不器用な父の日記

@nishikida00

不器用な父の日記

私の父が亡くなったのは、もう8年前のことだ。


役職離脱を迎えた父が癌に冒されて余命いくばくもないと告知されてから、たったの3ヶ月で父は旅立ってしまった。


父は仕事人間で、私の学校行事とかにはあまり興味を示さなかったと思う。

では愛がなかったかといえば、私はちゃんと愛されていた断言は出来る。


「よし」しか言わないけれどゴツゴツした手で頭を撫でながら成績を褒めてくれたり、母にはバレているけど「内緒だ」と言って修学旅行に追加のお小遣いをくれたり、大学も自由に選ばせてもらい費用も奨学金ではなく全額出してくれた。


物語の様な行き過ぎた不幸は無いし、世界一の幸福ではないかもしれないけれど、私は自分の不器用な父親が大好きだったし、多分父も私を好きでいてくれただろう。



そんな私もいまでは親になり、双子である娘と息子の母である。

父に孫を見せられなかったのは残念だけど、こればかりは仕方がないだろう。


二人はよく走り回るし、よく泣くし、それ以上によく笑う。

毎日、次は何をするかわからない突拍子もない行動だってする。


でも夫と二人三脚で「親になっていく」感覚は家族愛を強く感じさせてくれた。


それでも仕事との両立などで時折悩む日はあって、お母さんに泣きついた日もあった。

何度も躓きながら、それでも一歩一歩親として成長してきたと思う。



そんなこんなで小学生となった子ども達の春休みに、私は帰省する事となった。

子ども達は「お祖母ちゃんから貰った!」とお小遣いを手に、近所のスーパーまで夫とお菓子の買い出しに出かけていった。


家事は母が手を出させてくれず、手持ち無沙汰となった私が辺りを見回すと、父の愛用していた座椅子が目にとまる。 

ふと父が何かにつけてはペンを走らせていた姿を私は思い出すのだった。


「ねぇねぇお母さん。お父さんって日記書いてなかったっけ?」


母は今更?なんて言いながら書斎にまだあると教えてくれた。


私は少しひんやりとした書斎に入ると父がいた日々と何ら変わらない空気を感じた。


『ここで内緒のお小遣いもらったなぁ。お母さんが追加が欲しいならお父さんのお小遣いから貰いなさいって指示していた事はお父さん知らないだろうけど』と少し笑顔で思い返しながら、戸棚を探すとすぐに20冊を超えた日記を見つけることができた。


几帳面に並んだ日記の最初の背表紙には88年とあった。

なかなか梅雨が開けず、妻の体調も優れないとか東京ドームが出来たとか色々書いてある。

綺麗でしっかりとしたお父さんの字だなぁなんて思っていると、その日記帳に私の名前が現れた。


『美穂 産まれる 抱いてみると本当に小さい』


そうか。88年は私が産まれた年だ。

父は私が産まれた年から日記を始めていたらしい。


そこからはどんどん読みたくなって、ページをめくった。そして次の年へとどんどん読み進む。


『美穂はよく笑う かわいい 最初にしゃべる言葉がパパかママかで賭けをすることになった』

『最初に喋った単語は「バァバ」だった 母とお義母さんに負けた』

『お風呂でシャンプーを嫌がらなくなった! 一緒に湯船に入るとお湯が溢れて楽しいみたいだ』

『美穂の入学式に行きたいと上司と喧嘩 妻がいっぱいビデオ回して写真撮るからと言うので渋々諦め謝罪』

『お風呂はもうひとりで入ると言う 日曜日は私と入る日だったのに』

『漢字テストで満点! 頭を撫でたらワシャワシャしすぎと怒られた 反省』

『昇進した もっと稼ぐ 妻と子どもにお金の苦労はかけたくない』

『美穂の卒業式 また行けない 本当に会社を辞めてやろうかと考えたが、これからはよりお金がかかる 働こう』

『中学校でいい雰囲気の男が居ると妻が言う 認められるわけがない』

『意を決して彼氏はいないのかと聞く いないらしい まだ早いだろう』

『妻に内緒で修学旅行のお小遣いを渡す 妻は気付いてないはず』

『「お母さんには内緒」と私だけに限定ちんすこうをくれた 嬉しい 職場で食べよう』

『大学の費用が大まかにわかった 妻と話して始めた学資ローンのおかげでそこまで家計は圧迫しない 久々に夫婦で乾杯もした 美味しかった』

『成人式 車で美穂を送る 綺麗になった』

『卒業式 おめでとう』

『新社会人として苦労しているみたいだ 下手な口出しはだめ 我慢我慢』

『結婚 したいみたいだ 悔しいが悪くない男だ 酒を二人で飲んだ 任せてみよう』


めくる度に視界がぼやけ、日記を濡らしてしまう。

一日一日はとても短い言葉で書かれているが、その一つ一つがどこまでも温かかった。

父は私の思う以上にいっぱいいっぱい私たち家族を思ってくれていたのだ。


学校行事に参加したい気持ちや私の恋愛事情に悩んだり、私たち家族を養う覚悟までもがこの日記には溢れている。


最後の年の日記の頃には、もう顔はぐしゃぐしゃだった。

そして綺麗だった父の字も私の顔の様に崩れ始めた。

『痛みでボールペンが持ちにくい 妻に残せる保険金や退職金で足りるだろうか 不甲斐ない身体だ』

『妻が泣くので私も泣いてしまった やっぱりまだ生きたい』

『美穂が来てくれたお腹が大きくなりだしている 双子らしい 孫に会いたい がんばろう』

『美奈子 今までありがとう 君とだからやってこれた 愛している 美穂 幸せをありがとう』


父の愛の深さが自分が親になった今だからこそわかる。


父にもっと愛を返したかった。

もっと笑顔にしたかった。

もっともっと生きていて…欲しかった。

嗚咽と涙はこぼれ落ち、止まるまで私はずっと顔を覆うのだった。


腫らした目で書斎を出ると「お風呂沸いてるわ」と一言だけ残し母はリビングに向かっていった。


あぁ、私はまだまだこの両親には勝てない。

そう思いながら熱い湯船で私は母の顔を取り戻す。

いつか親として自慢の両親と並べる様に。

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