2話「部屋への案内」
「ちなみに務めている場所は、この近くだったりするの?」
「うん。拓篤の下宿先も、この近くだよね。駅で一駅ぐらいだから、電車でも歩きでもどっちでも行けそうかな」
「そうか、ならいいや。俺としては、聞きたいことはそれぐらいかな?」
そう言って、残ったホットサンドを口に押し込んだ。
ホットサンドって、なかなかにボリュームがある。
朝からそんなに食べるタイプでもないので、結構満腹になった。
「え……。他にも気になること、普通にあるんじゃないの?」
「そりゃあるけど、聞きにくいことばかりだし。それに聞いたところで、どうにもならないこともあるかなって思い直した」
「……」
本当は実家に帰れない理由とか、聞きたいことは他にもあるが、聞いたところで俺がどうにかできるって感じでもない。
最初のやり取りで、戻れないの一言だけしか言わなかった辺り、あんまり何があったか言いたくもないんだろうし。
「あ、これだけは聞いとかなきゃいけないな。彼氏とは確実に別れたんだな?」
「うん。ってか現に今、追い出された身だしね」
「分かった。家に入れてから、別れてないのに別の男のところに行きやがったとか、殴り込みに来られたら堪らんからな」
「もう連絡先もブロックしたし、大丈夫」
今流行のNTRとはいえ、その当事者になどなりたくもない。
童貞の俺には、あのジャンルはキツ過ぎる。
ネタとしても見れないのに、現実的に泥沼状態が繰り広げられたら、堪ったものではない。
「よし。じゃあ食い終わったら、早速俺の下宿先に行くとするか」
「うん」
残ったコーヒーをお互いに口に流し込んで、席を立ち、会計を済ませるべく、レジに向かった。
「ここは奢らせて。迷惑かけてるわけだし」
さっと財布を出した芽衣が、そんなことを言い出した。
「そういうのはいいよ。そういうのよりも、変な遠慮とかしないで何でも信用してくれたら、それでいいや。給料そんなに高くないのに、背伸びしてんじゃねぇよ」
「……あい」
と、親からの仕送りと奨学金で、生活している男が言っても説得力がないのだが。
それでも芽衣は、素直にその言葉に従って自分のモーニング分だけの料金を払った。
外に出ると、寒さはわずかにマシになったものの、更に人の動きが活発化してきた。
俺は芽衣のキャリーバッグを持って、自分の下宿先に向かって歩みを進め始めた。
場所としては、街から少し外れたというぐらいで、立地としては悪く無い。
買い物も行きやすいし、治安も良い。
本当なら芽衣にも進めたいが、それなりに家賃もするので、ちょいと厳しいかもしれない。
「着いたぞ」
駅から歩いて10分ほどで、下宿先に到着。
「おお、ここかぁ。綺麗なマンションだねー」
「建物は綺麗だし、ネット環境とかもちゃんとあるから、不便な思いはしないと思う」
エレベーターに乗って、自分の部屋の階まで上がる。
俺の部屋は3階で、程よい高さ。
友達の部屋が8階とかなのだが、高すぎて訪ねるたびに足がすくむ。
一階は何か個人的に嫌だし、理想的な高さだと思っている。
「ほらよ。とりま中に入りな」
「おじゃましま~す!」
鍵を開けて、キャリーバッグと芽衣を自室に入れる。
「ふむ、結構綺麗にしているもんだね」
「まぁ、散らかすような物を買ったりしないからな。物買わなきゃ、そんなに散らからない」
と、言うのは嘘で、しっかりこの日を迎える前に片付けと掃除は念入りにした。
男一人の部屋に、いかがわしい物の1つや2つはあるもの。
これをいい機会に捨てようかなとも思ったが、お金を出して買ったものだし、いつかまたお手軽に出番が来るかも分からない……って思ったので、奥地に封印した。
普通に生活していれば、出てくることは無い。
芽衣も、そんなにあちこち引っ張り出したりもするとは思わないので、きっと大丈夫だろう。
「これが大学の教材?」
机においていた大学の教科書をパラパラと捲りながら、そんなことを尋ねてきた。
「そうだぞ」
「うわ、何か1ページ全部文字じゃん! なんか大きい文庫本みたい。うぇ、何書いてるかさっぱり」
「専門性が問われるんだから、そりゃ当然だ」
「お、やっと絵が……ってこれ化学構造じゃん! やだやだ、見たくない!」
「勝手に開いて、好き放題言ってくれるな」
嫌そうな顔で、教科書を見るのを止めた芽衣は、俺のベッドに座り込んだ。
「ベットはシングルなんだね」
「一人だから、そりゃそうだろ。セミダブルとかにしたら、高くなるし」
「一緒に寝る相手もいないもんねー」
その一言は非常に余計だと思うが、彼氏と同棲をしようかという大人な女からしたら、繊細な男子学生の気持ちを読み取れと言うのは、無理なことなのかもしれない。
「ま、こんな事もあろうかと寝袋持ってるから、別に大丈夫だから!」
「いや、お前がベッドで寝てくれ」
「何で? 流石にそれは、申し訳ないよ」
「……正直言うと、どこで寝ても体が痛いし、そんなに差がない。お前は仕事してるし、パフォーマンス落とさないためにも、ベッドで寝てくれないか?」
ベッドで寝ると腰が痛くなるし、床で寝ると尻とかが痛い。
どこで寝ても体痛いなら、芽衣に快適にベッドを使ってもらえるほうが良いような気がする。
「ほ、本当にそうなの? 無理してない?」
「いや、本当に朝は毎日どこで寝ても、痛いって一言から始まるし」
「何かヤダ……。学生でなんでそんなに老け込んでるの?」
「体だけがその真理を知るってやつで、俺にはよく分からん」
まぁ、ただの運動不足による筋力低下だとは思うが。
「さて、俺は定期テストの勉強するから、お前は荷解きとかしてくれ」
「定期テスト??」
「もう少しで大学の期末試験があるんだよ。それで点数取れないと、留年になっちまうからな」
「……一番大変な時じゃん。そんな時に、本当にごめん」
「別に大丈夫だって、何回も言ってるだろ? そんなことで留年するくらいだったら、もとから終わってる。落ち着いたら、テレビ何でも見てくれていいから」
「じゃ、邪魔になることはしないから……」
「テレビの雑音は、別に邪魔にはならないぞ。逆に静かすぎてイラッとくる時もあるから」
「分かった……。じゃあ、まずは荷解きする」
「おう。洗面台とか、何か置くものあったら、適当に俺の物を除けて置いてくれたらいいから」
今日やる予定にしていた科目の教科書を開きながら、ノートにポイントをまとめる。
その後ろで、荷物を取り出す音が聞こえる。
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