第2話 蓮華の眠り
村の小学校がもうすぐ夏休みに入るという頃、近くにある長慶寺の和尚さんの説法が学校でありました。子供たちはみんな講堂に集まって和尚さんの話を聞いています。
「みなさんの夏休みの間に、お盆があります。このお盆には、もうこの世を去ったご先祖様がみなさんの家に帰って来ます。そして、間近でみなさんの様子を見て一緒に過ごし安心して、またあの世へ戻って行かれます。
戻ったらまた、永い永い蓮華の眠りに就きます。極楽の蓮の花の中で眠り、次の生涯を待つのです。
この世を去られた後、極楽の蓮の花にたどり着けるよう、私たち僧侶はお経を唱えて見守り後押しをしています。線香の香りとお経の声が、亡くなられた方々のお守りとなります。どうかみなさんも、機会があったら手を合わせ祈ってください。」
和尚さんは、子供たちの顔に目をやりながらにこやかに話しました。
子どもたちはじっと黙って聞いていましたが、心の中はもうすぐ始まる夏休みの事でいっぱいでした。和尚さんの話より、夏休みの計画に心を奪われていたからです。そんな中でただ一人、じっと和尚の顔を見つめ耳を傾けている少年がいました。
少年は説法が終わると和尚さんに駆け寄り聞きました。
「和尚さん。本当に、お経を唱えれば極楽に行って蓮華の眠りに就けるのですか?」
「あぁ、そうだよ。その通りだ。君はよく聞いていてくれたね。蓮華の眠りに興味があるのかい?」
和尚が少し背をかがめ少年に聞きますと、横にいた先生がこそこそと和尚に耳打ちをしております。
「ううーん。そうでしたか。君は、お祖父さんを亡くしたばかりなんだね。じゃぁ、今年の夏は新盆だ。お祖父さんにとって初めての里帰りだね。ぜひ手を合わせて経を上げておくれ。」
和尚はそう言って、少年の頭を愛しそうにくりくりと撫でました。少年は和尚を見上げ黙って頷きました。
それから教室に戻り、少年はふとある事を想い出しました。村の中にある滝壺のことです。
〈大人は滝壺に行っちゃいけないって言うけど、きっと大丈夫。今日学校が終わったら行ってみよう。あの滝壺で夕方には毎日、お経が聞こえるらしいからな。〉
そう決めてから少年は、放課後が来るのが待ち遠しくて仕方ありませんでした。
寺に戻った和尚は、夕方のお勤めを前に寺の蓮池を眺めながらぼんやりと思い出していました。
〈慈聡はどうしているだろうか・・・ 一体なにがあったというのだ。どこへ行ってしまったのか。無事であればよいのだが・・・ もしも、もしも何かあって、もうこの世にいないのだとしたら、あの少年が言っていたように私も願おう。せめて極楽の蓮の花に包まれ蓮華の眠りに就いていておくれ。〉
和尚の目の前には、もう閉じてしまった今日の蓮の花が幾つもありました。蓮の花は早朝に開き、昼過ぎには閉じてしまうのです。きっとまた明日の朝には、大きな花弁を広げて開く花が幾つもあるでしょう。
長慶寺の蓮池は今が見頃です。昔からこの時季だけは寺の庭を開放し、村の誰でもが花開く蓮を見ることが出来るようにしているのです。
〈あぁ、あの少年を寺に誘ってやればよかった。今が見ごろのこの池を、蓮の花が咲いているところを見せてやればよかった。そうすれば少しは想像できたであろう。お祖父さんが極楽の蓮の花の中で、安らかに眠っている姿を。そうしてこちら側の人々が祈ることもまた、彼岸の人々の助けになると教えてやればよかった。〉
ふと、和尚はそんな事を思っていました。
〈今はせめて、私が思い描こう。少年のお祖父さんが蓮華の眠りに就いている姿を。そして、慈聡よ。お前にもしもの事があったなら、お前が眠る姿も・・・〉
和尚は、蓮池に向かい手を合わせて経を唱え祈ります。そして経が終わると、寺の中へ戻って行きました。
長慶寺には、三年前まで慈聡と云う僧侶がおりました。寺に勤める僧侶の中では年長で和尚の信頼も厚かったのですが、ある日突然、寺からいなくなってしまったのです。皆で村中を探し回りましたが何処にもいませんでした。そして遺体も見つからなかったのです。
今は生きているのか? 死んでいるのか? それすらも分からないまま三年が過ぎてしまいました。
慈聡がいなくなった少し前に、村の娘が一人滝壺に行ったきり帰って来ないという噂が流れていました。その噂のせいなのか? 慈聡も滝壺へ行っていたようだという事までは分かったのですが、その先はどうにも分からずじまい。慈聡は、寺から消えたまま三年も帰って来ないのです。
ただ、いつも身に付けている大振りの数珠だけがなく、他の身の回りの物は全て寺に残っておりました。本当に、慈聡の姿だけが消えてしまったのです。
和尚は、ゆくゆくは寺を慈聡に任せようと思っていたので、慈聡がいなくなった時にはひどく沈み込んでしまいました。そして、三年経った今でも和尚は日々、慈聡の身を案じているのです。
いつかまた寺に戻って来て、元気な姿の慈聡に会えるのではないかと信じているのです。
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