第10話

「そういうわけにもいかないんだ。俺はな、シリル。サイラスの片腕になるために生きてきた。はっきり言えばおまえが目障りなんだよ」


「兄貴の片腕になりたきゃなれよ。俺は関係ねーよ」


「そういうわけにもいかないんだ。サイラスを見ていて気付かないか? サイラスが片腕にしたいのは他のだれでもない。おまえだ。シリル」


 断言されて唇を噛む。


 そのことはなんとなく気付いていたから。


 第二王子の行く末なんて普通はたかが知れてる。


 継承権と血筋を守るためだけの結婚。


 身分に相応しいそれなりの地位で飼い殺し。


 それが俺の行く末だ。


 だけど、正当なる世継ぎである兄貴は、それをよしとしてない。


 俺を片腕にして政治の表舞台に引き摺り出したがってる。


 その役目につくべきなのはオーギュストだっていうのに。


「その傾向はおまえが生まれた時点ですでにあった」


「え?」


「おまえが生まれた頃のサイラスを、おまえに見せてやりたいよ。あいつがどれほど喜んだか。どれほどおまえの誕生を歓迎したか」


「そんなこと言われても」


「まだ2歳。普通なら弟とか妹とか、そういう存在には嫉妬を向けるのが普通だろう? なのにあいつは違った。いなかった母親ができた事実を喜んだ。もうできないと諦めていた弟が生まれたことを喜んだ。俺の存在なんて二の次だったよ。あの頃からな」


 確かにオーギュは叔父さんの子だ。


 叔父さんは父さんの片腕。


 宰相を名乗ってる。


 その後継ぎとして育てられたのがオーギュストだ。


 それを間近でで見ていて全否定されていたら……まあ俺が目障りなのはわかる。


「おまえは家族に愛されて育ったから、そんなに屈託がないんだ。陰りもない」


「……」


「それなのにおまえは家族を捨てた。サイラスに無意味に心配かけた。おまえがいないこの1年半。あいつがどんな様子だったと思う?」


 なにが言いたいのかわかる。


 兄貴の片腕になるために生きてきたオーギュは、必然的に兄貴のことだけ考えて動いてる。


 その兄貴に無意味な心配をかけた俺が許せないんだろう。


 それが俺の甘えに見えてる。


 でも。


「それなのにおまえはそのことすら無問題だ」


「オーギュ。父さんたちは」


「伯父上たちのことはこの際いいんだ」


 そう言われてしまうと言い返す言葉がない。


「そこまで特別扱いされていて、そのことを当然だと思ってるおまえが目障りだ。そう言ってるんだよ、俺は」


 ハッキリ邪魔だと言われて頭が沸騰した。


 バシッとオーギュの手を払い除ける。


 オーギュストは驚いた顔をして俺を見てる。


「おまえ、泣いてるのか?」


「おまえに俺のなにがわかる?」


「シリル」


「俺がどんな思いでこの1年半を乗り切ったか、知ろうともしない兄貴のことしか考えてないおまえに、俺のなにがわかる?」



 昼は男。


 夜は女。


 だれにも言えない秘密を抱えて、ひとりで生活することが、王子として生きてきた俺にとってどれほど大変だったか。


 帰りたくてみんなに逢いたくて泣いて朝を迎えたことが何度あったか。


 なにも知らないこいつに邪魔だなんて言われて、俺の頭は臨界点を突破した。


 なにがなんだかわからない。


 ただ悔しくて。


 どうしてここまで言われないといけないのか、家族に甘えてなんてない。


 守りたくて無理をしてた。


 それが結果的に傷付けることになったとしても、俺にとっては守りたいから起こした行動だ。


 なのに邪魔だって!?


 それからなにを言ったのか憶えてない。


 ただ感情が高ぶるままにオーギュストを責めて否定して。


 気がついたら。


「んっ」


 我に返ったときにはオーギュストの腕の中。


 抱き込まれて唇を塞がれてた。


 再びパニックになりそうになったとき、そっと奴が身体を離した。


「落ち着いたか?」


「なんで……」


「極度のヒステリー状態だ。おまえ自分がなにを言っていたかも覚えていないだろう」


 当たっていたのでなにも言えない。


 ストンと記憶が抜けていた。


「そういう相手には常識外の衝撃を与えるのが1番効果的だ」


「だからってなんでキスなんだよ。おえっ」


「失礼な奴だな、おまえ。まあその方がおまえらしいが」


 苦笑してそこまで言ってから、オーギュストが頭を下げた。


 身体をふたつに折って深々と。


 俺は驚きすぎて反応できない。


 そんな俺に奴は謝ったんだ。


 真正面から。


「どんな事情があれ言い過ぎた」


「オーギュ?」


「支離滅裂すぎてなにを言われたのか、もうひとつ理解してないが、これだけはわかった。おまえにとってもこの1年半っていうのは、凄く辛くて家族が恋しい1年半だったってことは。恋しくて帰りたくて、でも、おまえには帰れない事情があったんだってことは」


「……」


「確かに俺はおまえのことをなにも知らない。サイラスに溺愛されてるおまえが目障りで知ろうとしなかったからな。なのにこういうときだけおまえのせいにして、おまえだけを責めるのは俺の傲慢だろう」


 言外に俺の行動は家族のためだったと認めてくれた言葉だった。


 天敵と認める相手にそれを言うのが、どれほど勇気が必要だったかわからないほど、俺ももう子供じゃない。


 顔を背けて返した。


「もういいから顔をあげろよ。人が見たら誤解するだろ」


「だが」


「俺が特別扱いされてるのも、俺がいなくなったせいで、兄貴に無意味に心配をかけたのも事実だからな。それをお傍付きのおまえが怒るのは当然だ」


 気にしてないと言えたらよかったのかもしれないけど、そんな嘘をつけるほど俺も人間できてねーから。


「気にしてないって強がることもできないくせに。やっぱりおまえはサイラスの弟だ」


 顔をあげたオーギュストがそう言って笑った。


 どんな顔をすればいいのか咄嗟に迷う。


「ノエルって女の子、宮殿にいるってホントか?」


「どこからそういう話になるんだよ?」


「サイラスがおまえが戻ってきた当時に一度だけ見たって言ってる。だから、おまえが夜にいなくなる理由は彼女じゃないかって疑ってたな」


 つまり兄貴の頭の中では俺とノエルが逢い引き中ってことか。


 それはまあ怒るだろうな。


「伯母上も協力者じゃないかって疑ってる。どうなんだ?」


「それはねーな」


 きっぱり俺は否定した。


 このときはそれが1番いい方法に思えたんだ。


 隠し部屋の存在はだれも知らない。


 ならノエルの姿で俺が滞在していることはバレることがない。


 だったら兄貴を煽らないためにも否定するべき。


 そう思ったんだ。


 このときは。


「だったら夜の間どこにいるんだ、おまえ?」


「それ、は……」


 言えずに俯く俺にオーギュストが初めて髪を撫でた。


 唖然として顔をあげる。


「夜に人前に出られない。もしかしてそれがおまえがいなくなるしかなかった『事情』とやらか?」


「……たぶん俺の血筋は後世には残らない」


「シリル?」


「俺は一生結婚しない。俺の血を継ぐ子供も生まれない。だから、オーギュが俺を煙たがる必要なんてどこにもねーよ」


「それはできない……という意味か?」


 この問いかけには答えなかった。


 見詰めるオーギュストの瞳が不安に翳る。


 初めて打ち解けて話した気がしたけど、これ以上は言えなかった。


 父さんたちに口止めしたのは俺だったから。





「秘密ってのは黙っている時間が長いほど重くなるものなんだな」


 淡々と呟いた。


 最近の俺は夜になると女性化するし話せなくなるから、父さんたちが俺に合わせてくれて食事の時間も早められてる。


 兄貴はその食事の席でも不機嫌そうだけど、今日の夕食の席には姿を見せなかったなと何気なく思う。


 食欲がないから夕食はいらないと言っていたらしい。


 父さんたちは気にしたみたいだけど、俺としてはすこしホッとしていた。


 兄貴と向かい合うことが最近の俺には負担だったから。


 部屋に戻って上着を脱ぎ捨てる。


 上半身だけ裸になってふっと窓の外を見た。


 夕焼けが広がろうとしている。


 すぐに夜になるだろう。

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