人の日記を勝手に読んじゃ駄目だよ
@chauchau
姉弟仲はいまも良い
二人で映画を観て、そのあとファミレスへ。
分かり易いデートコースを決行したのは、残念ながら男二人というなさけなさ。というのも……。
「勝手に見ておいてキレると意味不明すぎね!? しかも、ただのダチとの写真だっつーの! 俺には女友達を持つ権利すらねえってか!」
「それで?」
「泣き出してわめき散らして別れる別れるしか言わねえのよ。あんまり腹立ったからそのまま別れて部屋から追い出したっての」
「そんで行く相手が居なくなったから僕にお声が掛かったと」
「悪かったって……、んでも、タダで映画観れたんだから許してくれよ」
「愚痴を聞く代金として捉えておくよ」
「んでな!?」
彼女にスマフォを見られて別れた友人の愚痴はその後も続く。
聞いているだけでも束縛の強かった女性だったと記憶しているし、友人は友人で友達の多い性格だからいつかはこうなるとは思っていたけれど、想像以上に早かったな。
「ああ、くそしゃべりすぎて喉渇いた……、コーヒーで良いか?」
「ミルク多めで」
彼のおごりで頼んだのはドリンクバーが二つ。
それで二時間以上粘る僕らはファミレス側からすれば困った客かもしれない。いまは空いているから許してほしい。
「しかもよ、このことを他の奴らに話したらなんて言ったと思うよ」
「元カノの味方された」
「そうなんだよ! 見られて困るような写真を撮っているほうが……、って困る写真じゃねえし! 勝手に向こうが喚いたんだっての! てかさ、なにより意外だったのは、スマフォの中身を見るのが当然ってやつの多さだよ」
「あー……、かもね」
「あり得ねえよな。他人のスマフォなんか見るかっての」
「僕も同意見かな」
「だろ! 親しき仲にも礼儀ありって絶対正義だよな!」
他人のプライバシーを勝手に覗いてはいけない。
僕が心に刻んでいる方針だ。別に、友人のような立派な理由があるからではない。単純に怖いのだ。
あの時の、姉の顔を思い出すようで。
僕には姉が居る。
非の打ち所がないという言葉はまさに姉のためにある言葉だった。才色兼備、文武両道、品行方正、姉という人間はまさしく絵に描いたような良い子だったんだ。
三歳年下の僕の世話も進んで行った。おかげで、僕は随分とシスコンに育ったと自他共に認めている。
何かあれば姉を頼った。何があれば姉に相談した。何かあれば姉に泣きついた。母の日に、僕から母と姉の二人に花を贈るのはもう僕の家の伝統だ。
そんな姉を勿論、僕以外も頼りに頼る。
家だけでなく、学校でも、塾でも、部活でも。姉は居る場所すべてで誰にも頼られ、その期待を軽く超える成果を出し続けた。
部活では部長を、
学校では生徒会長を、
模試を受ければ上位に名を残し、
陸上の大会でも全国大会に出場を果たした。
老若男女問わずで好かれて、男子だけでなく女子にまで毎日誰かに告白されて、でも、誰の気持ちも受け取ることはなかった。
そんな姉のことを僕は誇りに思い、
同時に、心配にもなった。
姉はなんでもできた。
だから、
姉が困っている姿を見たことがなかった。
姉が愚痴を言う姿を見たことがなかった。
姉が泣き言を漏らす姿を見たことがなかった。
僕が高校二年生の時だった。
姉は大学生。大学でも姉は姉だった。サークルやバイトの中心人物となった姉は毎日、大学にバイトにサークルに大忙しだ。いままで以上に多種多様な人間に告白される機会も増えたらしい。らしいというのは、姉から告白されたと聞いたことはなく、時々遊びにくる姉の友達が自慢げに教えてくれたんだ。
今の僕からすれば、高校二年生の僕なんてただのハナタレ小僧だ。多分、それは今もそうだ。だけど、当時の僕はもう大人の仲間入りをしていると信じていたんだ。姉のことだって少しは助けてあげられると根拠もないのに信じていたんだ。
だから、姉に困っていないかと尋ねた。
愚痴でも聞くよと尋ねた。
そんな生意気な僕の頭を姉は笑って撫でてくれた。
気持ちだけでお姉ちゃんは元気もりもりだよと笑ってくれた。笑ってくれたことが僕には不満だったんだ。子ども扱いから抜け出せていないと。
引けば良かった。
馬鹿なんだから姉の言葉を信じて喜んでいれば良かった。
姉を元気付けられたと誇っておけば良かった。
姉が持っている漫画を借りるために姉の部屋へ行ったとき、好奇心に負けた僕は姉の机を探ったんだ。そこで見つけた一冊のノート。
日記
シンプルに書かれたノートを見つけて、僕はこれだ! と舞い上がる。日記になら姉も愚痴のひとつくらい書いているだろうと。これで姉の力になれると。愚かな僕は、身勝手な正義感で姉の日記を読んだんだ。
読んだ。
読んで。
後悔した。
そこに姉は居なかった。
いや、
そこに本当の姉が居た。
どれだけの力を込めて書いたのか。筆圧が強すぎて千切れたノートの隅から隅までにびっしりと書かれた呪いの言葉。白いノートが黒に染まるほど染みついた姉のストレス。姉の気持ち。姉の本心。
「駄目だよ」
表紙を捲ってから一枚もページをめくれないほど、僕は目の前の事実に動けなかった。だから、後ろから声をかけられてもすぐに振り向けなかった。
「人の日記を勝手に読んじゃ駄目だよ」
取り上げられた。
奪われたわけじゃない。やさしくするっと日記が僕の手から抜き取られた。誰に。姉に。
「ね?」
姉は。
いつも通りの優しい姉だった。
「やっぱよ。他人を尊重する気のねえやつとは一緒にいられねえよな」
「そうだね」
「俺、しばらく彼女はいらねえや。彼女に興味があったから付き合ったけど、窮屈で仕方ねえもん」
「でも別れたって聞いたら何人かが喜ぶと思うよ」
「うげー……、めんどくせ」
友人は人気者だ。
だが、彼は愚痴を言う。他人の悪口だって言う。彼のことを嫌いだという人も知っている。
だから、僕は安心する。
人の日記を勝手に読んじゃ駄目だよ @chauchau
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