追憶の日に
水瀬 翔
1 ある日
「おいっ」
持っていた教科書で、寝息を立てていた少年に喝が入る。
「すみません・・・」
と少年が小声でそう呟いた後、小雨の降り始めのようにチラホラと笑い声が部屋を満たしていく。
周りを見ると、授業を真面目に受けている生徒は心なしか少ないように感じられた。
梅雨の蒸し暑さで茹で上がった狭い空間であるこの教室では、こういった風景はよくみられるものだ。
特にここは地元の学生が大半を占める片田舎の公立高校、クーラーのある環境ではなかった。五時間目で眠く、重くなった瞼をこじ開け板書を写すという行為が非常に億劫に思い外に目をやると、うざいほどに見慣れた校庭に雨が降り始めた。
心地よいリズムで打ちつけられていく小粒の雨一滴一滴を眺めるのが、今できる唯一のことだった。
なぜかふとある”記憶”が頭をよぎった。
このくらいの時期雨に打たれ校庭の隅でただ座っているだけの男の存在を認識したのは、ちょうど一年前の今日だった。
どうでもいいことばかり覚えてると私が関わる人間にはたいてい言われるのだが、本当にその通りだなと今初めて実感する。
その男はどうやら違う高校の生徒らしかった、いや厳密にいえばこの高校の制服を着てはいなかった。
なぜこんなことを思い出したかといえば、それは今日この日に転校してきた男が、今まさに私と同じ学校に行き、同じ教室で、同じ授業を受けているためだ。
この教室で唯一といっていいほどに先生の話によく耳を傾けているように思われた男は、今も私が諦めた板書を隣の机で黙々と取っている。
「よくやるね」
小声でそう声に出てしまっていたことに気づいて慌てて教科書を読むふりをする。
いつもそうだ。どうやら私には、思ったことが口からボロボロ湯水の如く垂れ流しの状態にあるようだった。大半は無視されるか、聞こえないような声でしか呟かないので、あまり気にしないのだが。
「まあね」
そう同じくらいの声で聞こえた時、横目でつい見てしまった。
彼はまだ板書をとっていた。
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