかしさを覚えながら、今すべきことに意識を傾ける。


 俺たちは今、修学旅行中のはずだった。

 豪華客船で湖を一周し、そのままホテルへ向かう。だが俺が海に落ち、二人が俺を助けようと海に潜った。

 気付けばあの湖の簡易版のような場所に流れ着いた、ということだ。


 ホテルに戻ることが最優先だ。


「ここから帰る方法を探そう。今は夜だし、朝になってから海を渡ろう」


「でも帰れるかな?」


「ああ。この湖に流れてくる川が一本だけある。俺たちは恐らくあそこから流れてきた。あの川を辿ればもといた場所に戻れるはずだ」


 問題は川がどれだけ長いのか、だ。

 それにこの場所、ずっと背筋を震わすような視線を向けられている気がする。

 もし猛獣が放し飼いでもされていたら、なんて突拍子もないことを考えて、一人で苦笑する。


「今は朝まで待とう」


「うん、琉球がそう言うなら……」


 俺たちは朝を待つことにした。

 朝を迎えれば、きっとあの場所に戻れると、そう思っていた。


 ーーだが、世界は、異世界は気まぐれだ。それは無慈悲に牙を剥く。


 突如、湖の中から歯ぎしりのような音がした。

 幻聴であれば良かったと、今ほど思うことはない。


 水面が動き、は現れた。


「皆、起きろ」


 眠りにつく二人を起こし、目の前の光景に愕然とする。

 二人は寝起きにも関わらず目を見開き、に目を疑った。


 まず、それは人ではない。

 異形の身体を持ち、人ならざる姿をしている。

 渦を巻いた巨大な何かが湖から隆起し、前方に立ち塞がった。渦の中からは赤い眼光が見える。きっと渦潮の中に本体があるのだろう。

 大きさは五十メートルを越え、島を軽々と飲み込んでしまうほどだった。


「何だよこれ……」


 ありえない。

 お伽噺に迷い込んだみたいだ。

 恐怖で手足が震える。

 二人も同じように、声も出ず、怪物を見て固まっていた。


 渦の中の怪物は、確かに俺たちを見て笑ってた。

 ぼんやりと見える口は大きく開かれる、俺たちを飲み込もうとしている。


 飲み込まれる。

 また俺は、死ぬ?


 同じように、俺はもう一度湖の中で死ぬのか。

 救われた命だ。

 この命は、あの女性が、この二人が紡いだ命だ。

 ここで死ねば俺は何のために生に執着した。

 ここで死ぬために、ここであいつの餌になるために、俺は生き残ったのかーー否定する。


 俺は、生きたい。

 心の奥で何かが弾けた。

 爆発するように、急激に身体が熱くなる。

 燃えるように、身体は、立て、と叫んでいた。


 目頭が熱くなる。

 指先が、足が、心が、まだ生きろと、叫んでいた。


 業火の中にいるように、身体は熱く煮えたぎっている。

 心が燃え、身体が燃え、立ち上がろうと足を踏み出した。

 自分でも何をしているか、理解できない。

 分からなくて良い、感情が、身体が勝手に動くから。


「琉球、何をするつもりなの?」


 分からない。

 分からなくて良い。


 何もしないで死ぬくらいなら、最後まで足掻いて、生きてやる。

 俺は木へ歩み寄り、芽が咲き始めたばかりの枝に手をかける。


「ごめんなさい」


 枝を折る。

 折れ目は乱雑に尖っている。


「無謀だ、そんなこと」

「行かないで。あなたが死んじゃう」


 二人は涙ながらに訴える。

 でも、止まらないんだ。

 身体の熱が収まらなくて、なにもしなければ張り裂けそうなんだ。


「三世、愛六、俺を助けてくれてありがとう。だから今度は俺の番。俺が二人を助ける番だ」


 進め。進め。進め。

 俺は渦の中に飛び込んだ。

 たちまち身体の制御がきかず、渦の中で振り回される。


 ーーだが知っている。


 渦は下半身から上半身に向かって流れていく。

 渦の流れは滑り台程度の速度。

 なら、必死に渦の中にあるお前の鱗に包まれた本体にしがみつきながら上半身に向かえば、自ずとお前のに来れる。


 渦の流れに身を任せ、上半身へ向かう。


 失いたくない。死なせたくない。

 だから俺は、お前を倒して生き残る。


 気付けば顔の部分まで迫っていた。

 もう少し、もう少しでお前の眼まで行ける。

 あと少し、あと少しでお前の眼だ。


 眼前に来る直前、大きな口が俺の前にあった。

 赤い眼光は俺を見て、また笑った。

 口は閉じられ、左腕が噛み砕かれる。


「ぐああああああああああああああああああ」


 血が渦を漂う。

 左腕の痛みが伝播し、全身に駆け巡る。

 力が抜け、本体にしがみつく力さえ失われつつある。


 まずい、死ぬ。


 本体から手が離れた。

 そのまま渦の外へ放り出される。だが、わずかな力を振り絞って手を伸ばす。


「まだあああああ、死ねないんだあああああああ」


 口を飛び越え、真上の目に流れに逆らいながら進んでいく。

 痛みが身体中を走る。それでも、全身に走る熱が身体を動かしていく。

 片腕で必死に鱗に掴まりながら、眼までたどり着いた。


「終わりだ。モンスター」


 右腕で木の枝を赤く輝く眼光に突き刺す。

 怪物は笑わなかった。


「があああああああああああああああ」


 叫び声をあげていた。

 俺はとうとう脱力し、渦に流され、宙に投げ出された。

 五十メートルの高さから水面に叩きつけられる。

 全身が悲鳴を上げた。


 今度こそ死ぬのか。

 だが、またしても俺は一命を取り留めるようだ。

 愛六と三世が水中まで俺を迎えに来た。二人に抱えられ、再び桜の木の下に戻ってきた。


「無茶しすぎだよ」


「だが、左腕一本の対価だけであいつの眼を潰せたんだ」


「でも……」


 怪物は叫び続けたままだ。

 しかし、突如湖全体は渦を巻き、渦の震動で島は激しく揺れ始めた。


「まずい。このままじゃ湖に投げ出される」


 もう手立てがない。

 ここから生き残る術は使いきった。




 彼は最後まで戦った。

 彼は最後まで生きようとした。



 ーーだから、彼女アマレイズは彼を選んだのだ。



 暴れる怪物の頭部に、一本の槍が突き刺さる。

 怪物はたちまち絶命し、大きな波を立てて湖の中に沈んでいった。


 槍を放った者は、三人の頭上から姿を現した。

 色を失ったような真っ白な髪、色を塗り忘れたような純白の瞳を持った少年。


「ボクは君たちを待っていた」


 槍は少年のもとに宙を泳いで戻ってくる。

 槍を掴み、地に突き刺して少年は言った。


「ボクの名前は暦。君たちをへ導いた使者さ」

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