第11話
透が回廊を歩いていると、どこからか言い争う声が聞こえてきた。
なんとなくその声を追って歩く。
すると近付くほどはっきり内容が聞こえてくる。
「だからっ!! どうしておまえは俺に突っ掛かるんだ、ジュリア!!」
「あんたとあんたのところの王子が気に入らないからよっ!! あんたね、仮にも王子の護衛なら姫様のことは諦めろって言いなさいよ!!」
王子ってアスベルか?
それともルーイか?
姫様を諦めろって?
言葉遣いは聞き慣れないけど、言い争っているひとりはアインだよな?
ってことはアスベルの方?
もうひとりはどう聞いても女の人みたいだけど。
「ははーん。ヤキモチだな、ジュリア?」
「な、なによ」
「フィーナ様の婚約者がアスベル様で妬いてるんだろう?」
ゲッ。
アスベルの婚約者!?
婚約者なんていたのかっ!?
さすがは現役の王子様。
「妬いてなんかないわよ!!」
「おまえまさかフィーナ様には手を出してないだろうな?」
なんだろう?
会話の内容が不安だ。
声がはっきり聞こえるところにきて覗き込むと、中庭の片隅でアインと綺麗な女騎士が向かい合って立っていた。
女騎士だったのか。
あの格好、ログレスの女騎士かな?
見慣れない格好だけど。
「出すわけないでしょ!! バカにしないでっ!!」
「どうだか。フィーナ様ってモロにおまえの好みだからな」
はい?
女の人だよね?
で、アスベルの婚約者という事実からも、名前から考えてもフィーナと呼ばれているのも女の子のはずで、それが……好み?
ザッと血の気が引いた。
百合ですか?
本物の百合ですか!?
「なにせ戦女神フィオリナ様の化身と言われたビクトリア様に似てるんだ。おまえフィオリナ様を理想としてたし。女好きのおまえのことだ。フィーナ様に懸想してるんだろ?」
やっぱり百合だー!!
透は声もなく絶叫する。
姿を見られるわけにはいかない気がして慌てて隠れた。
柱の影からそっと顔を出す。
「あんたが人のことをどうこう言える趣味してるの?」
「っ」
「ルーイ様には手を出していないでしょうね? ま。アスベル様の護衛をしているという立場上、ルーイ様には手を出せないでしょうけど。可愛い男の子が大好きなあんたでも」
今度は薔薇!?
やめてくれ!!
ルーイが好みってルーイはまだ子供だぞっ!?
大体ルーイが好みだったら、俺や暁だって危ないじゃないかっ!!
アスベルは……まあ大丈夫か。
すでに可愛いという次元じゃない。
ただ小さい頃は可愛かったんだろうなとは思う。
その傍に薔薇嗜好のアイン。
なんだか冷や汗が出るんですけど!?
「そういう会話は聞こえないところでやってくれないか?」
穏やかな声が聞こえてくる。
大人の男性の声だ。
気付かれないように注意して覗き込むと、栗色の髪に茶褐色の瞳をした男性がいた。
年齢は25から8くらいに見える。
年齢を特定しにくいが美形だ。
とびっきりの。
逞しい身体付きをしている。
その男性を見たとき、何故か硬直して動けなかった。
「「オズワルド様っ!!」」
「ふたりとも優秀な騎士なんだが、その性嗜好だけは困ったものだね。おまけにお互いが1番理解できる嗜好同士だろうに、どういうわけか犬猿の仲だし」
苦笑した彼から漏れた言葉で硬直から解かれる。
なんで泣きそうになってるんだろう?
変なの。
そう思いながら浮かんでいた涙を拭う。
「ジュリアのことは1番理解できない関係です」
「あんたなんて最低な男の中でも更に最低よ。男の中でもグズ同然だわ」
「なんだとっ!!」
「ああ。もうその辺にして!!」
オズワルドと呼ばれた男性が仲裁すると、ふたりとも一応黙り込む。
どうやら偉い騎士らしい。
「「失礼しました!!」」
ふたりがきっちりと敬礼する。
それを振り向いてオズワルドは徐にアインの方を振り向いた。
「ところでひとつ訊きたいことがあるんだが」
「なんでしょうか?」
「『紅の神子』がイーグルに現れたというのは本当か?」
アインは顔色ひとつ変えない。
ただじっと表情を消して見返すだけで。
だが、相手の方が上手らしかった。
ため息が漏れる。
「事実、か」
「オズワルド様。あの」
「『紅の神子』は争いの火種になる」
え?
透が真っ青になるとオズワルドと呼ばれた男性はもう一言だけ言い置いた。
「イーグル側がどうして隠しているのかは知らない。だが、もし神子を手中にしているなら、それだけは常に意識しておいた方がいい。
情報はどこから漏れるかわからない。そして漏れた場合、イーグルを滅ぼしてでも神子を欲する者は必ず出てくるだろう」
「そんなことにはさせません」
「そう簡単に済めばいいけれどね」
オズワルドはそう言って急に透に声を投げた。
「そう思わないかい? そこの柱に隠れているきみ」
言われて仕方がないので出ていく。
「トール様!!」
アインが素っ頓狂な声を出す。
青くなったり赤くなったり、それは忙しかった。
透はそれどころではなかったが。
「紅の神子」が争いの火種になると言われて。
それはもしかしたら自分かもしれないのだから。
「きみは……」
オズワルドがパチパチと瞬きをしている。
なにかを思い出そうとしているような、そんな感じに見えた。
「俺はなにも聞いてませんから。失礼します」
これ以上ここにいられなくて透は踵を返した。
「トール様っ。待ってくださいっ!!」
アインが透を追いかけて去っていく。
その背中をオズワルドは動けずに見送っていた。
「オズワルド様?」
ジュリアが気遣わしそうに名を呼ぶ。
だが、オズワルドは振り向かない。
また彼だけが抱える闇の中へ入っていったのだろうかとジュリアは思う。
オズワルドには記憶がない。
10年前、路頭に迷うところを幼いエドワードによって助けられ、それ以来騎士として仕えてきただけで、どこのだれとも素性は知れなかった。
オズワルドと名付けたのもエドワードである。
時折なくした記憶が蘇りそうになるのか、オズワルドはひとり自分の世界へと閉じ籠ってしまう。
そういうときは声をかけても返事がないのだ。
だが、なにが引き金だったのか、それがわからなくてジュリアはそっと息を吐いた。
「トール様!! 待ってくださいっ!!」
アインが早足に移動する透を追いかけている場面を、客人のエドワードが見付けた。
彼はアスベルのところへ行こうとしていたのだ。
不思議そうな顔になってふたりを見る。
早足に移動していても男としては小さい透である。
大柄なアインを撒けるわけもなく、あっさりと捕縛された。
透は顔を上げない。
エドワードは気掛かりでその場を動けなかった。
「あまりお気になさらぬよう」
「だってあんなの……『紅の神子』が争いの火種になる、なんて!!」
必死な透の形相と彼が紡いだ意外な科白に、エドワードも真面目な顔になる。
(「紅の神子」?)
「『紅の神子』は救世主じゃなかったのか? 救世主が争いの火種になったら、それはもう救世主とは言わないよ!! 災いの種じゃないか!!」
「神子は救世主ですよ」
言い分が白々しく聞こえて透がアインを睨む。
だが、アインはその視線を真っ向から受け止めた。
「本当に神子は救世主なんです。戦女神フィオリナ様の信仰が行き届いているところ、すべての国々にとって救世主なんです」
「え……?」
すべての国にとっての救世主?
ではその救世主をもしも一国だけが得ていたら?
どうして争いの火種になるのか、透にもやっと理解できた。
「でも、救世主が必要なほど危険な国ってそんなにないよな?」
そうであってほしいという願いにアインは静かにかぶりを振る。
透は青ざめることしかできない。
「この近隣は大国ログレスと小国ながらも歴史が古く古王国と呼ばれるこのイーグルによって統括されてきました。
イーグルは確かに小国です。国力も大したことはありません。ログレスだけではなく、大抵の国には武力では太刀打ちできません。それでも中心にいるのはイーグル王へ寄せる人々の敬意があるからです」
次のイーグル王。
アスベルを人々は伝説の邪眼の王子だと思っている。
それは影響力の弱体化を意味しないか?
世界のバランスが狂いかけている?
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