先生の決死
二日後の昼過ぎ。
いつも通りなら授業の時間だが、この日だけは違う。
なんの策も練れなかったリュウトは焦りにも似た恐怖を抱えながら施設を目指していた。その歩みと表情は重苦しいものとなっている。
「結局あの子にも会わなかったな……あ」
「ようリュウト、中々来ないからここで待ってたぜ」
入り口近くのベンチから声が聞こえる。視線を向けると、二日ぶりのマナの姿があった。
恐らくリュウトと同じく考え込んでいたのか、女性には似つかわしくないクマが目元に出来ており少し覇気も弱まっていた。
「マナ……」
流石のリュウトでもすぐに分かる程だ。
リュウトも力無く名前を呼ぶがいつもの返しだけは弱いながらも返って来る。
「先生だろ」
リュウトは詰まっていた物を吐き出す様に思いをぶつける。最後の手段は、自分を助けてくれたあの人しかいないと思ったからだ。
「ねぇマナ、どうにかして止められないかな。ユウキに相談とかして――」
だが希望も虚しく、リュウトが言い切る前にマナは首を横に振った。
「アイツは今連絡がつかない。
マナは気重そうにベンチから立ち上がると、リュウトの右肩に手を乗せ優しくも弱い笑顔を浮かべる。
「レンもお前もあたしの生徒だ。先生のあたしが何とかする」
「でもどうにかなる相手なの?」
「心配すんな、その時は死んでもお前達を守ってやる。それじゃ行くか」
肩に置かれていた右手を離し、ビルの入り口へと歩いて行くマナ。だがリュウトがその後ろ姿を見た時、その手は強く握られていた。
リュウトはマナについて行きながらエレベーターを目指す。
重苦しい雰囲気の二人には目もくれず、スーツや黒コートを着た者が行き交う。
誰も助けてくれないのか――。
そんな思いをよぎらせながら、無情にもエレベーターは地下一階の広間へと到着した。重厚な扉の前でマナが持っていたカードをかざすと、鈍い音を立てて開いていく。その中ではレンや同じ教室の生徒、そして丸メガネの先生率いる生徒達もいた。
「おはようございますマナ先生。地下施設とは言え模擬戦にいい日和ですな」
「そうですね……」
丸メガネの先生は自身を中心に生徒達を背後に並ばせ、二日前には見た事のない笑顔を浮かべる。マナはそんな光景に口元を引き攣らせながら軽く頭を下げた。
「さぁ揃ったところで始めましょうか。形式は勝ち抜き戦。負けた者は交代し新たな者と戦ってもらいます」
「……わかりました」
どうせ拒否権は無いと悟ったマナは反抗する事無く承諾。それを見た丸メガネの先生はゆっくり頷くと、模擬戦の話しを続けていく。
「では出場者は五名とし、先に五名倒れた方の負けです。こちらは決まってますが、先生の方はどうでしょうか?」
「それは……」
承諾はしたものの、マナは自分の生徒を無闇に傷付けたくは無い。自分の体をちぎられる様な思いでリュウト達の方を見ると一人の生徒が前に出て指の関節を鳴らしていた。
「そんなん俺一人で十分だ」
レンは腰に木刀を差し、何かを言いかけたマナを無視して前に立つ。そんなレンの姿を見て、丸メガネの先生は僅かに口元を緩ませ静かに二回頷いてみせた。
「何とも威勢のいい。良いでしょう、今回は特別に残り四人は彼が倒れた時に決めても構いませんよ」
模擬戦の広間に描かれた大きな長方形の白線内にレンと、丸メガネの先生側の生徒が立つ。
相手も腰に木刀の様なものを差している。
「では手始めに一人目から……試合開始!」
丸メガネの先生が叫んだ途端、生徒はニヤリと笑みを浮かべ木刀を抜く。それは木製の武器ではなく、刃の付いた刀その物だった。
「あぁ言い忘れてましたが、武器の指定はありません。各々の所有する武器で戦って構いませんよ」
数十メートル離れた丸メガネの先生を睨みながらマナは奥歯を噛み締める。こちらが不利になる条件を付け、勝たせまいとする魂胆が目に見えているからだ。
「おい劣等生、そんな木刀で戦えんのか?」
生徒は刀を下段に構え何時でも距離を詰められる体制でいる。だがレンは木刀を片手で握り、やれやれと言いたげに首を振った。
「刃が付いてないと戦えない優等生よりマジだよ」
「てめぇ……!」
煽りを煽りで返され一気に詰め寄る生徒。射程内に入るとレンの首を狙い刀を振り上げる。
だが刃はレンの耳元ギリギリを掠めて右へ避けられた。
レンは避けた勢いのまま右手に持っていた木刀を生徒の脇腹へ叩き込む。
苦痛の声を上げて数メートル吹き飛ぶ生徒。
彼は立ち上がることなく意識を手放した。
「さぁ次来いよ、まだやられてねぇぞ?」
二人目が戦場内に足を踏み入れる。一人目より圧倒的に体格がよく筋肉質。
身長も百八十センチはあろう高さがあった。だがレンはそんな見た目よりの武器の方に目が向く。
「同じ片刃だけどデカイか……撃ち合ったらこっちが折れるな」
筋肉質な生徒は自分の身長とほぼ同じ片刃の剣を振り上げる。しかも真剣。下手に当たれば死は免れない。
しかし体格故か振りの速さはあれど他の動作が遅い。レンは振り下ろされた刃を避けると、その刃に飛び乗り筋肉質の生徒に向かって飛び上がる。
「一撃に込めすぎなんだよ!」
木刀で生徒の首を叩く。体勢を崩した生徒は立ちくらみの如く揺らめき剣が手から離れ落ちる。
すかさずレンは脇腹へ木刀を向けたが、生徒の意識が戻り左手で防がれてしまった。
木刀から伝わる人ではない硬い感触、嵌めている手袋の甲には鉄が仕込まれていた。木刀は弾かれ、構えが崩れたレンの腹部に鉄の裏拳が放たれる。
一人目の生徒より吹き飛んだレンは、口から鮮血を吐き呼吸が乱れる。
「やるなクソ……」
「来いよチビが」
筋肉質の生徒はかかって来いと指を動かしアピールする。
呼吸を整え、数度畳み掛けるレンだが、力と勢いに負け受け流すのが精一杯。
それでも木刀は徐々に削られていく。体力も切れて息が荒くなる。
「これじゃヤバいな、でも――」
ほんの一瞬、自分のクラスを見るレン。皆怯えた表情を浮かべこちらを見ている。
大きくなる不安を振り払い、柄を握る手に更に力を込めた。
「負ける訳にはいかねぇんだ……!」
レンは木刀を下段に構え、飛び上がり顎を狙う。だが刀身が届く前にその勢いは止められてしまった。
同時に腹部へ強烈な圧迫感が押し寄せる。
「そんな直球攻撃が効くわけないだろ?」
空中にいたレンを押し返す様に、硬い地面へ容赦なく叩き付けられた。声にならない声を上げながら口から鮮血が飛び散る。
木刀を握ったまま、柔らかい無機物の様にレンの活動が止まる。
筋肉質の生徒はニヤリと笑い大剣をレン同様に掲げ振り下ろす。だがその時だった。
「かかったな!」
気絶の演技をしていたレンは巨大な刃をすんでのところで躱し、木刀を真っ直ぐに構える。
吸い寄せられる様に木刀の先が、筋肉質の生徒の顎へと直撃した。
筋肉質の生徒は虚ろな目となりその場で膝から崩れ落ちた。
まさか負けると思ってなかったのだろう、丸メガネの先生の生徒達から騒めきが聞こえる。
「おら、さっさと次来いよ」
そう言ってレンは立ち上がろうと足に力を入れる。だが腹部に激痛が走り思う様に力が入らない。
どうにか戦闘態勢をとり剣を構えるも、丸メガネの先生はレンの後ろを指差した。
「いいや、まだ立ってますよ」
後ろから大きな気配を感じとる。すぐに振り返ろうとしたが既に遅かった。
レンは鉄の手甲が仕込まれた裏拳を上半身にくらい、場外ギリギリまで飛ばされる。
呼吸が乱れ苦しそうに息を吸おうとするレン。
だが幸か不幸か、筋肉質の生徒もその一撃を最後に意識を手放した。
「チッ、力はあるが体力が無い……」
丸メガネの先生は倒れた筋肉質の生徒を汚い物でも見るかの様に視線を向けた。そこへ三人の生徒が歩み寄る。
「どうされますか?先生」
「いいだろう、奴は虫の息だ。だが殺すなよ?あくまで不慮の事故だ」
丸メガネの先生は不敵な笑みを浮かべると、それが合図かの様に三人が場内へと入る。
「そんな!三人何て聞いてませんよ!?」
「勝ち抜き戦、と言ったまでです。一度に何人出そうかは決めておりませんよ?もちろん誰が出ても構いませんが」
マナの性格を知ってか、丸メガネの先生は最後の言葉をわざと遅めに言い放つ。
流石のマナも丸メガネの先生を睨むが、すぐにレンの方へ視線を移す。未だ意識は戻らない。
「リュウト、悪いがあたしに何かあったらすぐに上の階の人を呼んでこい」
マナはリュウトにだけ聞こえるように呟くとレンの方へ走り出した。同時に戦場に入った生徒達も駆け出す。
三人は武器を抜き構えるも、マナは丸腰のまま。だが一足先にレンの元へ辿り着くと、意識の無い体を抱き締め覆い被さるように守りに入った。
「マナ!」
呼びかけるがリュウトの声も届かない。
三人の距離が残り数メートルまで来た時、ふとどこかから優しい鈴の様な声が聞こえた。
守ろう――。
リュウトは辺りを見渡すも声の主は見当たらない。
戦おう……力を、貸してあげる――。
言葉を聞いたと同時にリュウトの体が無意識に前へと駆け出す。
その右手には、黒い魔力と共に現れたあの大剣が握られていた。
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