第29話
「先ほどの報告では、まだ熱が下がっていないと伺っています。どうしてこのような無茶を……」
「無茶? どこが無茶だっていうんだ」
「そんな子供みたいな」
呆れて声をあげかけたアリステアを、癇癪を起こしたリュシオンが遮った。
「毎日、検査、検査っ!! いい加減息が詰まるっ。すこしくらい息抜きをしたいと思って、どこが悪いんだっ!?」
ほんのすこし怒鳴っただけだ。
なのにリュシオンは大きく肩で息を繰り返し、見る間に上体が怪しくなった。
「大丈夫ですか?」
陛下と呼べないアリステアの気遣うような声に、リュシオンはかぶりを振ろうとして、それが裏目に出た。
動きかけたとたんに膝から力が抜ける。
くずおれるリュシオンを横から伸びた華奢な腕が抱き止めた。
とっさに腕を伸ばしかけたアリステアが、息を詰めたまま顔をあげる。
案の定そこにあったのは祖王の不機嫌そうな顔だった。
「陛下」
「どうしてこいつがここにいるんだ?」
「ご本人の弁によれば歩いているあいだに、こちらにきたそうですが」
「子供じみた言い訳を……」
不機嫌になればディアスの声は低くなる。
ラスティア孃は突然現れた神帝に息を詰めたまま動けずにいた。
「決めた。こいつに見張りをつけるぞ、俺は。留守を狙ってこんな真似をされたら、落ち着いて執務に当たれない」
「冗談……は、よせっ」
腕の中からあがった掠れた声にディアスが視線を落とす。
まだ肩で息をしながら、リュシオンが無理に上体を起こそうとしていた。
「腕を離せっ。俺はひとりで立てるからっ」
「そういう科白はまともに立てるときに言えよ。大体なんだよ、これは? ものすごく身体が熱いじゃないか。こんなときに出歩くバカがいるか?」
「平熱だっ!!」
「おまえはなあ」
呆れ返って一度区切り、ディアスは思い切り怒鳴り付けた。
「こんな平熱があるわけないだろうがっ!! おまえはここしばらく平熱に戻ってないんだよっ!! いくら高熱に慣れたからって出歩くんじゃないっ!! 俺を心配させて楽しいのかっ!?」
「閉じ込められてて、俺が楽しいと思うのかっ!?」
怒鳴れば怒鳴るほどリュシオンの顔色が悪くなる。
肩で繰り返す息がさらに大きくなり、身体から急激に力が抜けていく。
「眠るのはいやだ。眠りたくない……」
うなされているようなささやきが耳を掠める。
不安げに覗き込むディアスが、聞き取れないほど小声で名を呼んだ。
間違いようのない彼の名を。
リュシオン……と。
「どうして彼女は泣くんだ? いやだ。眠りたくない。眠りたくな……」
ささやきは皇族の聴覚をもつ、ディアスだからこそ聞き取れるような、そんな声だった。
ほとんど声になっていなかったのだから、この場にディアスがいなければ、だれにも聞き取れなかっただろう。
すがるようにきつくディアスの服の裾を掴んで、リュシオンが吐き出した胸の痛み。
昏倒したリュシオンの前髪を掻きあげて、ディアスは小さく吐息する。
「バカだな、おまえは。本当にバカだよ」
リュースよりも幼い年齢で、時が止まってしまったリュシオンだ。
その心も当然のこととしてリュースよりも幼い。
外見年齢が自我をも意味する皇家では、3人の中でリュシオンは最年少に位置する。
少年期にありがちな脆いガラスの心。
ふとしたときに、それはこんなふうに透明な音を立てて割れる。
魂のすべてで愛した女性を夢にみるのか、おまえは。
すべてを忘れてなお、彼女のことは忘れられないのか、リュシオン。
思い出せよ。
そうすれば彼女はおまえの腕に戻るから。
取り戻せるから。
「陛下」
無言でリュシオンの額にキスをするディアスを、アリステアが複雑な眼差しで見守る。
それは事情を知らない周囲にしても同じだった。
原因となったラスティア孃も、意外な神帝の姿に飲まれ、立ち尽くしている。
ふとそんな彼女を一瞥して、ディアスは無言で立ち上がった。
その腕にリュシオンを抱いて。
「聖宮に戻る」
「お供致します、神帝陛下」
「いや、いい。先に行って侍医に知らせてこい」
「承知致しました」
一礼して駆け去る秘書官の後を追うように、ゆっくりディアスが歩き出す。
たった一瞬の、けれど紛れもない敵意の籠った眼差しにラスティア孃は射抜かれる。
その魂まで凍りついて粉々に砕かれるのを感じていた。
身動きもできないままで。
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