第4話 滝裏の祠で

 次の日、河童は朝から経を書き写していました。丁寧に心を込めて。そして、夕方になるのを心待ちにしていました。



 夕方になって滝壺に現れた少年は、もうびくついた様子もなく元気よく駈け込んで来ました。河童は、滝壺からほんの少し顔を出し少年を待っていました。


「お待たせ、河童さん。一緒にお経を唱えよう。」

少年は元気に言いました。その言葉に河童も嬉しくなって

「あぁ、そうしよう。これが、毎日ここで俺が唱えている経だ。これを見ながら一緒に唱えてみろ。」


河童は、小さく折り畳んだ紙を少年に渡しました。


「うわぁー。びっしりだ。ありがとう。河童さん。」

少年は、笑って大きく開いた口のままで河童を見つめています。


 二人は滝壺のふちに並んで経を唱え始めました。

少年は、河童が書いてくれた紙を見ながらいつもよりも大きな声で唱えます。そしてお経が終わると河童が聞きました。


「お前、滝裏の祠を見てみたいか? そこで水神様に祖父ちゃんの事をお願いしたいか?」


「えっ? そんな事できるの? うん。行ってみたい。じいちゃんの事、お願いしたい。」


少年は目を輝かせています。河童は嬉しくなって少年に提案します。

「俺がお前を負ぶって滝壺を泳いで渡って、滝裏まで連れて行ってやるよ。」

「本当? 本当に連れて行ってくれるの? うん。行ってみたい。河童さん、お願いします。」

少年はじっと河童を見つめています。


余りにもまっすぐな返答に、河童はおろおろしてしまい少し脅かすように言いました。

「お前、俺が怖くないのか? 俺がお前を負ぶったまま水の中に引きずり込んじまうかもしれないぞ。」


「まさか。河童さんはそんな事しないよ。村のみんなはそう噂しているけど、そんな事しないさ。だってそんな事するなら、わざわざお経を書き写してくれたりなんかしないもの。それにそもそも朝夕に毎日、お経を唱えたりなんかしないよ。」

少年は、すっかり河童を信用している様子でした。


さらに動揺した河童は、少し震えた声でまだ続けます。

「その経の書き写しだって、お前を信用させる手段かもしれないぞ。いいやつに見せる為かもしれないぞ。」


「ふふっ。それはないね。河童さんは、村の噂とは違う優しい人だもん。」


少年の言葉に、河童は涙がこぼれそうなくらい嬉しくなりました。


「よし、俺の背中に乗れ。滝裏まで連れて行ってやる。」

河童は少年を背負うと、静かに滝壺に入り水の中を泳いで行きます。出来るだけ少年を濡らさないようにそっと泳ぎます。そして、流れ落ちる滝の前まで来ると


「いいか? 少しの間、息を止めるんだ。この滝の風圧に負けてしまわないように。いいな。」

「うん。分かった。」

少年はぐっと口を結んで、目をつぶって息を止めます。風と一緒に滝の水しぶきが体にかかり、ゴーという滝の音がすぐそばで聞こえます。流れ落ちる滝のすぐ横を、河童は一瞬で通り抜けました。


「さぁ、着いたぞ。ここが滝裏だ。そしてあれが、石積みの祠だ。」

河童が指差す先に幾つもの石が積まれ、小さな洞窟のようになった祠がありました。

「うわぁー。ありがとう。河童さん。」

少年は、祠の前に正座して手を合わせて祈ります。その様子を、河童はじっと見守りました。


「河童さん。ありがとう。お陰で水神様にじいちゃんの事をお願いできたよ。これで大丈夫だよね。きっとじいちゃんは、極楽の蓮の花に守られるよね。」

「あぁ、大丈夫だ。よかったな。お前の優しい心のお陰だ。」

河童も嬉しそうに笑いました。


 ゴーという大きな音がする滝壺の方へ少年が振り返ると、流れ落ちる滝が水鏡のように向こう側を写していました。

「うわぁー。きれいだね。水ってこんなに美しいんだね。別世界みたいだ。ここは涼しいし、水神様はいい所に居るね。」

「あぁ、ここは神聖な所だ。この景色は、ここに来なきゃ見られない。俺は、毎日ここで見ているけどな。」

河童は少し得意気に言いました。それから少年を背負うと、また滝壺を泳ぎ渡りふちまで送り届けました。


「河童さん。今日はありがとう。」

「あぁ、かまわないさ。俺も楽しかった。だがもう、ここへは来るな。きっと村の人が心配する。経はもう、その紙があれば滝壺に来なくても唱えられる。それに水神様にもお願いしたんだ。じいちゃんの事は大丈夫だ。お前は、お前がしたい事をしろよ。」

河童は真剣な顔で言いました。


「そんな・・・ 僕だって楽しかったよ。とってもね。村の人は、いろいろと噂しているけど河童さんはいい人だった。あっ、人じゃないか? まぁ、いいや。滝壺はちっとも怖い所じゃないよ。だから僕は、時々ここに来る。いいでしょ。また一緒に経を唱えてよ。」


少年は笑顔で河童の腕を掴んでいます。

まっすぐ自分に向けられた少年の優しい眼差しに、少し照れながら河童は言いました。


「分かったよ。だったら時々、ここで一緒に経を唱えよう。だけど、毎日は来るな。村の人が心配する。いいな。」


少年は笑顔で大きく頷いて、家へと帰って行きました。その後ろ姿を見送る河童は、

「なんだか友達が出来たような気分だな・・・」

と嬉しそうに呟きました。












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