君ありて幸福

@Rosemary15

出会い

彼女と手を握っても、もう温かさは感じない。

記憶だけがどんどん掠れてゆく。俺は本当に愛しきれたのだろうか─

力強く咲く桜の下で、翔は弱々しく泣き崩れた。


桜─花言葉は「精神美」。かつて恋人だった桜花は名前に「桜」という字がつかわれているのにふさわしい女性だった。どんな時でも他人を思いやり、笑顔を絶やさない。翔はそんな桜花にみるみるうちに惹かれていったのだ。


桜花と出会ったのは高校の時。翔と桜花は部活が同じだった。翔は自分がやりたくて入ったはいいものの、強豪校であることを知らなかったために入部早々地獄を見ることになった。

「うわ、、周りの奴らめっちゃできるじゃん。」

今までずっとそのスポーツをやってきていた人が多い分、翔との実力の差は歴然だった。練習はハードで学校の宿題にも手につけられない日々が続き、ずっと負け知らずだった翔だが、テストの順位は目を疑うものだった。

「俺が、下位層の人間だと、、」

親にどうやって見せるか、いや、見せなくて済む方法はないか。この日翔は何事にも全く集中できなかった。その日の部活も集中できなかった翔はボールを避けられず、思いっきり頭に当たってしまったのだ。意識を失った翔は保健室まではこばれた。

「─っく、、痛ってえ。、、、って。ん!?」

しばらくすると翔は目を覚ました、が、そこには見覚えのあるようなないような女の子がいた。翔は記憶の片隅にあったぼんやりと覚えている名前を一か八かで言ってみた。

「えーっと、、村木さんだっけ…?うちの部のマネージャーの」

翔は半信半疑の状態で小さな声で聞いてみた。

「そう、村木です。村木桜花だよ。本当に心配したんだからね!?よかったよ…。」

大した怪我じゃないのに桜花は共感性が強いのか泣きながら答えた。

「まぁ、とにかくありがとう。俺、部活に戻らないと、、、。」

翔がベットから身を離そうとしたら、桜花はすごい勢いで

「ダメに決まっているじゃない!」と翔をベットへと戻した。

「鈴木くんなんか最近疲れてない?顔もやつれてるし、今日もなんだか上の空って感じで。私でよかったらなんか聞くよ?」

翔は初めて人からそんなことを言われ、急に泣き出してしまった。桜花は戸惑う様子はなくゆっくりと翔の話を聞いてくれた。


─翔の両親は小さい頃から人と比べて早熟だった翔にたくさんの期待を寄せた。だが翔自身は「自分は普通の人間だ。特に秀でた才能もない」と親の期待が重かった。大きな挑戦は日々の小さなことの繰り返しだ。翔は地道に努力を続けていたが、周りからどう思われているのかが怖くなってしまっていた。そして大切な受験に失敗した。親はそれ以降、翔を出来損ないとして扱ってきた。だからあのテストの成績なんて見せたらもっと親との関係が悪くなるだろう。翔はそう、恐れていたのだ。


「そっか…。私鈴木くんって努力家だなって勝手に思っていたけど、そうしなきゃっていう強迫観念みたいなものがそうさせていたんだね。話してくれてありがとう。」

─こんなに優しい人がこの世にいるのか。

翔は今まで意識もしていなかった桜花に少しずつ惹かれていったのだ。


帰路は足が重たかった。頭の中は親のことしかなかった。もう終わりだ。だが、桜花の言葉が心に留まっており、覚悟を決めて家に入ることができた。翔は手に汗を握り、そこから汗が滴り落ちそうなくらいだった。テストの結果は絶対に見せたくなかった。だって絶対もっと家族から見放される。そうわかっていたから。それでも内心翔は、

「俺を出来損ないだと思って見放しているんだったら、テストの順位なんて聞かなくていいだろ。」

とも思っていた。しかし一方で翔に成績を聞く理由もわかっていた。


─きっと親は周りからの評価が落ちるのが怖くて仕方ないんだ。小さい頃から近所中で「出来る子」として有名だった俺はまだみんなの中に生き続けている。それを壊したくない、現実を認めたくないのだ。だからもしかしたらあの子はまだできる子なんじゃないか…という気持ちが離せないんだろう。


リビングに入ると案の定、親からテストの結果を聞かれた。翔はさっきまでの自分はなんだったのかと驚くほどすんなり結果を言うことができた。きっと桜花の言葉のおかげだろう。


だが、結果はひどいものだった。両親はもはや声を荒げることもなくただ静かに「あなたにはがっかりしたわ。」

とだけいって栞をはずし、再度本を読み始めた。翔はただただ、辛く、苦しかった。この気持ちをどうすれば良いのかわからなかった。努力できない自分、期待に応えられない自分、本当の自分がわからない…様々な思いがコンフリクトを起こしていた。翔は自室でただ一人、泣いた。泣き続けた。


翌日の学校では桜花のことが気になって仕方なかった。だが、あれは夢だったのかというほど記憶が断片的であるため、お礼すらできなかった。

桜花は男子運動部のマネージャーをやるくらい社交的で明るい。桜花に悩みなんてないと思った。桜花になれたらどんな人生を送ることになるのだろう。そんなことも考えていた。─それがどんなに無責任な考えであったか、翔はこの時知る由もなかった。


桜花のことが気になりながらも特に何も起こらないまま1日が過ぎた。翔は昨日の部活での怪我(といっても軽いものだが)の影響でしばらく部活を休まなければならなかった。しかし、翔は部活の大変さにかなり限界がきていたため、休まなければならないことに悲観的にならず、むしろこれは好機会であった。

「よしっ。今日は帰るか。」

翔は帰路についた。

今日の翔は心に余裕があった。改めてみると通学路にはたくさん綺麗なところがあった。

「日常に小さな幸せってたくさん転がっているんだな。」

翔は受験の失敗以来、受験のような大きなことで成功することだけが幸せだと思っていた。そのせいで毎日心が枯れていくだけだった。久しぶりに心が満たされ、空を見上げると黄金色に輝いた太陽が眩しかった─。


家に着くと久しぶりに学校の課題をゆっくりやる暇があった。暇っていいなぁなーんて思ったりした。黙々と課題を進め、最後の課題に取り掛かろうとした時だった

「あれ…ない。プリントがない…。」

久しぶりに課題を早く片付けて優雅な一人時間を堪能しようと思ったのに翔のカバンの中には確かにプリントはなかった。しかも提出は明日だ。

「急いで取りに行かないと。」

時間を確認するとまだ時計のはりは6を指していた。これなら間に合う。まだ部活をやっている時間だ。翔はそう思いすぐに家を飛び出た。


学校に着くとそこでは多くの部活動が活発に活動していた。翔は胸がちくりと若干痛んだ。今は怪我で休んでいるとはいえ、翔はあんなに楽しく部活ができない自分に悩んでいた。いつも早く終わらないかばかり考えて時計ばかり気にしていた。だから部活にやりがいを感じ活動している同級生を見ると自分は置いて行かれているような気持ちになり、できない自分に苛立ってしまうのであった。たちどまってそんなことを考えて数分後、ハッと我に返った翔は教室へと向かった。


夕焼けに照らされている校舎内は趣深く翔の心を震わせた。カラスの鳴き声を聞きながら階段を上がり、自教室についた。中には誰もいなはず。そう思っていたが、教室内に人影が見えた。

「ん…。誰だ?」

気づかれないようにそーっと覗いてみるとそこにいたのは…

「─桜花だ。」

ただ、様子がどうもおかしい。落ち込んでいるようにも思える。

「泣いて…いるのか?」

涙が夕焼けにてらされ大人しく光り輝いた。

この状況で入るのはどうなのか。翔は悩んだが、やはり課題を出さないなんて無理だ、と思い静かに教室の扉をあけた。すると、桜花がこちらに気がつき、驚いたような顔で翔を見つめた。そして急いで涙を拭った。

「あれ…鈴木くん。どうしたのこんな時間に。」

さっきまで泣いていたとは思えない笑顔で桜花はいった。その表情にいつもは元気づけられるが今日はちがった。

「課題…取りに来てさ…。」

翔はどういうトーンで話せばいいのかわからず戸惑った。そして課題をとってそそくさと帰ろうとした。でもやはり頭の中は桜花がなぜ泣いていたのか疑問に思う気持ちでいっぱいだった。聞きたい気持ちとそれを抑える自分の感情が交錯して今にも声を出したかったが、迷った挙句、翔は何も聞かずに帰るが善と思い教室の扉を開けようとした。その時だった。

「鈴木くん…ちょっといい?」

翔は心臓が止まる思いであった。そして怖かった。何を話されるんだろう。俺が聞いていいのだろうか。そんな思いが重なっていた。でも桜花自身が話したいと思ったのだからと思い腹を括り桜花の隣の席へ座った。

「えーっと…別にね、特別な理由はないの。でも泣いているところ見られちゃったし今ここには私達しかいないしさ。私自身も誰かに話したいなって思ってたし。少し発散してもいいかな?」

翔は自分でいいのかという思いでいっぱいで不安だったが承諾した。

そうすると桜花はゆっくりと話し始めた。

「私、実は病気を持っているの。あぁ、別に驚くことじゃないのよ。大丈夫だから。私、周りからは元気に見られるけど実際そんなことないの。小さい頃から体が弱くていじめられたりもしたから、高校進学を機に変わろうって思えたの。そしたら成功したってだけ。まぐれなの。だからみんなの思う村木桜花は実際は化けの皮を被った人間なのよ。でね、その病気は残念なことに治療法がないの…。今まで色々試してきた。でもやっぱり治る兆しは見えなくて。最期まで元気に過ごせることが救いなんだけど、いつ発作が起きて死んじゃうかわからないんだって…。だから次の瞬間逝っちゃってもおかしくないのよ。」

桜花はくすくすと笑いながら軽快に話したが、翔は混乱したままだった。

「死」という言葉が脳裏にこびりついて離れなかった。桜花は死ぬ。僕よりも確実に早く。そう思うと翔は悲しいという感情よりもやりきれない思いに駆られた。


そんな出来事をきっかけに、翔と桜花の距離は確実に狭まっていっていた。家の方向が同じということもあり、一緒に帰る日も度々であった。翔は確実に桜花に惹かれていた。「好き」という感覚は理由が明確ではない。何の説明にもならないが、「好き」だから「好き」なのだ。その感情は抑えることが難しい。人を好きになると、その人が可愛くて、愛おしくてたまらなくなる。毎日連絡をとりたくなる。たわいもない話をしているのが楽しくて、携帯のバイブレーションにも敏感になる。日を重ねて桜花との距離が縮まるほど、翔は桜花への思いが強くなっていった。ただ、「好き」という感情は自分の中で押さえている時が1番ときめきがあるものだ。そのときめきを外の世界に連れていくと様々な刺激に触れ簡単に劣化してしまう。そんな脆いものなのだ。だから翔は桜花になかなか気持ちを話せずにいた。


だが、翔はあの日の桜花の話が忘れられなかった。

「桜花は突然死ぬ」─これは事実なのか?

翔は今までにこんなに人を愛おしいと思ったことがなかった。他人なんていつもいつも人の気持ちを深く考えもせずに自分の価値観だけで物を話す。世の中にはたくさんの人がいて関わらざるを得ないが、みんな表面上で仲がいいように見えるだけだ。「友達」の定義も薄っぺらいものなんだろう。翔はなんでも自分を羨ましがる周りをずっと見てきた。

「翔くんってほんとすごいよね。」

「翔くんみたいに生まれたかった。」

「翔くんは今まで困ったことがなくていいよね。」

学校のテストで高得点をとる度、表彰される度、体育大会でアンカーを務めた時…どんな時でも周りはまるで

「何もしなくても生まれつきなんでもできる人」

として翔を見ているようだった。だが、実際翔の成功は全て努力の賜物であった。周りが作り上げた「鈴木翔」に応えるべく、一生懸命努力していた。それなのに周りはそれを考えようもしてこない。唯一わかってくれたのが桜花だったのだ。一人理解してくれる人がいるだけで気持ちがだいぶ違う。翔はあの日以来、心の重りが取れた気分だった。

「この気持ちを伝えないまま桜花の死を迎えるなんてごめんだ。」

翔は遂に桜花に気持ちを伝えることを決めた。


1番伝えるにいい機会は下校時だ。自然に二人になれる唯一の機会である。今日は部活もない日だし丁度いい。翔はゆっくり深呼吸をし勢いよく自宅のドアを開け、学校に向かった。


実は学校にいるときは桜花とは全く話さないのだ。でも下校時の二人時間にしか話さないことはそれはそれで秘密基地に行くようなワクワク感があった。あの日以来翔は桜花を見る目が完全に変わってしまった。人の「本当」は見た目だけじゃわからない。自分のことと重ねて「その人の真意」を理解することの難しさを改めて感じた。


翔はまだ「人の死のリアル」を見たことがない。だからただ単に「死は怖い」とだけ漠然と思っていて人が本当に死ぬのかということでさえ疑問に思っていたのだ。だから桜花が死んでしまうこともなんだか夢見心地だったのだ。でもなぜか焦りばかりが出てきてしまっていた。聞きたいこと聞く前に、気持ちを伝える前に、やりたいことが果たせないまま桜花が死んでしまうことだけは避けたい。そんな気持ちが焦りとなって翔を困らせていた。


ぼんやりと1日を過ごしている間にあっという間に下校時刻になった。部活がない日は翔が帰路を歩いていると桜花がいつの間にか隣に来るというのがいつものパターンだ。今日もまさにそのパターンであった。翔は桜花が来るまでの時間、今までにないほど心臓の鼓動が速くなり、体が熱くなっていた。

「こんな状態で言いたいこと言えるのかよ…。」

そんな一抹の不安があった。だが、それ以上に「焦り」が勝っていた。「焦り」というものは大体のことが杞憂に終わる。しかし、今回のことは違うのだ。桜花は事実として病気を患っており、どんな偉い先生のもとで治療しても治らないものなのだ。命のタイマーの残りがわずかなことは確かだ。そのことは疑っても疑いきれない。翔は非常にやりきれない思いだった。ぐるぐるとそんなことを考えて、隣に桜花がいるのに話すことができなかった。

「鈴木くん?またなんか辛いことがあったの?私でよければなんでも話してね。」

桜花が心配そうに翔を見つめていった。翔はゆっくり息を吸って答えた。

「実は困っていることがあるんだ。俺、周りの人にロクな人たちがいないと思って人を信用したり、好きになるなんて自分には無縁な物だと思っていたんだ。でも今は守りたくて、一緒に時間を共有したい人ができたんだ。でも、穏やかに一緒に過ごしたいのに焦りしか出なくて気持ちを伝えるべきなのか困っているんだ。」

翔は情けないと思いつつ、あえて遠回しに言ってみた。

「翔くんに大切な人ができたんだね。それってすごいことだよ。私は病気になって周りは共感じゃなくて同情しかしない。まぁ友達に言ってもそうなることがわかっていたから、学校の友達には言ってなかったけどね。でもそれ「友達」って言えるのか私にはわからないや。私はこのまま人を心から信用することなく死んでいくんだろうなって思ってる。悲しいことよね。」

桜花のこの言葉を聞いた瞬間、翔は咄嗟に言葉が出てきた

「そんなことない。確かに俺も村木さんが本当に思っていることは理解できないかもしれない。でも理解しようとすることはできる。一人で抱え込まないでよ。一緒にたくさん悩んで、もがいて、俺を信用できるようになってほしい。孤独に死を迎えさせることなんかしない。絶対に。」

翔は言ってしまった。という気持ちと共に爽快感を覚えた。桜花はキョトンとしていた。いまいち翔の言ったことの真意が伝わってないみたいだ。

「えーっと、つまり…。俺は村木さんが好き。初めて話した時のこと今でも忘れない。村木さんは俺の辛さを認めて、受け入れてくれた。しかも、努力していることもわかっていててくれていた。こんな人初めて出会った。すごく感謝している。」

桜花は翔の言っていることが腑に落ちたような顔をしてこう続けた。

「ありがとう。私、いつも放課後に図書室で残って勉強している鈴木くんをみていたし、部活でも本当に一生懸命頑張っていたのをみていた。鈴木くん、努力しすぎて頑張らな糸が切れなか心配だった。でも鈴木くんが怪我した時にわかったの。もうすでに切れていたんだよね。人に思っていることを言えないのは私も一緒だから痛いほど気持ちがわかったの。初めて人に好意を持ってもらえてこんなに嬉しいことはないわ。しかも鈴木くんからだなんて。その気持ち受け取らせてもらってもいいかしら。」

翔は絶対に桜花を大切にする。誓約書を書いてもいいくらいの気持ちだった。

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