第18話

「そうとう長生きしてるらしくって、年齢ではランドールよりも遙かに上。

 そのせいで俺のことにも詳しいらしいんだよ。俺もさっき逢ったばかりだけど、マリンの方は俺のことはよく知ってるらしい」


「どうして異世界からきたおまえのことをよく知ってるんだ?」


「それは」


「それにさっき逢ったばかりにしては親しすぎない? ボクを兄さんから遠ざけようとするなんて何様のつもり?」


 暁はめっきりマジである。


「何様って。ぼくは偉い人だよ?」


 シレッと言うマリンに3人は頭を抱え込む。


 特に性格をよく知っているアスベルとエドは、これから毒舌がはじまりそうだと青くなった。


 彼にしてみれば透は主人なわけだし、ここは引き下がらないだろう。


 頭が痛い。


「そっちこそ義理の弟程度の分際で何様のつもり?」


「なっ。義理の弟程度の分際って……っ」


 暁が絶句している。


 マリンは嬉々として暁をイジめていた。


「そもそもトール様に自分が相応しいなんて思ってるわけ? トール様の弟としては役不足だね。顔を洗って出直してきたら?」


「……なんでここまで言われないといけないわけ?」


 暁はフルフルと震えている。


 見兼ねて透が割って入った。


「マリン。いい加減にしろっ!!」


「……トール様」


「そうやって俺に近付く人間を片っ端から遠ざけるつもりか? 俺だって生きてるんだよっ!! 近付く人間を制限されて嬉しいわけないだろっ!?」


「でも、トール様を護るのがぼくの」


「それは言わない約束しただろ、さっき? 有り難いとは思ってるよ。でも、行き過ぎた行動はやめてくれ」


「……行き過ぎた行動じゃないよ。これは彼のためにもなる行動だよ?」


「マリン?」


 マリンは真面目な顔をしていた。


 出逢ってから彼がこういう顔をするのを初めて見るかもしれない。


「これから先、ただの人間がトール様の傍にいるのは、ただ危険なだけだよ」


 邪神に狙われているという事実を思い出し、3人とも答えに詰まる。


 確かにこれはマリンなりに暁を危険から遠ざけようとしているのかもしれない。


「トール様が望むなら、彼らを元の世界に戻すことは、ぼくになら可能だよ?」


「できる……のか、マリン?」


 ふたりを元の世界に戻せる?


「紅の神子」である透は戻れないだろう。


 もうそれまでとは状況が違う。


 でも、ふたりを戻してやれる?


 透の視線がふたりに向かう。


 ふたりの顔は強張っていた。


「おれたちをっていうけど……そのときは透も一緒だよな?」


「ボク、ひとりでは戻らないよ? 兄さんと離れてなんて生きていけないっ!!」


「暁……隆………」


 戻ってもらうならふたりだけだ。


 透の本来の居場所はフィオリナの信仰が広がっているこちらなのだから。


 でも、それは言えない。


 どういって説得すればいいんだろう。


「まあ今すぐ決めなくてもいいんじゃないか?」


「アスベル」


 割って入ったアスベルを透が縋るようにみる。


 視線の先ではエドも頷いていた。


「トールがふたりを気遣う気持ちもわかるけれど、ふたりの気持ちも大事だからね。

 なにも教えないまま、なにひとつ知らないまま、ただ帰ってほしいと望むのは、それは傲慢ってものじゃないかな?」


「でも、このままじゃ」


 透の問題にふたりを巻き込んでしまう。


 生命を狙われるような危険な問題に。

 まして透は「紅の神子」だ。


 透は人間じゃない。


 これから先、普通に成長するかどうかだって怪しい。


 マリンみたいに永い年月を変わらない姿で生きていく可能性の方が高いのだ。


 それをふたりに知られたら……そう思うと動けない。


「兄さんがなにを隠しているのかは知らない」


「でも、おれたちなにも知らないまま、ただ帰ってくれと望まれても、おれたちは拒否する」


「ふたりとも」


「ボクたちが兄さんを大事に思ってる気持ちを認めてよ。これまで過ごしてきた時間は嘘じゃないでしょう?」


 ここまで黙っていたみていたマリンが口を挟んできた。


「帰すのはいつでもできるからね。覚悟ができるのを待てばいい」


「マリン」


「ただ必要以上にトール様に近づかないでほしいっていうのは、ぼくが近づけないっていうのは本音だからね。それは譲れないよ」


「きみになんの権利があるの?」


 暁とマリンの間で火花が散る。


 どうやら外見年齢が近い分、ふたりの相性は悪いらしい。


「どんな権利があるか、それはきみが知る必要のないことだよ」


「疎外しないでよっ!!」


「言うなと口止めされてる。トール様にね」


「兄さん?」


「透?」


 ふたりが信じられないと透を見る。


 見られても透には返事ができなかった。


 そこまで話し合ったとき、エドの顔色が変わった。


 近付いてくる喪服姿の侍女を見て。


 隆もハッとしたような顔をしている。


「エドワード様」


「……なんだい?」


「アスベル様の宮へ出向かれるのでしたら、一言くらいおっしゃってください」


 どうして自分を連れていかなかったと責められてエドは困った顔になる。


 するとトコトコと近付いていったマリンが、ひょいっとヴェールをめくりあげた。


「マリンっ!! なにしてるんだっ!?」


 透がひっくり返った声を出す。


 侍女も硬直しているようだった。


「あー。やっぱりフィーナだあ。そうだと思ったんだよね。気配が同じだったから。どうして侍女のフリなんてしてるの?」


「マリン様っ!!」


 エドが焦った声を出す。


 その隣ではアスベルが眉をしかめていた。


「フィーナ? まさかフィーナ姫?」


 開き直ったのかフィーナはヴェールを脱ぎ捨てて、呆然と見ている兄に詰め寄った。


「この子なんなのお兄様っ!!」


「いや。なにと言われても」


「どうして喪服まで着て侍女のフリをしていたのかわからないじゃないっ!! どうしてくれるの、この事態っ!!」


「フィーナ。怒っているのはわかるけれど、婚約者であるアスベルの前だよ? もうちょっと抑えて」


「婚約者?」


 暁が呟いてじっとアスベルを見る。


 アスベルは心持ち視線を外していた。


 どうやら恥ずかしいらしい。


「もう~。計画が台無しじゃない。もうちょっと人柄を知ってから思っていたのに」


 言いながらフィーナはアスベルに向き直った。


「お初にお目にかかります、アスベル様」


 アスベルはなにも言えない。


 チラリとその目がフィーナを捉えた。


 母に似ているなと思う。


 透ほどではないが。


「不躾な形でお目にかかったことをお許しください。わたしはどうしてもこの目でアスベル様のお人柄が知りたかったので」


「おれの人柄?」


「はい。周囲から聞く噂とお兄様から伺ったお話とでは、アスベル様はまるで別人でした。どちらが本当のアスベル様なのか、わたしはどうしても知りたかった。

 だから、お兄様にお願いしてこっそりお逢いすることにしたのです。どうしてもてらいのない真実のアスベル様に逢いたかったので」


「そんなの普通に逢いにきても」


「そうでしょうか? わたしがログレスの王女として、アスベル様の婚約者として逢いにきていたら、アスベル様が素顔を出されることはなかったはずです。王子として接されたはずです。違いますか?」


「……違わない」


 確かに彼女が正式な手順を踏んで逢いにきていたら、アスベルは婚約者として大国ログレスの王女として、彼女を扱っただろう。


 決して素顔は見せなかったはずだ。


 普段通りの姿を見せることはできなかっただろう。


「わたしも猫を被るのはやめます。だから、アスベル様も普通に接してください」


「え? でも、婚約者に対して」


「だから、そういう遠慮を捨ててほしいと言っているの!! まだわからないっ!?」


「はい。わかりました」


 アスベルは冷や汗を掻いて、そう答えていた。


 こっそり隣のエドに声をかける。


「おい。深窓の令嬢だったんじゃないのか? 淑やかな姫はどこにいった?」


「淑やかだよ? ただ……少々お転婆なだけで」


「少々? かなりだろっ!?」


 結婚したら尻に敷かれそうで、アスベルは冷や汗を掻いている。


 その様子を眺めていた透は、繁々と彼の婚約者の顔を覗き込んだ。


 フィーナがちょっと戸惑った顔になる。


「あの?」


「あ。ごめん。きみがアスベルの婚約者なんだって思ったら、つい。可愛いね?」


 露骨な褒め言葉にフィーナは赤くなった。


 普通によく聞く賛辞だが、彼の場合、本気で言っていることがわかるので照れたのである。


「俺たち兄妹で通るかな?」


「それを言うなら姉弟だよ、透。フィーナ姫の方がおれたちよりひとつ上だから」


「えっ!? 16!? 見えない~」


「なんだか変な人ね」


「仲良くしようね」


 透に手を差し出されてフィーナは黙って彼の手を握った。


「意外な来客はあったけどマリンを父上に紹介しないといけないから、とりあえず姫は姫らしくしていること。いいな?」


「姫らしくってアスベル様」


「侍女のフリをする姫のどこが姫らしく振る舞ってるって?」


 呆れて言えばフィーナは赤い顔で黙り込んだ。


 こういうところは可愛いなとアスベルも思う。


「アキラとタカシ、だったか? エドの客人は悪いけど部屋で待機していてくれ」


「兄さんは?」


 暁が不安そうに問いかける。


「マリン様のことはトールも当事者だからね。彼は外せないから」


 エドにそう言われ隆が不安そうに彼に問いかけた。


「エドワード様も透の事情をご存じなんですか?」


「まあわたしも当事者だからね」


「エドワード様が当事者?」


「その話はまた機会があればね」


「お兄様!!」


 4人で立ち去ろうとしたとき、フィーナが思い詰めた声で兄の名を呼んだ。


 エドが妹を振り返る。


「なんだい?」


「お兄様になにか秘密があることはわたしも知っているわ」


「フィーナ」


「それがどんな秘密かは知らない。お父様もお母様も教えてくれなかったから」


「ごめんね? 黙ってて」


「待っているから本当にいつか打ち明けてね? せめてわたしが嫁いでしまう前に」


「そうするよ。近く必ず打ち明けるからね。事態は……すでに動き出しているから。だだビックリされないといいんだけどね」


 そう言って笑ってエドは残りの3人を促すと移動した。


 残された人々はそれぞれに複雑な事情から口を噤んでいる。


 だれも沈黙を破ろうとはしなかった。

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