1-41 VSチャブレ
無事に牢を脱出したカジと囚われていた十二人は、階段を上がり地上へと辿り着いた。
ろくな食事も与えられず、数週間もの間あの牢の中に囚われていたため、歩くのもやっとなほど体力を奪われていた。外に出られるという希望によって何とか気力を保てているものの、いつ誰が倒れてもおかしくない状況だった。
「もう少しの辛抱だ」
とりあえずミレナと合流できれば、治癒魔法で多少の体力回復は叶うはずだった。そこまでは何とか自分の足で歩いてもらうしかない。
出口から顔を出し、周辺に敵がいないことを確認する。すると、目の前で待ち伏せていた男と真っ直ぐ目が合ってしまう。
「おうおうおう。ずいぶん大所帯で逃げようとしてくれてるじゃないねえのよぉ……」
「チャブレ……」
待ちくたびれたというように大きなあくびをしながら、カジたちの方へと近づいてくる。半開きの寝ぼけ眼ではあったが、その奥に潜む只者ではない雰囲気に、ぎゅっと武器の柄を握り直す。
「犯人は現場に戻ってくる、なんて言うけどよぉ、まさか脱獄犯にも有効だったとはなぁ」
「二回も脱獄させてくれるガバガバ警備のおかげだよ」
「ケッ。言ってくれるねぇ……。お前さん、あとの二人はどうしたよぉ?」
「さあな。知りたかったら、力づくで吐かせてみな!」
相手の出方を窺うよりも、先手必勝。カジは勢いよく飛び出し、一直線にチャブレに向かって突撃する。
「さっきはずいぶんとやってくれたよなあ!」
加速の勢いを使って、そのまま全体重を攻撃へと変換する。牢で殴られたことを思い出しながら、チャブレの頭をめがけて思い切り斧を振り下ろした。
当たればそのまま身体が真っ二つに割かれてもおかしくないような威力のはずだった。しかし、彼の斧は地面まで到達せず、四十五度の位置でぴたりと止まっていた。
「悪くないねぇ……」
チャブレはカジの斧を拳一つで受け止めていた。そして、まるで取りついてきた虫を払いのけるかのように、軽く腕を振ってカジを身体ごと吹き飛ばす。
「なんて力だ……」
力の乗った攻撃を真正面から受け止められたのは初めてだった。どうやら決着を急いだのは早計だったらしい。カジが想像していた以上に、チャブレは実力者であった。純粋に力負けしたことに驚きつつ、すぐに次の一手を考える。
今の一撃でわかったのは、チャブレの尋常ではないパワーだった。あの攻撃を簡単に受け止められてしまうのであれば、真っ向勝負でぶつかっていっても勝ち目はない。隙を作って、相手に防御させないよう攻撃を当てるしかないだろう・
チャブレは飛び道具らしきものを取り出す様子はなかった。拳に着けた金属の入ったグローブが彼の武器のようだった。パワータイプの近接戦闘スタイル。おそらく魔法もないはずだ。
「相性は悪くないみたいだな」
カジも基本的には斧を使った近接戦闘を得意としている。そのため遠距離攻撃のある相手は苦手だったので、チャブレはむしろやりやすいタイプだと言えた。
「なんだぁ? 来ないならこっちから行くぜぇ!」
距離を保った均衡状態に痺れを切らし、今度はチャブレがカジの顔面めがけて拳を振り下ろす。後ろに飛んで何とか回避するが、行き場を失った拳がそのまま地面を貫き、爆風のような衝撃がカジの身体を押しのける。
「まだまだぁ!」
体勢を立て直そうとするカジに、再びチャブレの拳が襲いかかる。そうして畳みかけるように、チャブレの猛攻が続き、カジはそれを避けるので精一杯だった。
「おらぁ!」
拳が地面を砕いた勢いで小石が跳ね、カジの顔にぶつかった。そして彼が一瞬だけ目を閉じた隙をつき、チャブレの拳が胴体を直撃する。
「どうしたぁ? もう終わりってことはねぇよなぁ」
カジは脇腹を押さえながら辛うじて立ち上がる。骨と内臓に大きなダメージがあり、痛みで意識が朦朧としていた。
「そういえばなぁ、俺には優秀な部下が一人いるんだ。毒殺が得意な趣味の悪い奴でねぇ」
「なんだよ、急に。こっちは別に二対一でも構わねえぜ」
「苦しそうな顔で強がるなって。それに奴はここにはいねぇんだなぁ。ちょうどさっき裏門の方に向かわせたんだわ。何となくそっちの方が臭ぇ気がしてよぉ」
「チッ」
どうやらチャブレは想像以上に頭の切れる男だった。この混乱した状況下で、自身は牢を守り、部下には唯一の出入り口である裏門へと向かわせていた。偶然とはいえ、その両方が見事に当たったわけで、その勘の良さはかなり厄介だった。
――ちんたらしてる暇はなさそうだな。
こうしてチャブレに手間取っているうちに、いつ増援が来るともわからない。裏門の方にも早く向かわないと、最悪のパターンも考えられる。
「よっしゃ。そろそろ本気で行かせてもらうぜ」
足元に力を入れて体勢を低くし、斧を持った両手をぐっと強く握り込む。
「ハッ! やれるもんならやってみなぁ!」
思い切り地面を蹴り、真っ直ぐにチャブレに向かって飛び出した。
「おいおい、馬鹿の一つ覚えじゃねぇかよぉ」
呆れたように溜め息を吐き、チャブレは振り下ろされた斧を先ほどと同じように拳で受け止めた。
「なっ……」
完全に攻撃を防いだはずが、何故か激しい激痛がチャブレを襲った。慌てて彼は視線を動かして状況を確認しようとする。
確かにチャブレの拳はカジの斧を受け止めていた。しかし、一本の斧だったそれが、いつの間にか竹を割ったように縦二つに分かれていた。そして受け止められた一本とは別に、カジの左手に持ったもう一本が脇腹に深々と突き刺さっていた。
「言ってなかったけど、俺二刀流なんだわ」
カジの持つ斧『蟷螂』は一見すると、何の変哲もない両刃斧に見える。ところが、実際は二つの斧が合わさる形で両刃を形成しており、二本に分離して使うことが可能だった。彼はその両刃一本と片刃二本を状況に応じて使い分けていた。
「小癪なぁ!」
刺さった斧を振り払うように、身体ごと拳を振り回す。
「おっと」
受けた傷は大きく、チャブレはすっかり動きのキレを失っていた。緩慢になった攻撃にカジは余裕をもって回避する。
「やってくれるじゃねぇよぉ……」
血が噴き出る傷口を押さえながら、怒りに満ちたまなざしをカジに向ける。
「今ので倒れてくれりゃ楽だったんだが」
確実にダメージを与えられていたが、致命傷にはまだ少し足りていなかった。
お互い満身創痍の中、先に動いたのはチャブレだった。
「俺もお前に言ってなかったことがある」
突然チャブレは近くにあった岩に向かって全力で拳を放ち、砕け散った破片の一つを手に持つ。
「実は遠距離攻撃も得意なんだよなぁ!」
そう言って岩片が投擲された瞬間、カジはわずかに遅れてチャブレの意図に気付く。岩片はカジの方ではなく、まるで見当違いな方向へと飛ばされていた。
「まずい……!」
その先には地下牢の入り口、つまり、囚われていた十二人が残っていた。慌てて視線をそちらに移すと、何人かが様子を窺おうとして顔をのぞかせてしまっていた。
「おじさん!」
庇うようにして飛んでいく岩片の進路に入り、カジの背にそれが直撃した。辛うじて方向を逸らすことには成功し、何もないところに土煙を立てて落下した。
「これで終わりだなぁ!」
今度は倒れているカジをめがけて、先ほどよりも一回り大きい岩片を振りかぶる。
しかし、その投げ飛ばそうとした体勢のままチャブレの動きが止まった。そして数秒間の制止のあと、岩片の重みに耐えかねてひしゃげるように倒れ込んだ。
「奇遇だね。俺も遠距離攻撃は得意なんだ」
うつ伏せで動かなくなったチャブレの背には、『蟷螂』の一片が深々と突き刺さっていた。
岩片を地下牢の方へと投げる瞬間、チャブレの意識がそちらに向いた隙をついて、カジは『蟷螂』の片方を投げ放っていた。ちょうどブーメランのように弧を描き、ちょうど戻ってくるところでチャブレの背に当たる向きで。
「おじさん、大丈夫!?」
隠れていた姉弟が傷だらけで倒れるカジの元に駆け寄ってきた。他の十人も遠巻きに心配そうな目でこちらを見つめている。
「俺はまだ三十二歳だぞ……」
そう言って目を瞑ると、カジはそのままぷつりと意識を失った。
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