第2話 なぜだか彼はひどく楽観的だった

 そうして268回めのループを迎えた僕は確信する。


 どうやら本当に僕以外にもループに巻き込まれている存在がいたらしい。


 でも一体いつからだろう、と僕は疑問に思った。少なくとも僕がクラスの中を観察していた時には、彼はまだループに気が付いていないはずだった。


 やはりループの途中からだろうか。


 しかしそうなると、これまでの267回のループのなかで僕が立てた仮説のひとつが崩れたことになるわけだ。


 が、考え込んでいても仕方がない。時間を無駄にするだけだ。わからないことは、当事者にいてみるのが一番である。


 僕は隣の席で熱心に勉強をしているらしいクラスメイトに話しかけることにした。


「ねぇ松方くん。キミもループしてるよね」

「ん? ああ、してるぜ」


 いささかの勇気を持って話しかけたのに、彼はこともなげにそう答えた。まるで英語の宿題をやってきているかをたずねたときみたいな軽い返事に僕は動揺する。


 しかし久方ひさかたぶりに遭遇そうぐうした変化である。はやる気持ちを抑え、僕は冷静に彼との会話を続けることにした。


「一体いつから?」

「んー、いつからってのがこのループに気がついた時っていう意味なら、お前が突然しりとりを始めた時からだ」


 それは僕がループに囚われてから数えて186回めの出来事だった。


 迂闊うかつだった。最近はループから戻るとすぐに教室を後にしていたから気づかなかった。もっと早く気が付いていれば彼と協力してことにあたり、もう既にループから抜け出せていたかもしれないと思うと、時間を無駄にしたような気がしてくる。


 けれど過ぎ去ったことを後悔する方がよっぽど時間の無駄である。こぼれ落ちた水は二度とぼんには帰らないのだ。僕は沈む気持ちを押し隠し彼との会話に集中する。


「なるほどね。僕はそれよりずっと前からこのループに囚われてるんだ。これでもう268回めになる。いい加減うんざりしてきたところさ」

「へーそうなのか」

「うん、でもキミと話題を共有できていくらか楽になったよ。やっぱり人間、ひとりで過ごすのには限界があるね」

「それは意外だな。お前はひとりが好きだと思ってた」

「好きは好きだけどね。この状況ではさすがに頭がおかしくなりそうだったよ」


 物事にはよい加減というモノがある。いくら好きなことでも限度を過ぎれば嫌になるモノだ。


 そうした反動だろうか、普段なら話すことのない松方くんとの会話がはずんでいた。いまならカゲロウとだってコミュニケーションが取れそうな気がした。


「でもキミが途中から入り込めたのなら、もしかすると他にも誰か巻き込まれてくるかもしれないね」


 僕が言うと、松方くんは肩をすくめた。


「いやそれはわかんねえぜ」

「どうして?」

「俺はずっと寝てたからな。目が覚めたときにお前がしりとりを始めたんだ」


 しかし僕にとってそこがに落ちない点だった。僕が立てた仮説のひとつに、この世界では生理的反応もループするというモノがある。


 トイレを我慢している人はたとえループ中にトイレに行ったとしても、また次のループではトイレに行きたくなるし、その逆もまたしかりだ。ゆえに僕はもう主観時間にして13時間以上を飲み食いせずに過ごしているのに、喉が渇いたり、お腹が空いたりすることはなかった。


 だからこの仮説に従えば、寝ている人はずっと寝ているはずだった。


 けれど実際には松方くんはループの途中で目を覚ましている。頭もスッキリ爽快そうかいらしい。


 いったいどういうことだろう?


 しかしいずれにしろ、それを考察し続けることはあまり意味のあることじゃないと僕は思った。サンプルの数が少ない以上、これはそういうものだと思うしかない。


 僕はこの問題についてこれ以上考えることを放棄して、話を先に進めることにした。


「それより松方くん。キミはこの現象について何か心当たりはある? あるいは抜け出す方法とか」

「ないな」と彼はキッパリと言った。「全く検討もつかない。逆にくが、お前はどうなんだ? 俺よりも長い間このループを過ごしてるんだろ?」

「残念ながら僕もさっぱりさ」と僕は肩をすくめた。「もし抜け出す方法がわかっていたら、こんな3分しか続かない、カップラーメンさえ食べられない世界なんてさっさと抜け出しているよ」

「ははっ、カップラーメンを食えねえのは辛いな。だがまあ、そう悲観するもんじゃねえさ。3分は結構長いぜ? ウルト◯マンだって3分で全てを終わらせられるんだからな」


 彼は笑う。だけどその言動に、僕は違和感を覚えた。


 世界がループするという摩訶不思議まかふしぎな状況に囚われているというのに、なぜだか彼はひどく楽観的だった。まるで危機感を持っている様子がない。ループの回数が少なくまだ実感がともなっていないのだろうか。


 いや、それはあり得ない。彼にしたってもう80回以上、主観時間にして4時間以上ループに囚われているんだ。彼がよっぽど気の長い持ち主でもない限り、この状況の困難さを正確に認識できていないはずがなかった。


 ……そういえば、彼は僕と会話しながらもちらちらと机の上に視線を彷徨さまよわせている。さっき話しかけた時にしろ、なにやら彼は熱心に勉強をしているようだった。


「キミはさっきから何をしてるんだい? まさか勉強でもしてるんじゃないだろうね?」

「いや勉強してんだよ」

「何のために?」

「んなの決まってんだろ、テスト勉強さ。来週から中間が始まるからな」


 あきれるよりも先に僕は驚いた。彼はこの状況におちいってまで何をしているのだろうか。勉強するよりも先にループを抜け出す方法をまずは考えて然るべきである。


 ましてや彼は勉強をするというキャラではなかったはずだ。185回めまでのループでの様子と、彼の学内でのあだ名が『部活バカ』という事実が、それを雄弁に物語ものがたっている。


 僕がそれを指摘すると、彼はけらけらと笑った。


「まったく、失礼なやつだなぁ……だがま、その通りだ。いつもの俺ならしないな」

「ならどうして」

「もちろん目的があるからさ」と彼はニヤリと笑った。それから彼はふいに真面目な表情を浮かべてこう付け足した。「言っとくが、俺はまだこの世界を抜け出す気はないぜ」

「なぜ?」

「好都合だからだ」


 ——好都合。その言葉はひどく場違いな響きを持って僕の耳に届いた。一体どういうことだろう。


 しかし僕がその意味を問い詰めようとしたところでまたループの時間がやってきた。チョークの砕ける音が聞こえてきた。


 まったく3分というのは話し合いには短すぎる。何をするにしても中途半端な時間設定だ。今度からはせめて5分にしてくれと僕は神に願った。

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