1-53 旅程の終わり

「皆様、大変お疲れ様でした。名残惜しい限りですが、長い旅も本日で終了となります」

 森の中に集められた旅行者たちを前に、栖原は大袈裟な身振りで語りかける。

「お忘れ物はございせんか? 後日郵送で送ってもらうわけにもいきませんので、お手荷物の最終確認をお願いいたします。また、この世界から元の世界への物品のお持ち込みはできませんのでご注意ください。お持ちの物については次回以降まで当店で保管、物によってはこちらの判断で破棄させていただきますのでご了承くださいませ」

「……フン。相変わらずまどろっこしい奴だ」

 くどくどと注意事項を述べるのに対し、ゴンダが腕を組んで眉間に皺を寄せながら不快そうに呟く。

「では、出発は三十分後となりますので、もうしばらくこの場所でお待ちください」

 諸々の説明を終えると、栖原はそう言い残して姿を消した。

 旅行者たちは各々が荷物を整理したり、食事をしたりと、思い思いの時間を過ごし始める。全員に共通していたのは、みなどこか疲労感と旅の余情に浸っており、それでいてどことなく解放されたような表情をしていた。

 僕はそんな集団から少し離れ、消えていった栖原の後を追った。

「おや、どうされましたか?」

 近づく僕に気付いて栖原はこちらを振り返る。

「一つ聞きたいことがあったんだ」

「なんでしょう?」

 先ほどまでと変わらない調子でわざとらしい笑みを浮かべていた。きっと僕が言おうとしていることが何かをわかっているのに、あえて知らない素振りをしているように感じた。

「何故ずっと正体を隠していたんですか? 栖原さん、いや、フェルと呼んだ方がいいか」

 その証拠に、僕の質問に対して、彼は眉一つ動かさない。

「ずっと漠然とした違和感があった。神出鬼没でつかず離れずの距離感を保ちながら行動していて、まるで僕たちを少し離れて見守っているようだなと。それでいて、どうしようもなくなったときにだけ、すっと現れて手助けをしてくれる。最初の黒龍に始まって、脱獄、クロウジアの件も、都合よくフェルが解決してくれた」

 今にして思えば、すごく不自然に思えてしまう。僕たちが安全に楽しく旅をして、心残りのないようにお膳立てをされているみたいだった。自分たちの旅をしてきたはずが、歩いてきた道のりを振り返ってみると、妙に舗装された道に見えた。

「ところどころ違和感のある言動はありました。一つ一つは気にするほどのことではなかったれど、あなたがフェルだという仮説をもとに考えれば、納得できることばかりだった」

 そのことに気付いたのは、クロウジアでフェルと別れたあとだった。彼の別れの挨拶に既視感を覚えて、これまでの出来事を思い返しているうちに、この結論に辿り着いた。

「お見事ですね。おっしゃる通り、私は行商人フェルとして、あなたたちと同行しておりました」

 目を離したつもりはなかったが、いつの間にか目の前にいた栖原がフェルと入れ替わっていた。そして彼はその姿のまま、依然として掴みどころのない態度で淡々と自白を始める。

「私たちの仕事は旅行の安全を守ることですから、時にはお客様に帯同してサポートをさせていただいております」

「だったら、初めから正体を明かして手伝ってくれればよかったじゃないですか」

 その方が色々スムーズに進んだろうし、もしかしたらあんなに危険な目に遭わずとも、もっと簡単に問題を解決できたんじゃないだろうか。

「とんでもない。私はあくまでも旅の部外者ですから。ずけずけと土足でお客様の旅路に割り込むような無粋な真似はいたしません」

 どうやらそれが栖原なりのポリシーということらしい。理屈はわかるが、それにしてももう少しわかりやすく助けてくれてもよかったような気がする。

 とりあえずフェルの正体も含めておおむね予想は当たっていたようだ。謎が解けて少しすっきりした気分になるが、ここで終わりではない。重要なのはここからだ。

「栖原さんにお願いがあるんです」

「ほう?」

 ようやく僕は本題を切り出す。まばたきの瞬間にフェルはまた栖原の姿に戻っていた。

「ミレナとオサムをあっちの世界に連れていってくれませんか?」

「……なるほど」

 一言だけ呟いて頷く栖原は、やはり表情から考えを読み取ることができない。反応を見ただけでは、僕の頼み事を予想していたのかどうかもわからなかった。

 しかし、この際全部お見通しでも構わない。彼が何を僕に求めているのかわからないが、利用されるならそれでもよかった。とにかく今はミレナたちの助けになれればそれでいい。

「理由をお聞きしてもよろしいですか?」

 顎に手を当てて考えるような素振りを見せたあと、そう質問を返してきた。どうやら交渉の余地はあるようだ。そのことに僕は少し安堵する。

「二人は危ない状況に置かれていると思うんです。母親が殺された理由もわからない以上、もしかしたら彼らも同じ相手に狙われる恐れがある」

 ミレナが言っていたようにクロウジアに行くことも悪くない案だが、すでにジルヴェを通して敵に情報が流れているかもしれない。そういう意味ではあそこもあまり安全とは言えなかった。

 それに住処は見つかったとしても、子ども二人では暮らしていくのも大変なはずだ。魔法を使うことができるミレナなら稼ぐ方法もあるだろうが、それでも二人だけで生きていくのは健全とは言えない。

「だったらいっそこっちの世界に来てしまえばいい。元々二人とも半分はあっちの世界の血が流れているし、ミレナは何度か来たことがあると言っていたので、慣れてしまえばそんなに問題はないんじゃないかと。少なくとも命が狙われる危険性はないし、この世界よりは生きていくのも難しくないですから」

 向こうの世界でだったら、色々と僕やカジも手助けできるかもしれない。

「それで、ミレナは栖原さんの元で働かせてあげてほしいんです。そうすれば頻繁にこっちの世界で戻ってくることもできるし、きっと情報収集なんかも向こうの世界にいるよりやりやすいはず」

 ミレナの本当の目的を応援するべきかどうかはわからなかったが、少なくとも「父を探す」ということについては手伝ってあげたいと思った。

 旅行をガイドするということは、この世界をあちこち飛び回るということになる。その中で得られる情報は多いだろうし、仕事のついでに父の失踪や母の死について探ることはできるはずだ。

「それはまたずいぶんと一方的な頼み事ですね」

 当然栖原は僕の話に難色を示した。それはそうだ。この話は彼に何のメリットもない。ただし、全く無関係というわけでもなかった。

「確かにその通りだと思います。でも、そもそもミレナとオサムの存在自体、栖原さんに責任の一端があるんじゃないですか?」

 ミレナの母・玲子は異世界旅行がきっかけでミノルと出会い、ミレナとオサムという子どもをもうけた。そんな世界の存在をまたいだ子どもは普通に考えればタブーなはず。認めてしまえば世界間のバランスが崩れてしまいかねない。

 そんなイレギュラーな存在を許してしまったのは、玲子をこの世界に連れてきた栖原の監督不行き届きが原因に他ならない。だから彼自身もミレナとオサムの監視をしたいのではないかと考えた。

「……わかりました。そのご依頼承りましょう」

 どんな反論が返ってくるかと身構えていたが、栖原は意外にすんなり僕の要求を呑んでくれた。確かに彼の責任を指摘はしたが、ほとんど言いがかりに近いものだ。それだけで彼がこんな面倒事を引き受けてくれるとは予想外だった。

「……いいんですか?」

「ええ。世界間の移動はもちろん、向こうへ行ったあとの細かい調整も私がやっておきましょう。戸籍などがないと色々と不便ですし、住む家も用意しなくてはなりませんね。お二人は年齢的にも学校へ通う必要もありますから、その辺りの手配も確認しておきます。ミレナさんのお父様の件については、私もできる限り協力させていただきます」

 まさに至れり尽くせりだった。あまりに慣れた対応で、まるで過去にも同じことをしたことがあるような口ぶりだ。

 しかし、まさか何の条件もなしに、善意で頼みを聞き入れてくれたとは思えなかった。そして案の定、栖原は僕に交換条件を持ち出してくる。

「その代わり、浮村さんにも『異世界旅行代理店』の仕事を手伝っていただきたい」

「僕に、ですか……?」

 思いがけない条件を提示され、露骨に困惑した表情を見せてしまった。

「ちょうど人手不足で困っていたところでしてね。最初にいらしたとき、バイトをしたいとおっしゃってましたよね?」

「まあ、そうですけど……」

 あのときは事情もわからず、何となく気になって入っただけで、異世界旅行という実態を知った今ではだいぶ話が違う。

 とはいえ、僕からしてみればこれ以上ない好条件だった。自分の要望を聞き入れてもらい、職まで提供してもらえるのだから断る理由がない。

 何よりも、栖原の仕事を手伝うということは、まだこの異世界と関わりを持てるということだった。

「……それじゃあ、お願いします」

 不安が残る部分はあったが、栖原と腹の探り合いをしても勝てる気がしない。ここは素直にこれを彼の厚意と受け取って、提案に乗っておくことにした。もし何か問題が出てきたら、そのときにまた考えればいいだろう。

「では、決まりですね。ミレナさんとオサムさんは後ほど私が責任を持って向こうの世界に送り届けておきます」

 ひとまず交渉が上手くいって、肩の荷が下りた。どっと疲れが襲ってきて、安堵の溜め息が漏れる。

 気付けばすでに帰る時間が近づいていた。すでに他の旅行者たちは広場の方に集まっていることだろう。栖原は時計を確認して、そろそろ戻りましょうかと言って、先導するように歩き出す。

「もしかして、栖原さんは僕を試そうとしていたんじゃないですか?」

 ふと頭に浮かんだ疑問を投げかける。

「……まさか、買い被りすぎですよ」

 その質問に対し、栖原はこちらを振り返らずに答える。今まで掴みどころのない会話が続いていたが、ここで初めて答えをはぐらかすようなことを言った。

 ――まさか全部あの人が仕組んでいたんじゃ……?

 そんなことを考えてしまうが、流石にあり得ないとかぶりを振る。

 先を行く栖原の背中を追いかけて、僕も他の旅行者たちの待つ広場へと向かった。あのわざとらしい笑顔すらも見えない彼の後ろ姿がどことなく不気味に見えてしまったのは、きっと僕の考えすぎだろう。

「おーい、何してんだよ!」

 先に広場にいたカジが僕を見つけて手を振ってきた。少し間の抜けたその顔を見て、安心感を覚えてしまったのは内緒にしておこう。

「帰ろう」

 兎にも角にも、こうしてようやく僕たちの長い旅程が終了したのだった。

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