第9話






 隣国のログレスから王子の一行が、身分を隠した王女を連れて出立した頃、イーグルでは普段通り和やかな食卓風景が広がっていた。


 透たちがやってきて王の宮に招かれてからというもの、母親そっくりの透になつき暁と親友になってしまったルーイも、透の身を気にしてくれているアスベルも、毎日のように訪れるようになっていたので、王はとても上機嫌だった。


 それまではそれぞれの宮で食事を摂っていたのだが、ここ最近はずっと家族揃って摂っている。


 それが嬉しいのだ。


 夢にまで見た一家団欒。


 透たちを王の宮に招いたのは間違っていなかったと、ランドールは噛み締める。


 それに透は本当に妃に似ている。


 男だとはわかっているが、時々それを忘れそうになる。


  例えば妃と同じ明るくて物怖じしない性格。


 常に前向きに物事を考えていて、ほとんど暗く落ち込むということがない。


 周囲に花や光を与えてくれる存在。


 それが透だった。


 そういうところまで妃と同じである。


 妃も周囲にぬくもりを与えてくれる女性だったから。


 ランドールが透を傍から離そうとしないので、臣下たちはあることを画策しつつあった。


 これは好都合として。


 しかしそれらはまだ表立っていない。


 今のところは穏やかな食卓風景が広がるイーグル城だった。


「う~ん。見事に脂っこい料理ばかりですね」


 ここしばらく王家の食卓に混じっている透がそんなことを言う。


 彼は歴史には詳しくないが、こう肉料理ばかりでは身体に悪いという常識くらいなら理解していたので。


「そうか? これでも豪勢にするように手配しているつもりだが」


 ランドールは不思議そうである。


「中世の狩猟民族と同じ食生活だよね。肉料理主体って」


 歴史に詳しい暁が言う。


「ちゅうせい?」


「あ。えっと。世界の文明的に中間の位置にあった時代って意味、かな」


「なるほど」


「たしかにイーグルは狩猟民族国家ではあるけど、それがなにか悪いのか?」


 アスベルも肉料理を平らげながら不思議そうに言う。


「俺たちの世界では肉を食うなら、20種類以上の野菜を肉の10倍は食えって常識があるんだよ」


「「「肉の10倍……」」」


 透は多少大袈裟に言っている。


 このままでは自分たちまで病気になりそうだったので。


「肉だけじゃなくて野菜、魚。色んな食材を身体に取り入れること。そうでないと病気になりやすくなるんだ。そうだよな、暁?」


「そうだね。栄養のバランスは大事だね。健康で長生きしたかったら、なんでも好き嫌いせずに食べることが大事だよ」


「たしかにイーグルの平均寿命は短いが」


「野菜も魚もそんなに食べないぞ、おれたちは。そんなに大事なものだったのか?」


「ぼく野菜食べた~い。お肉キライ」


「ルーイは相変わらず肉嫌いか。そんなことではこの国では生きていけないぞ?」


 親としてランドールが諭す。


「いや。たしかに肉はたんぱく質だから摂らないとダメだけど、野菜を全く摂らないのもダメですよ、ランドール王」


 暁の声に王の眼が彼に向く。


「子供が肉嫌いって珍しいけど、この食生活では仕方ないのかな。胃腸が弱いと脂っこい肉料理は受け付けない傾向もあるし」


「ルーイの健康に問題が?」


「大したことじゃないですよ。ただ単に肉料理を食べるには不向きな体質かもしれないってだけで」


 暁はさすがだなあと透は感心している。


「例えば明日の食卓に焼き魚なんて出してみたらどうですか?」


「焼き魚? 魚を焼くのか? それは難しいと思うが」


 王として海から遠く離れたイーグルでは難しいとわかってしまう。


 だが、暁は楽観的に言った。


「意味が近くになくても川や湖なら普通あるでしょう?」


「まあたしかに」


「川や湖なら毒を持った魚はそうそういないだろうから、そこで魚を釣ってきてそれを焼くんです。あっさりした白身魚なら、たぶんルーイは喜んで食べるんじゃないかな」


「俺は刺身が食べたい」


「兄さん……話を交ぜっ返さないでよ」


「だってさあ、俺の大好物だったんだよ? なのにもうずいぶん長いあいだ食べてない」


 透はイジイジとイジけてしまう。


 放置できない親子3人が揃って口を挟んだ。


「「さしみってなに?」」


「それも魚料理なのか?」


「たぶん普段がこんな食生活なら言えばびっくりされそうだけど、俺たちの故郷では魚を生で食べられるんです」


「「「生で!!」」」


 魚自体が珍しいのである。


 3人は思わず青ざめた。


 知識にある魚を生でパクつく透という構図か浮かぶ。


「あ。生っていっても生きた魚をたべるわけじゃないですからっ!!」


 透が焦って否定する。


 それでも3人はまだ疑惑の目を向けていた。


「つまり焼いたり似たりしていない魚って意味です。生きていた魚を捌いて切り身にして、それに醤油……えっと豆でできた調味料とわさび……山菜のひとつをつけて食べるんです。これがもう美味いのなんのって」


「う~ん」


 ルーイが唸る。


「おれたちも上品な食生活ではないかもしれないと、狩猟民族の習性で思っていたが、トールのところも相当だな。野蛮だと思わないか? 魚を生で食べるなんて」


「いや。元々山も海も近くにあって、農耕も盛んな民族だったから、特に野蛮というわけでは」


「そもそもそんなことを言っていたら、人間はすべて野蛮ってことになるよ、アスベルさん」


「どうして?」


「動物とか生き物を殺さずに生きていける人間なんていないからだよ。この食卓のようにね」


 言われてみればその通りである。


 今自分たちも上品ではないとは言ったが、そのことまでは考えなかった。


 その意味では動物なら野蛮なのかもしれない。


 人間でなく肉食動物なら、みんな同じなのだから。


「「とにかく野菜を食べた方がいいっとことだけはたしかです。長生きしたいなら野菜を普段の生活に取り入れた方がいいですよ」」


 ふたりに口を揃えて言われ、たしかに一族としてあまり長生きではなかったランドールたちは小さく頷いた。


「陛下」


 突然の声に振り向けばアインが立っていた。


 食卓に現れるなんて珍しいなとランドールは思う。


「今早馬で報せが。明日にはログレスのエドワード王子ご一行がいらっしゃるそうです」


「エドが?」


 アスベルが嬉しそうな顔になる。


 この場では口を挟めないが、エドワード王子ってだれだろうと、透と暁は顔を見合わせた。


「しばらく滞在したいとのお申し出で」


「厄介なときに……」


「父上?」


「忘れたか? トールのことだ」


「あ……」


「エドワード王子ならビクトリアの顔は忘れていないはず。トールを見ればどんな反応をするやら」


「たしかに」


「ぼくも間違えたからね。トールさんと母様」


「?」


 首を傾げながら透は口を挟んでもいいのかなあと悩んだが声を出した。


「その人ってどんな立場の人? なんかビクトリア妃と関係ありそうだけど。俺がいるとマズい?」


「エドワードはビクトリアの甥に当たる」


「つまり兄弟の子供ってこと?」


「ビクトリアの姉の子だ。大国のログレスの第一王子で次代の王だ。歳はアスベルよりもふたつほど上だな」


「アスベルの歳、聞いてないー」


 透が朗らかに言う。


 言い忘れていたアスベルはこめかみを掻いた。


「わたしは来月18になる」


「つまりその人は20歳ってこと?」


「そうだな。半年ほど前に20歳になった。すでに成人している」


「へえ。ログレスって20歳が成人年齢なんだ? じゃあイーグルは?」


「イーグルは18だ」


「つまり来月にはアスベルも成人?」


「ああ。それがなにか?」


「いやー。このまま滞在が長引いたら、俺はどこで成人年齢意識すればいいのかなって。このまま世話になってるわけにもいかないだろうし。暁を養わないといけないし」


 透がごく自然にそう言うとランドールがムッとしたように言い返した。


「別に出ていく必要はない。わたしが保護しているのだから」


「でも、これじゃただの厄介者だし」


「厄介者ではない。そなたは全世界にひとりの人だ」


「ウッ……」


 なんだかスゴく恥ずかしくなって、透はさりげなくランドールから目を離した。


 世話になっているという理由で、あまり態度に出さない暁だが、すこしムッとしたような顔をしている。


 ふたりは知らなかったので。


 ランドールが透が「紅の神子」だと知っているということを。


「紅の神子」なら全世界にただひとりの特別な御身だ。


 その身を奪おうと画策されても不思議はない。


 だが、ランドールは透自身が特別だと言ったのだった。


 父親の発言にアスベルはすこし不安そうだ。


「とりあえずエドと引き合わせないわけにはいかないし。どうするか考えないと」


「騙されてくれるような王子ではあるまい。普通に面倒を見ている客人と紹介するしかないだろう」


「兄上と父様。また男同士の話? いつになったら仲間に入れてくれるの?」


「ルーイがもうすこし大人になったらな」


 兄に笑顔で言われてルーイは膨れっ面になる。


 そんなルーイを暁が気の毒そうに見ている。


 暁だって透に隠し事をされるのは辛いから。


 なにかが起きそうだと感じて、みんなため息をついた。

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