第20話

「だから、サタン様も誘惑されたのよ。あの年齢でそこまで未経験の人間ってそうそういないから」


「確かに。未だに信じられない」


「アンタが男を選んでも女を選んでも初めての相手になれる男よ?」


 再び心がグラリと揺れた。


 今度はさっきよりも大きく。


 しかし相手はサタン様の契約相手だし。


「サタン様との契約を気にしてる? それなら未成立よ。天界が邪魔をした上に助け船を出したせいで、騎士王は最終的にはサタン様とは契約してないの。今は仮契約の段階よ。今なら奪えるわよ?」


 それは裏返せばサタンが騎士王の心を奪うか、それが無理でも正式に口付けを交わせば、騎士王は名実共にサタンのものになるということだ。


 18にもなって精通すらしてなかった初心な男。


 もしかしたらそういう感情をまだ知らないのかもしれない。


 1から教えていく楽しみのある相手。


 悪魔としての魂がグラついていた。





 カイが緑の森から王宮に連れ戻されると、案の定父親たる皇帝スタインが大騒ぎを演じていた。


 おまけに完治したと思われていたカイが、実は完治していなかったのである。


 スタインの狼狽はそれは凄いものがあった。


 そのときにはカイは自分では指一本動かせなかったので、スタインの取り乱し様といったらなかった。


 カイはどうやって慰めようか途方に暮れたほどだ。


 姿を消していたのも自分に心配をかけないためだと見抜き、カイに害をなしそうな臣下はすべて遠ざけてしまう始末。


 自分で招いた事態だとはいえ、あまりな過保護振りにカイは俯くしかなかった。


 おまけに完治していなかったと知ったルナまでが過保護振りを発揮し、カイは「これでも18なんだけどな」と心の中で突っ込んだ。


 虚しいひとりツッコミである。


 それからというものカイは毎日が監禁状態である。


 医師として付き添ってくれるエリルも、そこまでしなくていいとスタインに言ったのだが、スタインが受け入れなかったのだ。


 おまけに再びの毒殺を恐れているのか、臣下が絶対に自分には手が出せないと踏んで食事はすべて口移し。


 これを最初実行されたとき、カイはさすがに待ったを掛けたが、スタインは聞き入れてくれなかった。


「この方が安全だ」と言い張って。


 確かに皇帝自ら毒見役をしていれば、臣下たちは手を出したくても出せないだろう。


 しかしいくらなんでも赤ん坊でもあるまいに、この歳になってから父親から口移しで食べさせてもらう図というのには、かなりの抵抗があった。


 なのにスタインはどうやらカイを構えるのが嬉しくて仕方ないらしく、嬉々としてそれをやっている。


 同じくカイに関しては過保護なルナも、さすがにこれには呆れているのか、いつも苦笑して眺めているが。


 彼女に見られていると思うと多少の抵抗があったが、スタインが聞き入れてくれないので、カイは今では諦めの心境である。


 そうしてカイが再び寝込むようになって半月後。


 カイのための花を準備していたルナが、いつものようにカイの部屋に向かっていると、真正面から初めて見る顔の少年が歩いてきた。


 顔立ちがどこかカイに似ている。


 もしかして第二皇子だろうか。


「こんにちは。ご機嫌如何ですか?」


 ルナは世話になっているという理由から、黙って通りすぎることはせず、近くに行ったときに自分からそう声を投げた。


 相手の少年はちょっと驚いたようにルナを見ている。


「あなたは確かカイが連れてきた?」


 名前までは浮かばないのか、相手は首を傾げている。


「ルナと申します。あなたは? カイ様の弟君ですか?」


「……違います」


 きっぱり否定されてルナが言葉に詰まる。


 カイは皇妃や皇女とは和解したが、皇子とはまだ和解していなかったことを思い出す。


 もしかしてまだ彼の存在を拒絶しているのだろうか。


「でも、スタイン陛下の皇子様なのでしょう?」


 少年は顔を背けたまま答えない。


 その態度が肯定と同じだというのに。


「どうしてそんなにカイ様を否定されるのですか?」


「あなたには関係ありません」


「カイ様があなたになにかしましたか?」


 当然の指摘に相手は黙り込む。


 カイはなにもしていない。


 ただ皇帝スタインの第一子として生まれただけ。


 そしてそれが周囲にとっては彼の罪なのだ。


 生まれてはいけない皇子だから。


 そんな考え方は寂しいとルナは思う。


「今のあなたは被害妄想の固まりと同じです」


「何故あなたにそんなことを言われないといけないんです?」


 下から睨むように見上げてくる少年にルナは真っ直ぐにその青い瞳を見返した。


「だって同じ立場から競おうともしていない。現実を受け入れられず、ただ拗ねているだけですもの」


 このルナの発言に相手は驚いたような眼を向けている。


「羨むだけではなにも変わらない。あなたが変わらなければ現状は変わらないのです」


「ぼくが……変わらなければ?」


 変わる必要があるのかと顔に書いているので、ルナはその意味を説明した。


「周囲はすでに変わりはじめている。あなたもこれまでと同じではいけないんです。

 もし世継ぎとして生きてきた自分を恥じていないなら、同じ立場から競わないなら、そもそも勝負になるはずがない。カイ様はご自分のお立場を憐れんだりなさいませんわ」


 孤児でも皇子でも態度の変わらないカイと、世継ぎという地位を失って失ったことに固執するアンソニーとでは、そもそも勝負になるはずがない。


 人としての器で負けている。


 そう言われてアンソニーは今更のように、自分がただいやだと認められないと否定して駄々を捏ねていただけだと知る。


「あなたは変わらなければ。ただ周囲に流されているだけではなにも変わらないのですから」


「……変われと正面から言ってくれたのはあなたが初めてです。ぼくはアンソニーと言います。初めまして、ルナ王女」


「初めまして、アンソニー殿下」


 優雅にお辞儀するルナをアンソニーは眩しそうに見ていた。





 明るい笑顔で部屋に入ってきたルナを見て、カイはすこし不思議そうな顔になった。


「なにか良いことでもあったの、ルナ?」


「すこし。カイ様のお役に立てたかしらと思って嬉しいのです」


「ルナは十分俺の役に立ってるよ。でも、そんなふうに思ってもらえるのは嬉しいな」


「うふふ」


 本当に嬉しそうなルナにカイは不思議そうな顔を向けている。


「すこしは感覚の麻痺が治りましたか、カイ様?」


「うーん。まだ? エリルが許可を出してくれなくて、ひとりで食事もできない。もうこんな生活とはおさらばしたいんだけどなあ」


「だったら最初から隠さなければいいんです。隠していなければ今頃は治っていたかもしれませんよ?」


 エリルにズバッと言われてカイが黙り込む。


 すこしは元気そうなカイに様子にルナはホッとするのだった。





 城で警備に当たっていたセラは、ふと顔をしかめ立ち止まった。


「どうした、セラ?」


 二人組になって警備に当たっていた先輩がそう言ってくる。


 セラは明るく朗らかに答えた。


「いいえー。ちょっとウェイン皇子のご様子を見てきますので。これで失礼します」


「そういえばおまえはウェイン皇子の護衛も兼ねているんだったな。幼なじみだとか。陛下から特別なご命令だったか。せいぜい気を付けろ。あの皇子は台風の目になるぞ」


「わかってますー」


 お気楽に請け負ってセラは角を曲がった。


 さりげなくキョロキョロと周囲を見回す。


「なんですか、ミカエル様? 昼間に連絡を入れるのはやめてくださいってあれほど申し上げたでしょう?」


 そう呟くのと同時に目の前にミカエルの幻影が現れる。


 名前からも想像がつくだろうが、実はカイの幼なじみの騎士のセラこそが、三大天使にしてカイの護衛として差し向けられている天使セラフィムなのだ。


 将来を有望視されるのも当然である。


 闘いの天使とまで言われているセラフィムなのだから。


 子供に化けたときは力加減ができなくて色々苦労したセラフィムなのである。


『いや。なんか不穏な空気を感じてな』


「不穏な空気、ですか?」


 セラフィムは闘いの空気なら読めるが、それにのみ秀でているせいで、どうも天使として重要な能力が欠けている傾向がある。


 そういう情報は常にミカエルから貰うのだ。


『なーんか。魔界の臭いがプンプンする』


「なにか干渉があるとでも?」


『その可能性は否めないな。セラは闘いに秀でているせいで、天使としての能力に欠けている面がある。気を付けて護衛に当たってくれ。もしかしたら近く悪魔たちから干渉されるかもしれない』


「わかりました。肝に銘じます。それで神は動いてくださいますか?」


 カイの首筋に刻まれた刻印については、目撃してしまったエリルと天使であるセラフィム以外まだ気付いていない。


 その辺はさすがに緑の妖精王といったところだ。


 だから、セラフィムは今の段階でなんとかできないか、神に問いかけてほしいとミカエルに頼んでいたのだ。


 だが、そう言われたミカエルは肩を竦めてみせた。


「ダメ……だったんですか?」


『神が言うにはそこで天界が手を差し伸べるようでは騎士王としては失格だとさ』


「そんなっ。人間にどうにかできる次元じゃないのにっ」


『俺に言われても……。その試練を乗り越えることが騎士王には不可欠ってことじゃないのか?

 俺も納得いかないけどさ。これじゃこっちが不利だ。サタンに対抗できるの神だけなのに神が知らんぷりしてるせいで手の打ちようがないなんてさ』


『ひとつだけ方法がないこともないと暗示されていませんでした、ミカエル?』


「ガブリエル様、お久し振りですっ!!」


 突然割り込んできたガブリエルにセラフィムは慌てて頭を下げた。


「それでその方法って?」


『サタンがやったことをミカエルがそっくりやり返せばなんとかなる。神はそうおっしゃっていましたよ?』


「は?」


 一言呟いてからセラフィムは頭を掻いているミカエルをじっと見た。


「ミカエル様? 一体?」


『だからー。本来俺とサタンは同格の扱いなわけで、サタンの力がずば抜けていても、同じことは俺にならできる。そういう意味だよ』


「しかしそんな……可能なんですか? 天の気と魔の気がひとりの人間の身体で混じり合うなんて」


『だから、騎士王を殺す気かって神を怒鳴り付けてやった』


 神を怒鳴る。


 さすがはミカエルである。


 セラフィムは青ざめてしまって反応できない。

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