第22話

 アスベルとエドが自分を苦手としていることを知っているから、主人である透を困らせないように姿を隠しているのだ。


 彼は賢者マーリーンと言われていたが、実態は「紅の神子」に仕えるために永い時を生きてきた透の従者である。


 力の覚醒めていない透などより、余程色んなことができて、その力の強大さに驚かされている毎日だった。


 その彼が告げたのだ。


 アスベルとルーイの母親、イーグル王妃ビクトリアは実はフィオリナだったのだと。


 つまり母親が同じという意味で、透とアスベルたちは兄弟とも言えるのだが、透が神としてのフィオリナの子なら、アスベルたちはあくまでも人間としてのビクトリアの子で、兄弟という扱いにはならないらしい。


「俺の方が年上って話だけどさ。現実に俺の自我は15だし、俺にしてみればアスベルの方が年上って感覚なんだけどな」


「まあおれにしてもトールがおれより年上だと言われたときには耳を疑ったからな。こんな年上がいたら怖い」


「酷いなー」


 透は朗らかに笑う。


 透は戦女神の血を引いているせいか、楽天的でポジティブ思考。


 常に物事を前向きに考える性格をしていた。


 それは戦女神として生まれついたフィオリナの遺伝だと聞いている。


 そんな透では年上だと思えと言われても無理である。


 せいぜい可愛い弟くらいの感覚だ。


「でも、時々でもいいからアスベルのこと『兄さん』って呼びたいかな」


「……おい」


「いやー。俺さ。一応長男だろ? 上がいないから兄貴とか姉貴に憧れててさ。母親が同じで俺の自我的にアスベルの方が年上なら兄貴かなあって」


「ごめん被る」


「酷い。即答だよー」


「今更兄さんとか兄貴とか呼ばれたくない。背筋が寒くなるから」


「まあ俺も慣れないけどさあ。そんなにあっさり拒否しなくても」


 透はイジイジとイジけている。


 これは透の癖だった。


 透はあまり落ち込むことがないので、落ち込んだことを示すときに、イジけてみせる癖があった。


 明るい彼なりに「傷付いたぞ」と示しているわけである。


 しかしどこから見てもおふざけの延長なので、今まで真剣に受け止めてくれた人はいない。


 そんなふたりのやり取りを見ていて、エドワードは心の中で考える。


『上辺に騙されないで』


 というマリンの忠告の意味を。


 透には暗いところがなく、真っ直ぐ前を向いている強い少年に見える。


 だが、それが本当の彼なのだろうか。


 これほどの現実をこんなにもあっさり受け入れる。


 そんなのあり得るか?


 例え彼が神だとしても。


 心の中で欝屈したものを抱えているのではないか。


 それを表には出さないだけではないか。


 そんな気がして仕方がない。


 さっきから彼のことばかり考えている自分に気付き、エドワードは苦笑する。


 彼が神子である以上考えないわけにはいかないのだが、最近気が付くと彼のことを考えている。


 彼が見せる色々な表情が何故か引っ掛かるからだ。


 まあマリンから忠告されていなければ、エドにも疑問には思えなかったかもしれないが。


 そのくらい彼には濁りがなかった。


「アスベル」


「なんだ?」


 急にエドに名を呼ばれ、透と話していた彼がエドを振り向いた。


 透も彼を見る。


「ぼくにフィーナに打ち明けろというなら、きみも同席してルーイも招いて、きみも隠していることを弟に打ち明けること。できるかい?」


「なんでおれがっ」


 慌てるアスベルにエドワードはため息をつく。


「きみが言ったんだよ? 隠されている方が辛いんじゃないかって。ルーイにも知る権利があるよ。叔父上に言えないなら、兄としてきみが打ち明けるべきだと思う」


「それは……」


 父は母からの別離の言葉を聞いてから、なにか考え込むことが多くなった。


 とてもじゃないが今の父が、そういう問題をルーイに打ち明けるというのは無理だ。


 そんな状態ではない。



 無理もないが。


 性的機能の心配までされても、それでも男も女も断り続け、一途に母を愛してきたのだ。


 それが母がフィオリナだと知らされ、愛しても再会は叶わないと、結ばれないのだと別離を告げられた。


 これで傷付くなと言っても無理だから。


「……母上は父上のことを忘れたのかな」


「「アスベル?」」


「いや。あのときにマリンから、マーリーンから聞いた別離の言葉が引っ掛かってて。あんなにあっさり別離を言える程度の気持ちだったのかな? あれじゃ父上が可哀想だよ」


 沈んだ声にふたりはなにも言えない。


 だが、そこに割り込む声があった。


 さすがに無視できないのである。


「愛しているから別れを告げることもあるよ」


「マリン」


 透が中空を見るとそこにマリンが浮かんでいた。


「聞いていたのか」


 アスベルがボソッと言う。


「一応ね。トール様に危険が迫ったとき、即座に対応できるようにはしておかないといけないから」


「過保護だなあ、マリンは」


 透は呆れたようにそう言うが、マリンにしてみれば譲れないことだった。


「愛しているから別れを告げる……か」


「フィオリナ様はこの8年間、イーグル王が他の人を近付けなかったことをご存じだよ」


「え?」


「忘れられなかったんだろうね。イーグル王の様子をいつもご覧になっていた。それに第二王子のこともあったし。産まれてすぐに死に別れているわけだから」


「おれのことも見てくれていた?」


「もちろん。大きくなっていくイーグルの王子を見ては、フィオリナ様は嬉しそうに微笑んでいらしたよ。立派になったって」


 母の面影は10歳で途切れている。


 しかしそれ以後も母は見守ってくれていたのだ。


 そう思うと心が温かくなる。


「だから、だろうね。フィオリナ様が別れる決意をされたのは」


「父上の気持ちを知っていたならっ」


「イーグルの王子。これがフィオリナ様が神のままでも、またイーグル王と暮らせるとか、そういう望みがあればいいよ? でも、その望みはほとんどないんだ。それでイーグル王が亡くなったと信じている自分への愛を貫き続け、孤独を強いることをフィオリナ様が喜ぶと思う?」


「「「孤独……」」」


 呟く3人にマリンはため息。


「だれも愛さないということは、このままではイーグル王は死ぬまで孤独だってことだよ。心を通わせるだれかがいた方がイーグル王のためになる。そう考えたのも仕方のないことじゃない?」


「それが……母上なりの父上への愛の証?」


「忘れてほしい。そう告げてほしいと言われたとき、フィオリナ様は珍しく泣いていらっしゃったよ」


 戦女神が泣くことはほとんどない。


 そう言われていた3人である。


 そのフィオリナが泣いたのだ。


 別れを切り出すことが、どんなに辛かったのか、それは伝わっていた。


 実際に今になって気付くのも間抜けだが、アスベルでさえ母の泣き顔を知らないのだ。


 母が泣いたところは見たことがなかった。


 その母が父へ「忘れてほしい」と告げるときに泣いた。


 それは別れを切り出すことが、母にとっても辛かったからだ。


「だから、イーグルの王子。勘違いしないでほしい。気持ちが冷めたから、愛情が薄れたから別れを告げたわけじゃないんだ。反対だよ。愛しているから、これ以上縛りたくなくて別れを告げたんだ」


「でも、父上にとっては」


「うん。わかってるよ。後は時が解決してくれるのを待つしかないね。イーグル王もいつかは立ち直ると思うよ」


 一生涯をかけても愛し抜きたい女性だった。


 だから、ランドールは別れを告げられて、忘れてほしいと言われてショックを受けている。


 だが、現実に彼女がフィオリナである以上、ふたりがまた同じ時を生きることはできないのだ。


 辛くても受け入れて乗り越えるしかない。


「本当に母さんはもうランドールと暮らせないのかな」


「トール様?」


「いや。疑問に思ってて。神だから人間とは一緒に暮らせないっていうなら、俺は?」


「「「……」」」


「俺だって母さんの血を引く神子なんだろ? でも、俺はこうして人の世界で生きてるよ? そりゃ生きる時は重ならないかもしれないけど、俺に可能なら母さんだって」


「神子。あなただっていつまでも人の世にいられるわけじゃないよ?」


「「「え……」」」


「神が人間と暮らせない本当の理由はね。神の存在が人間にとって良くないから」


「良くない?」


「神子も言ったよね? 争いの火種にはなりたくないって。そういう意味だよ。神の存在は人間にとっての幸い。人間にとっての救い。同時に……人間にとって絶対的な力を持つ神は災いとなり得る」


 神が災いとなると言われて言い返せなかった。


 それは透が1番危惧していたことだから。


「もしフィオリナ様がどうしてもイーグル王を忘れられなくて、神としての禁忌を犯してまでも一緒に暮らすことを望み、もしまた人の世に現れたら、当然、人々は知るよね?

 ビクトリア妃がフィオリナ様だったこと。イーグルが先女神を掲げていることを。それがなにを招くかわからない?」


 どうしてフィオリナとして覚醒めてしまった今、彼女がランドールの下へ戻れないのか、3人はやっと理解した。


 自国を護りたいから、ランドールの護る国を脅かしたくないから、フィオリナは彼の下へは戻れないのだ。


 だから、8年間見守るだけで生きていることを伝えようとはしなかった。


 透が現れるまで。


 そのことを知ってもうだれも反論できなかった。






 フィーナとルーイは兄たちに招かれて第一王子の宮にやってきていた。


 実際のところ、アスベルの婚約者であるフィーナはともかくとして、王位を巡って対立させられているルーイを宮に招くのは、かなり困難だったのだが、そこは王であるランドールが言い含めていた。


 自分にはできない説明だから、第一王子であり兄であるアスベルにさせるのだと。


 当然だが臣下たちはその問題とはなんなのか。


 アスベルがなにを知っていて、どんな説明をさせるのか知りたがったが、ランドールがそれを説明することはなかった。


 そうしてふたりは今、第一王子の宮にいる。


 傍にはふたりの兄と透がいた。


 ルーイは最初憧れの兄の宮に行けるとあって浮かれていたが、やってきてみるとその場の雰囲気の重さに呑まれてしまった。


 とにかく重苦しい雰囲気がその場に漂っているのだ。


 これで明るく振る舞えと言われても、正常な精神を持っていたら無理だ。


 フィーナも思い詰めた兄の様子から、等々打ち明けてもらえるのだと知り、表情を引き締めている。


 ただその場に何故他国の王子たちや透まで招いたのか、彼女にはわからなかったのだが。


「わたしの問題は後回しになるけど……いいかい、フィーナ?」


 彼女の正面に座っているエドがそう言った。


 フィーナは首を傾げる。


「どうして?」


「わたしの問題を打ち明けるためには、どうしてもアスベルたちの問題から打ち明けないと話が通じないからだよ」


「つまりお兄様の秘密にアスベル様たちも関わっていたってこと?」


「そのことを知ったのは昨日の今日なんだけれどね。わたしは最初はアスベルたちは関係ないと思っていたし。ただわたしの問題をアスベルに打ち明けた後である出来事があってね。そこからアスベルたちも無関係ではないとわかってしまったんだ」


 フィーナの視線がアスベルに向かう。


 彼女はルーイが自分同様なにも知らされていないことはわかるので、ルーイの方は見なかった。


 そのルーイも不安そうに兄を見ている。


 このところの兄や父の様子はただ事ではなかったから。

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