第12話

「トール様もご存じのように、アスベル様は次代のイーグル王です。

 ですがアスベル様は邪眼の王子と呼ばれ、近隣諸国からも軽視されています。正直なところ、このままではいつ世界のバランスが狂うか」


「だから、この国には『紅の神子』が必要?」


「同時にこんなことはエドワード様には言えませんが、ログレスが大国すぎてイーグルの権力をなくしたら、対抗できない国々が沢山ある。人々はログレスによる圧政を恐れています」


「つまりログレスと敵対しても国を滅ばされないために近隣諸国も神子が必要?」


 それでは救いがないではないか。


 だが、アインの説明はそれだけではなかった。


「そして周囲がそういう動きを見せれば、当然ですがログレスとしても神子は放置できなくなります」


「……」


「結果として1番いいのは、このイーグルが神子を得て、かつての影響力と敬意を取り戻すことです。

 ですがアスベル様を邪眼の王子と信じる近隣諸国にとって、それは許しがたいこととなる。

 ですから神子は争いの火種になると言われるわけです。そのことは神子のせいではありません。むしろ我々人の……」


 弱々しく透はかぶりを振った。


 ログレスの王子、エドワードに見られているとも知らずに。


「結局、人知を超えた力は人には扱いきれない力なんだ。神子なんて……いない方がいい」


「あなたがそんなことを言ってはいけません、トール様!!」


「……アイン」


「王子は……アスベル様はあなたを信じている。そのことを忘れないでください」


「でも、俺は」


「人違いでもいいんですよ。今のあなたがアスベル様にとって掛けがえのない存在だから」


「俺には……そんな力はないよ」


 震える透をアインはしっかりと抱き締めた。


 その不安を拭うように。





 それを見届けたエドワードは混乱したまま、そっとその場を離れた。


 さっきの説明なら理解できないことはない。


 そういう恐れがあることはエドワードも報告を受けていた。


 ログレスがあまりに大国に育ちすぎて、周囲を圧倒しているという噂なら。


 自分たちは圧政なんてしない。


 それにエドワードが神子を求めるのは個人的な理由であって、そのことからログレスが神子を求める理由も、近隣諸国の危惧とは一致しない。


 すべてエドワードのためなのだ。


 ログレスもまた生き残るために必死なのである。


 またアスベルをイーグル王として認めないなら、イーグル王としての敬意を払っていないなら、彼に妹を嫁がせるわけがない。


 いつか滅ぼす国なら、そんな真似はしない。


 つまりイーグルとログレスのあいだは悪化しようがないという状況なのだ。


 但しエドワードが神子を欲していると伝わったときまで、この友好関係が続くかどうか、そのことはエドワードにも自信はない。


 それにしても不可解なのは透のあの言葉。


 神子に対する諸国の価値観と期待に対する激しすぎる拒絶反応。


 そしてアインのあの言葉。


 アスベルが彼を信じている。


 どういう意味だろう?


「紅の神子」をだれよりも求めているアスベルが、彼を信じて彼をかけがえのない存在だと認めている。


 それはなにを意味する。


 そしてあのフィオリナの化身と言われた叔母にそっくりの外見。


 まさか、とは思う。


 そもそも瞳の色が違う。


 でも、現状はすべてそれを意味している。


 しかし。


「神子は女性なのだろう? これではわたしは」


 導き出される答えと自分に自分に必要な現実が噛み合わない。


 どうすればいいのだろう。


 彼は男だというのに本当にそうだったらどうしたらいい?


 それでも予言は自分に神子を奪えと告げるのだろうか。


 男である彼が神子であっても。


『男だとか女だとか、それがそんなに大事?』


「この声……マーリーン様!? どこに……どこにいらっしゃるんですかっ!? 出てきてくださいっ!! あなたの予言の意味を教えてくださいっ!!」


『まだ出ていけないんだなあ、それが』


「どうしてっ」


『神子がぼくを必要としてないからね。神子が心からぼくを必要とするまで、ぼくは待つしかない。ぼくはフィオリナ様の命令には逆らえない』


 それは真実なのだろう。


 いつになく真摯な声だった。


『さっきも言ったけど男だとか女だとか、そういう区別がそんなに大事?』


「ですが……万が一神子が男なら妃には迎えられません。それで奪えと言われても」


『ぼくねえ、確かに結ばれる必要があるとは言ったけど、結婚しろとは言ってないよ』


 あっけらかんと言われて思わず黙り込む。


 いや。


 しかしあの状況であんなことを言われたら、普通はそう受け取らないか?


 こちら側がすべて悪いのか?


 そんなバカなっ!!


『まあ確かに肉体的な意味ももちろん含んでるけど、神子が男だったとしても女だったとしても、1番大事なのは神子に愛されて心が結ばれること』


 心が……結ばれる?


『神子が女だった場合、確かに結婚は心が結ばれた最終形態ではあるよ? でも、もしきみが神子が必要だという理由だけで、強引に無理強いで妃に迎えたら、きみを待つ運命は変わらないんだよ』


 神子と結ばれても結婚しても、自分を待つ運命は変わらない?


 大事なのは神子に愛されること?


『もちろんきみ自身も神子を愛さないといけないよ? 愛し愛されること。それがきみの場合は必要なんだ。

 例えば神子が男だった場合、王位を捨ててもいいほどに愛する。

 女性とは結婚できないほどに必要とする。世継ぎを殺しても神子を取る。

 そしてそのきみの想いに神子も同じだけの想いで応える。そうでなければきみを待つ運命は変えられないんだよ。もちろんこれは女の場合にも当てはまるからね?』


「どうして……そんな大事なことを最初に言ってくださらなかったんですか? もしこのまま勘違いしていたらっ」


 エドワードはなにもない空間を睨む。


 もし勘違いしたままだったら、自分はなんのために神子を選んだのかわからない状態になるところだった。


 男だとか女だとか関係なく。


 確かに男でも女でも愛し愛されることが必要なら、性別はこの際、度外視だ。


 まあ実際に男だった場合は、ちょっと考えなければならないが。


『え~。だってぼくはあれでわかると思ってたんだもーん。この程度のことできみが混乱するなんて思ってなかったんだもーん』


 この人は!!


 目の前にいたら殴りたい心境だ。


 もちろんそんな真似は自分にはできないだろうが、アスベルならやっている気がする。


『きみに必要なのはあくまでも「紅の神子」なんだよ? 神子が男でも女でも、それは変わらないんだよ』


「マーリーン様」


『ただ』


「ただ?」


『自分が「紅の神子」だからという利用だけで愛される。愛を求められる。そのことを神子はどう思うかな』


 グッと言葉に詰まる。


 確かに自分ならログレスの王子だという理由だけで愛されたなら、おそらく相手を愛することはできないだろう。


 だったらどうしろというのだろう、この人は?


『言ったよね? きみ自身が神子を愛することに意味があるって。それは「紅の神子」をという意味じゃない。生きているひとりの存在として、だよ? 今度意味を取り違えても助けてあげないからねー』


「最後にひとつだけ教えてください」


『なに?』


「あなたの目に……いえ。フィオリナ様の目にわたしの未来はすでに視えていますか? これからわたしのすることは悪あがきに過ぎないんですか?」


『……悪あがきに過ぎないとして、きみは諦めがつくのかい?』


 震えて目を開けられないエドワードに静かな声が降り積もる。


『きみも人間ならせいぜい足掻いてご覧よ。悪あがき。結構じゃないか。人間なんて足掻いて足掻いて生きてる存在なんだから』


「そうかもしれませんね」


『少なくともフィオリナ様はまだおっしゃっていないよ? 神子が愛するのはだれか、なんて』


「それは」


 自分にはまだ足掻く資格があるということか?


 神子を苦しめ傷付けるだけでは終わらないということか?


『ぼくに視えるのは未来の断片。フィオリナ様に感じられるのは神子の心。今のフィオリナ様にはそれが限界なんだよ。だから、神子をきみたちの世界の人間に託されたんだから』


 フィオリナは一体どういう状態なんだろう?


 少なくとも普通の状態ではなさそうだが。


『選ぶのは神子ときみ自身なんだよ』


「神子とわたし自身」


『だから、忠告してあげるね。神子が不安がっているときは、なるべく助けて支えになってあげた方がいい。神子は今揺らいでいる。とても不安定。だからこそ支えになってくれた人に流されやすいからね』


「ありがとう……ございます」


『なんのことかなあ』


 声は照れているように聞こえる。


 確かにマーリーンにしてはかなりのお節介だ。


 珍しい。


『まあ精々頑張って。男の神子と巡り合うか、それとも女の神子に巡り会うか。それで正常な道を生きるか、それとも普通じゃない道を選ぶか、それが決まってくるね』


「人の苦悩を楽しんでませんか?」


 じっとり問いかけると陽気な笑い声が聞こえてきた。


『最後の忠告だよ。……上辺に騙されないで』


「え?」


『色んな意味の込められた忠告だよ。その意味をすべて理解することができたなら、真実の神子に気付けるはずだよ。じゃあ、ね』


 真実の神子?


 それは上辺に騙されなければ、神子がだれだかわかるという意味か?


 それとも神子がだれだったか、はっきりしてからも通用する忠告か?


 意味がわからなくてエドワードは迷う。


 神子は今揺らいでいる。


 とても不安定。


 そう言われた言葉が蘇る。


 その言葉に当て嵌まる人物。


 それは……。


「トール」


 崩れそうだった透の姿を思い出す。


 やはり彼なのだろうか。


 では、どうすればいい?


 自分は同性を恋愛の対象とする性癖ではない。


 なのに真実の意味で愛し愛されろと?


 それがどんなに困難なことか、マーリーンにはわからなかったのだろうか。


 そもそも彼がそうだったとしても、彼だって同性をそういう対象として見るタイプには見えなかったし。


 それでもやり遂げるしかないのだ。


 それだけが自分に残された選択肢だから。


 未来を掴むために足掻き続ける。


 それしか許されないから。


 できなかったときのことは考えない。


 考えてもそのときは無駄だから。


 彼が神子だったとして、自分が彼を心から愛し彼に愛されないかぎり、自分には未来がない。


 それは変わらないから。






 エドワードは大体のことを掴んでしまった。


 まだ運命は動き出さない。


 けれど歯車は回り始めている。


「紅の神子」


 その存在を中心に動き始める国々。


 アスベルに課せられた試練。


 エドワードに課せられた試練。


 そのすべてが「紅の神子」に集結していく。


 そして世界の中心たる大国ログレスと、周囲から敬意を集めているがために中心に位置していた古王国イーグル。


 ふたつの国の運命も「紅の神子」を中心にして動き始めていた。





 その日、透には幾つもの出来事が同時に起きた。


 まずは昼。


 エドワードにお茶会に呼び出され、彼の悩み相談を受けることになった。


 ローズティーを出され、如何にも似合うななどと思いながら、透はひとり彼と相対している。


 正直なところ、アインから話を聞いたばかりだったので、今、彼と向き合うのは怖かった。


 しかし透は自分が神子だとは思っていなかったので、彼の誘いに応じお茶会の席にやってきた。


 そうしてお茶を飲んでいるときに彼が話し出したのである。


「きみはあの初対面のお茶会のときに言ってくれたよね?」


「なにを?」


「『頼ってもいいと頼ってくれと言ってくれる人がいるあいだに頼った方がいい』って」


「ああ。そのこと? 確かに言ったけど?」


「アスベルに打ち明けるかどうか、それを決めるために最初は部外者のきみの意見を聞きたくてね」


「部外者の意見なんて参考になるのか?」


「いや。わたしもアスベルもあまりに問題に近すぎて冷静に話し合えるかどうか、その自信がないんだ。だから、部外者のきみが冷静に話を聞いて、彼に打ち明けてもいいと思えたかどうか、それを知りたいんだよ」


「ふうん。で。なに?」


 透はさりげない態度でお茶を飲んでいる。

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