1-34 相浦実玲奈について③
ミノルの開発した転移魔法はほとんど完璧と言っていいものだった。
古い魔導書に書かれた方法では、実世界では魔力を使えないため、再度戻ってくるためには、異世界側から転移魔法を使って相手を呼び出す必要があった。しかし、世界をまたいで対象物を設定するのが非常に困難であり、そもそも莫大な魔力消費を要する転移魔法を使えるのはレイコしかいない。
そこで彼は両世界をつなぐゲートを開放したままにしておくことで、世界間の往復を可能にした。ゲートを維持するためにより大量の魔力が必要にはなるが、このゲートを使えば術者本人だけでなく、他の人間や物品も自由に行き来することができる。
その転移魔法によって、レイコは娘を連れて、ミノルの元へやってきた。
レイコとミノル、そして娘のミレナは、三人で幸せな生活を送っていた。
レイコは日々目にする自然の風景を絵に描いて、それを街の画廊に置いてもらっていた。時折、画廊の主人を経由して肖像画の依頼を受けたり、個人のオーダーに合わせた絵を描くこともした。
ミノルは相変わらず辺境の地で細々と魔法研究に勤しんだ。革新的なアイデアを打ち出してはいたが、学会にも参加せずに一人黙々と研究をする彼は周囲に理解されず、なかなか研究が日の目を浴びることはなかった。
二人の稼ぎは決して大きなものではなかったが、家族が質素に暮らせる程度の額は得ることができていた。
数年経って、ミレナには弟が生まれた。新しい家族が増えたことを全員で喜んだ。
ミレナとオサムは愛情に満たされすくすく成長し、四人の幸せは日に日に増していった。
そんな幸せが崩壊したのが、ミレナがちょうど十六歳の誕生日を迎えた、ほんの数か月前の出来事だった。
「二人ともここに隠れてて。私がいいって言うまで出ちゃダメ」
返事をする間もなく箪笥の奥に押し込まれ、そのまま扉を閉められて真っ暗な中に閉じ込められた。
「どうしたんだろう……」
母の慌てた様子から、何か尋常でないことが起こっているのはわかった。しかし、それが何なのかも、数か月前に父が学会に出かけたまま帰ってこないことと関係があるのかもわからなかった。
「大丈夫ですよ。何かあっても姉さんは僕が守ります」
不安を顔に出してしまっていたせいで、弟に心配されてそんなことを言われてしまう。姉失格だと思いながら、心強い弟の小さな手を握って、ありがとうと口にする。
とにかく状況を確認しようと、扉の隙間から外の様子を覗いてみる。どうやら扉に母の結界魔法がかけられていて、開くことはできないようになっていた。何とか目を細めてわずかな隙間を覗いてみると、母と誰かがやり取りしている姿が見えた。
「……は関係ない……!」
話し声は扉のせいでくぐもってしまい、上手く聞き取ることができなかった。しかし、母の語気が荒いことから、何か言い合いになっているらしいことがわかる。
「……ッ!」
悲鳴のような母の声が聞こえたかと思うと、そのまま母がゆっくりと倒れていくのが見えた。そして床に突っ伏した母の身体から、赤い液体が地面に染み渡っていく。
「お母さん!?」
慌てて母に駆け寄ろうとするが、思い切り身体をぶつけても扉はびくともしない。どんなにもがいでみても、扉の隙間から母の胴体が見えるだけだった。
「姉さん、どうしたの?」
急に様子がおかしくなった姉をオサムが心配して声をかける。しかし、ミレナはそれに答える余裕もなく、とにかく今は扉をこじ開けることに集中していた。
全身から魔力を練り上げ、それを一点に集中していく。出し惜しみもなく、この一撃に自分の力をすべて注ぎ込む。
そして、魔力でできた氷の塊を思い切り目の前の扉にぶつけた。
「クソッ! どうして……!」
ミレナの全力の攻撃を受けてもなお、扉はピクリとも動いていなかった。本来ならば箪笥ごと吹き飛んでもいい威力のはずだというのに。
皮肉にも母が二人を守るためにかけた結界魔法が、母との間の強固な壁として立ちはだかっていた。
「お母さん、起きてよ!」
ミレナは動かなくなった母に向かって必死に叫ぶ。しかし、その声も外には全く届いていなかった。
何者かの足が母の身体を蹴り上げる。まるで物のように生気を失った身体が転がり、ちょうど隙間から見える位置に母の顔が覗いた。その顔は苦痛に歪んでいたが、ミレナと目が合うと途端ににっこりと彼女に微笑みかけた。
「ごめんね」
辛うじて聞こえるほど小さくかすれた声でつぶやく。
「生きて、自由に……」
それから数時間が経過して、ようやく扉が開いた。それはつまり母が力尽きて魔法が解けたということを意味していた。
ずっと閉じ込められていたミレナとオサムは、そのまま箪笥の外に放り出される。床に手をつくと、固まった血液がわずかに手のひらを汚した。すっかり冷えた床の温度が時間の経過を物語っていた。
その後、両親を失ったミレナとオサムは二人で放浪の旅に出た。何度も命の危機に瀕しながらも何とか生き延び、ようやくたどり着いた街がクロウジアだった。
ジルヴェに捕まった彼女はせめて弟だけでも逃がすため、自分よりも価値の高い人間を連れてくることを約束し、街の外に出ることを許される。
そして、偶然『旅行者』であるエトたちに出会った彼女は、彼らを人質として差し出すことを計画したのだった。
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