第6話 緊急放流
水力発電というものは、火力発電よりも仕組みが単純で、その上火力と違って燃料の心配などしなくていい。自然の清流なり人工の河川なり適当な水流を見つけてそこに発電用水車を当てて回せば誰でも電気を作り出すことが出来る。それらをもっと大規模に、かつ水流の抑制装置という機能を付けて設置するのが水力発電所、所謂ダムと呼ばれるものである。
ダムの下流に作られた水力発電所村はその理由故に殆どの家屋が川沿いに建てられており、本流の河川とは別に自家用小型水車発電機を回す為の支流を別に引いて生活していたようだ。最も小型石炭発電炉を屋内に引き込んでいた火力発電所村とは違って、こちらは全て屋外に水車が剥き出しになっている。
カラカラと水車の音が響く水の里は、さぞのどかな風景だったであろう。そしてその風景は二度と拝めることが出来ないというのはとても悲しい。何故なら、今彼らの眼前に広がるのは、それら全てが無慈悲にも濁流に飲み込まれた事実を示す残骸と、あるじを失ってもなお回り続ける健気な水車達だけだったからだ。
とはいえその凄惨な光景はまだ3人の想定の範囲内である。緊急放流とは得てしてそういう結果も覚悟の上で行う最後の手段であると既にメイデンが説明をしているから、連邦の密使達は特に気にはしなかった。……支流が再び本流と繋がる水門に、大量の溺死体が瓦礫と共に引っかかっている場面を擬似網膜に捉えるまでは。
「・・・」
「・・・」
「・・・・・・」
密使たちはしばらく言葉を発することが出来なかった。彼らの生死は確かに任務の遂行には一切関係がないのだが、卑しくも人間と同じ身体、思考、そして心を持つ以上、いざその光景を目の当たりにして何も感じないという訳では無いのだ。
「・・・避難・・・間に合わなかった、のかな・・・」
「・・・いいえ、そうとは考えにくいわ」
メイデンは死体の一つに網膜の焦点を当てて服装を調査した。もしあの豪雨の中避難するのであれば、この死体たちは防水服などのそれなりの服装をしているはずだ。だが死体の殆どの服装は、豪雨どころか、小雨さえ防げそうにない薄着ばかりであった。この事実から、メイデンの
・・・事前通告なしの、緊急放流。
「ま、まさかそんな・・・!全員の避難が済んでからするものじゃ無かったの!?」
「・・・そのはずよ。でもそうはならなかった。それ以外にこの死体たちが皆ねまき姿で死んでいる理由になるものが思いつかないわ」
「・・・」
「水力発電所は、住民たちを非難させることなく緊急放流を行った。普通ならそんなことする理由は思い当たらないわ。・・・もっとも、皆火力発電所の件もあって、大体察しがついているでしょうけど」
「なおさら意味が分からないよ!飼い殺しにするならまだしも本当に殺したら元も子もなくなるのに・・・一体どうして・・・!」
この村はなぜ意図的な濁流に飲み込まれたのか。発電所はなぜ村に何の通知もよこさなかったのか。何故、この村の人々を救おうともしなかったのか。謎は深まるばかりだ。この謎を解くためには、とにもかくにも上流のダムに向かわなければならない。答えはそこにある。3人が新たな目的をもって再びダムを目指さんと踵を返そうとした、まさにその時。
「・・・!」
「ギロチン?どうしたの?」
死体の山を見つめていた彼の疑似網膜が捉えた、かすかで今にも消えてしまいそうな鼓動。
川に住む魚や動物のものではない。れっきとした人間の、心音だ。
「・・・生体反応を確認。生存者が・・・いる!」
「え、生存者?」
「この状況で生存者がいるわけ・・・」
ドボン!
「・・・ってちょっとギロチン!?」
音に気づいたときには既に水路に飛び込んでいた。
網膜の捉えた反応が誤作動ではないと確信した彼は思ったよりも深い用水路を泳ぎ、死体の山をかき分けて生体反応が確認された地点へと急行する。
近づけば近づくほど、死体をどかせばどかすほど、その反応は強まっていく。
待っていろ。今そこに向かう。今助ける。
そうとでも言わんばかりに彼は必死になって、自分に声ともならない声を届けた者の行方を捜していた。生きているとしたらわずかながら体温が残っているはず。彼は一つ一つの死体に触れて虱潰しに探していく。
冷たい。
冷たい。
冷たい。
冷たい。
冷た・・・わずかに体温・・・!確認した心音との波長一致・・・!間違いない・・・!
生存者は子供だった。ずっと水に浸かっていたためにギロチンによる救出があと数分遅れていたら助からなかったであろう。3人は気絶している子供を川から離れた安全な場所へと運ぶと、応急処置をしたのちに再び焚きだした火のそばへと寝かせて、起きるまで様子を見ることにした。
「まさかあれを生き延びるなんて・・・奇跡としか言いようがないわ」
「全く同感だね。しかも子供だよ?大人だって生き延びられなかったのに・・・」
「・・・人は、時として強い生命力を発揮することがある・・・子供は特にな・・・」
「・・・うーん・・・」
密使たちが人間の生命力に改めて敬服していると、火のそばで寝かされていた子供が目を覚まし、ゆっくりと上半身を起こした。
「あれ・・・ここは・・・」
「・・・あら、気が付いたようね」
「お姉さん、誰・・・?ここはどこ?どうして僕は家から・・・?」
「目が覚めてからいきなりこんなことを聞かされるのは辛いだろうけど、坊や、落ち着いて聞いてね。・・・昨日の夜、あなたの村は昨日の大雨による洪水で流されたのよ」
「村が・・・流された・・・?」
「そうよ。きれいさっぱり、にね」
子供は自分が置かれた状況と、目の前の女性から聞かされたことを頭の中で反芻した。そして・・・何もかもが押し流された、あの瞬間を、記憶が途切れるまでの全ての出来事を思い出した。
「・・・そうだ!僕は突然流れ込んできた水に布団ごと押し流されて、それで・・・ママは?パパは?じいちゃんは?みんなはどうなったの!?教えてよお姉さん!」
「坊や、あなたのお父さんやお母さんは・・・」
「・・・」
ギロチンは、真実を伝えようとするメイデンを遮り、ゆっくりと首を横に振った。
「(なぜ止めるのギロチン、この子に真実を伝えなくては・・・。)」
「(・・・俺に考えがある。今はまだ黙っていてくれ・・・。)」
「・・・坊主。お前の父母、祖父は今、別の場所で保護されている・・・」
「本当!?じゃあ助かったんだね!!よかった・・・」
「・・・お前を父母のもとに連れて行くその前に、俺たちに少し手を貸してほしい・・・」
「手伝ってくれたら会わせてくれる?」
「・・・ああ。約束だ」
「分かったよ、お兄さん!」
グゥ~…
「・・・」
「あっ・・・ごめんね、僕、今まで何も食べてなくて・・・」
この小さな体で濁流から生き残ったのだ、腹が減って当然であろう。ギロチンは、その用水路の中を泳いで泥まみれになった体をガサゴソと探り、この小さな協力者の空腹を満たすに十分な食料を探した。
「駄目だよギロチン、さっき用水路の中に入ったでしょ?いくら空腹と言ったって汚れた携行食品なんて誰も食べたがらないよ。・・・ほら、こっちの綺麗な方をお食べ」
ファラリスは、
パキン、・・・
シャキ・・・
サク・・・
ゆっくりと咀嚼していくうちに、口の中にはほのかな甘みが広がり、自然と笑顔が出てくる。
「美味しい?」
「うん!」
「良かったわね、口に合って」
「・・・」
泥にまみれたギロチンの咀嚼式栄養棒。別にサイボーグが食べる分には泥がつこうが関係ないが、人間はそうはいかないらしい。彼はどこか残念そうに見える面持ちでその栄養棒をしまった・・・
「はい!」
「・・・?」
「お母さんがね、いつも言ってたんだ。食べ物は、みんなで食べたほうがおいしいって」
「・・・」
「だから、半分こ!お兄さんのそれ、汚れてるから食べられないでしょ?お兄さんがお腹空くといけないから、ね?」
「・・・ああ、有難う」
「なんだか・・・ギロチン、どこか嬉しそうだね」
「ええ、あんなに穏やかな彼の顔を見るのはいつぶりかしら・・・」
川辺のそばで流水音に交じって響く、ザクザクという咀嚼音。
出された食事はそっけないものであったが、密使たちはこのささやかなひと時に、あの地獄の光景を一瞬忘れるほどの安らぎを覚えた。
少なくとも今この瞬間は、皆、幸せなひとときを過ごした。
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