1-13 唯能
目が覚めて一番初めに目に飛び込んできたのは、知らない木の天井だった。息を吸うと温かな木の匂いに満たされて、心が落ち着いていく気がする。
一瞬、どうして自宅でない場所にいるのかと考えたが、すぐに自分が異世界に来ていることを思い出した。
「確か、カジと色々観光をして、それで……」
そこでようやく自分が意識を失う前の記憶まで辿り着いた。
「そうだ、黒龍と戦って、僕は……」
死んだはずだった。黒龍を倒し切れず、力を使い果たして倒れたのだった。
ということは、ここは天国だろうか。周囲を見回すと、どうやら小屋か何かのベッドに寝かされているようだった。ずいぶん素朴な雰囲気だが、地獄ということはなさそうだ。
身体を起こそうとすると、全身にピキピキとひび割れるような痛みが走る。どうやら倒れたときのまま、身体は回復していないらしい。
「おや、やっと目を覚まされましたか」
ちょうど扉が開き、男が中に入ってきた。
彼は異なる幾何学模様の入った古ぼけた外套を幾重にも重ね、お世辞にも綺麗とは言えない恰好をしていた。フードを深く被っているせいで顔がよく見えず、不敵な笑みを浮かべる口元だけが強調されている。さらに、不気味な色の液体が入った小瓶をいくつも手に持っていて、よく見るとその中には小さな虫が入っているものもあった。
明らかに怪しげな男を前に、僕は何とか半身を起き上がらせて警戒の体勢を取る。
「あの、あなたは……?」
「すみません、申し遅れました。何も怪しい者ではありません。私はしがない行商人をやっておりますフェルと申します」
訝しげに尋ねる僕の態度に意図を察したのか、彼は無実を証明するように両手を上げてそう名乗った。
「安心しな。見た目は怪しいが、俺たちを助けてくれた恩人だよ」
その男に続いて現れたのはカジだった。
「正直俺も状況がわかっていないんだけどな。どうやら黒龍に襲われたあと、ぶっ倒れてた俺たちをフェルがこの小屋まで運んでくれたそうだ」
フェルに助けられたあと、僕はおよそ丸一日ほど眠り続けていたようだった。助けられたときは魔力を使い果たし、ほとんど死にかけのような状態で、彼の尽力で様々な処置をしてもらって何とか今の状態まで回復したのだった。ちなみに、虫の入った緑色の液体は魔力回復に役立つ秘伝の薬らしい。
「よかった、カジも無事だったんだね……」
頭や腕に包帯を巻いているが、声や顔は元気そうで、どうやら無事だったらしい。
「それはこっちのセリフだぜ。俺が寝てる間に一体何があったんだ? 黒龍の方から逃げてくれた、ってわけじゃないよな?」
僕は順を追ってあのときのことを話した。
いよいよ死ぬという段になって、突然頭の中で声が聞こえたこと、声に従って魔力を使い、自分の想像した通りの竜を召喚したこと、その竜で黒龍と戦い、あと一歩のところで仕留め損ねてしまったこと……。
「そういえば、黒龍は!?」
確か仕留め損ねたあと、僕たちにとどめを刺そうと近づいてきていたはずだ。僕たちが生きているということは、フェルが倒してくれたということだろうか。
「いやいや、まさか。私はただの商人ですから、戦闘能力なんて皆無ですよ。私が見つけたときには消えてしまっていましたから、深手に耐えかねて逃げたか、蓄積したダメージでそのまま死んだのではないでしょうか」
僕は勝ったということだろうか。最後に薄れる意識の中で見た黒龍の姿を思い出し、若干腑に落ちない部分はあったものの、ともかく助かったのでよしとしよう。
「しかし、お前のその能力は何なんだ? 普通の召喚魔法ならともかく、空想した竜を呼び出すなんて聞いたことないぞ。そもそも、お前は基礎的な攻撃魔法すらろくに使えなかっただろ?」
「そう言われても、あのときは無我夢中だったから……」
今になって思い返してみると、何故突然あんなことができたのかよくわからない。ただあのときは方法も手順もすべて知っていることのようで、気付いたらあの竜が目の前に現れていたのだった。
「『唯能(いのう)』」
唐突にカジの後ろからまた別の声が聞こえる。三人が一斉にそちらを向くと、そこにはあの女の子の姿があった。
「あなたが助けてくれたのよね、ありがとう」
「とんでもない、僕は何も……。無事で何よりです」
慣れない感謝をされて、恐縮と恥ずかしさで思わず顔をそむける。
「私はミレナ。あなたたちと同じく、日本から来た『旅行者』よ。よろしく」
「あ!」
助けに入ったときは全く気付いていなかったが、よく見ると確かに最初の転移地点にいたうちの一人だった。
黒基調の襟付きのワンピースに身を包み、先の折れ曲がった大きな三角帽子を頭に被るという、いわゆる魔法使い然とした服装はかなりインパクトがあるというのに、どうしてすぐに思い出せなかったのだろう。あのときはそれだけ周りが見えていなかったということか。
彼女はちょうど僕の同い年か、少し年下くらいに見えた。背丈は僕よりも頭一つ分小さく、女性としても小さい方に入るだろう。たれ気味の憂いを帯びた目が印象的で、表情筋が乏しそうな顔と相まってミステリアスな印象を受ける。
髪は首元でふんわりと広がるショートボブで、その優しげな雰囲気が全体のクールな雰囲気に対するアクセントとなっている。『旅行者』とは思えないほど魔法使いが似合っていて、その美しさについ見惚れてしまった。
「おい、挨拶もいいけどよ、その『イノウ』ってのは何のことだ?」
僕らの間に割って入るようにして、カジが話に入り込んできた。いきなりカジの顔が目の前に現れたことで、ぼんやりエレナの顔を眺めていたことに気付いて慌てて目を逸らす。
横目で彼女の様子を窺うと、特に僕のことを気にしていない様子だったので安心した。見つめていたことを指摘されたら恥ずかしさで死んでしまうところだった。
「唯一つの能力と書いて『唯能』。特定の人物にランダムで発生する突然変異みたいなもので、その人にしか使えない特別な能力のこと。おじさん、年配者の割に知識が乏しいのね」
「おじさんって、まだ三十二歳だぞ……」
カジはミレナに辛辣な言葉を投げかけられて、落ち込んでしまったのか静かに部屋の隅の方に逃げていった。可哀想だと思いつつ、今は彼のことよりも話の続きが聞きたかった。
「僕があのとき使った能力も『唯能』だったってこと?」
「少なくともそんな召喚魔法は聞いたことがないし、何よりぶっつけ本番で成功するはずがない。声が聞こえたっていうのはよくわからないけど、おおむね能力が覚醒したときに自分が自分に聞かせた幻聴じゃないかしら」
確かにあの声はひどく不鮮明で、聞き取れるのが不思議なくらいだった。近くに誰かいたはずもないし、幻聴と言われた方が納得できる。
「ただ、一つ気になるのは、『唯能』っていうのは同じ能力が存在しないと言われているの。だから、あなたの言っている能力が本当だとしたら、少しおかしなことになる」
「おかしなこと?」
「ええ。『自分の想像したものを具現化する能力』、それは……」
彼女はそこで少し考え込むように言い淀む。
「勇者ソウハ、ですね」
代わりに答えを口にしたのはフェルだった。
「ソウハって、八十年前にこの世界を救ったっていう、伝説の勇者のことか?」
「はい。言い伝えでは、勇者ソウハは唯一無二の特別な力を持っていたと。その能力は《創作者(クリエイター)》と呼ばれています。そして、まさにエトさんが語った『自分の想像したものを具現化する能力』だったそうです」
つまりそのままの受け取り方をするなら、世界に一つしか存在しないはずの勇者の『唯能』を何故か僕が持っているということになる。
「とんでもない話すぎて、よくわからないや……」
やっとこの世界に馴染んできたところだというのに、突然勇者と同じ特別な力を手に入れたのだと言われても、どう考えればいいのだろう。まさか、僕も世界を救って勇者になるということではあるまいに。もし本当にそうだとしたら、宝の持ち腐れもいいところだ。
「とにかく使い方次第では強大な力になるのは間違いないわ。ただ、今回は偶然上手くいったとはいえ、このまま能力のことを何も理解せずに危険すぎる」
確かに、あのときは何故かできたといった感覚で、今もう一度同じことをしろと言われてもできる自信がない。火事場の馬鹿力というか、極限状態だったからこそできたことのようにも思う。
「仕方ないわ。助けてもらった恩もあるし、私が特訓をしてあげる」
「特訓?」
「ええ。身体が治ったらしごき倒してあげるから、覚悟しておいてね」
彼女はそう言ってわずかに微笑みを見せて、そのまま踵を返して部屋を出ていった。
このときはまだ知らなかった。その特訓がどんなに恐ろしいものかということを。
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