第19話

「……」


 リュシオンの姿が消えると、斜め上から冷ややかな視線を感じ、リュースが息を詰めた。


 冷たい視線の持ち主は、言わずと知れただれかさん。


 両腕を組んで睨んでいるのまで感じられ、リュースは生きた心地がしなかった。


「さっきの一言はどういう意味だ、セインリュース?」


 絶対零度よりまだ冷たいに違いない。


 氷柱を連想させる声に、リュースは諦めのため息。


 こうなるとディアスをごまかすのは無理だ。


 こういうときのディアスはだれよりも怖い。


「あんまり不味いから薬を捨ててやろうかって独り言を言ったんだ。それを聞かれたんだよ。愚痴っただけたから怒るなよ!?」


「バカを言うんじゃないっ!!」


 見も蓋もない迫力の怒鳴り方に、リュースが反射的に身を縮める。


「おまえが薬嫌いなのは知ってるよ。リュシオンの香草茶以外は飲まないこともっ。だからって薬を捨てるなんて考える奴がいるかっ!? 病人はどこのだれだよっ!?」


「俺はただ不味い薬はいやだなあって……」


 弱々しい反論を試みたが、一度本性をあらわしたディアスには通じなかった。


「だれだってキライに決まってるだろっ!! 100年に1回くらいしか寝込まないくせに、ワガママ言ってんじゃないっ!!」


 100年に1回なんてずいぶんな言い種である。


 それはたしかにリュシオンと比べると、リュースが寝込んだ回数は片手で足りるくらいだが。


 秘薬を体内に飼っていたリュシオンは、リュースと比べると身体が弱かったのだ。


 リュースが小さい頃は、寝込みこそしなかったが、リュシオンは何度も青い顔色で無理をしていたものである。


「俺ばっかり一方的に責めるなよ」


 急に目付きがきつくなったリュースにディアスが表情を改めた。


「俺だってディアスに言いたいことはあるんだよっ!! 説明しろよ、全部っ!! なんでこうなってるのかをすべてっ!! わざと隠してたんだろ、俺にっ!!」


「だから?」


 無表情な反問にリュースが返答に窮した。


 表情も変えないディアスに、すぐには二の句が継げない。


「おまえの身体のことを思ったら、言えるわけないだろ。昨夜、偶然にすべてを知って、おまえはショックを受けなかったのか? いつもより顔色が悪いのは、精神的にショックを受けたからじゃないのか?」


「だって……だって……親父殿、俺のことも……全部……忘れっ」


 涙が溢れそうになって、リュースは慌てて唇を噛みしめた。


 きつく眼を閉じて溢れる感情を堪える。


 労るようにみつめて、ディアスが何度もリュースの髪を撫でる。


 ひとりで耐える彼を気遣って。


「だから、言いたくなかったんだよ、おまえには」


 深く労ってくれる声になにも言えない。


「おまえが元気なら言ってやったけど、今のおまえには酷だ。リュシオンの状態を教えるなんて。身体が本調子じゃないから、情緒も不安定だしさ。そうやってすぐに我慢がきかなくなるだろ? 今のおまえに負担をかけたくなかったんだよ、俺は」


 どこまでも優しいディアスの声。


 聞いているだけで胸が痛い。


 さっき一方的に責めたのに、ディアスはこうやって気遣ってくれる。


 ディアスの行動には、きちんと意味があるってわかっていたはずなのに。


「だけど、こんな形でわかるぐらいなら、教えてやればよかったな。ごめんな? 俺の配慮が足りなかったよ。傷つけるつもりじゃなかったんだ」


 優しく謝罪する声に、リュースは強くかぶりを振った。


 ディアスだって万能じゃない。


 そのことを責めるつもりはなかった。


 ただ胸が苦しいだけだ。


 リュシオンにわかってもらえない。


 その現実が悲しいだけ。


 涙を堪えて声が出ないリュースを、ディアスはずっと無言で抱いていた。


 執務に行く時間がきても、ずっと傍にいて。


「親父殿が庇ったのは、リオンクール公の身内なのか?」


 どのくらい経ったのか、ようやく落ち着いたらしいリュースから、ポツリとそんな問いかけがあった。


 やっぱり全部気づいていたのかと、ディアスは苦いため息をもらす。


「あいつは言わなかったはずだ。どうしてそう思ったんだ?」


「事故にあったときの状況を聞いてそうかなって。連絡も取れなくなるような、雪山での事故だって親父殿はそう言ったから」


「雪山の事故ね」


 そのことはディアスも知らなかった。


 考えてみれば事故の詳しい状況は、まだ調べていない。


 とりあえず身柄を保護したことで安堵して、肝心なことを忘れていたらしい。


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