第28話

「髪伸びたね、楓」


 詩音くんはそう言って、僕の少し伸びた毛先へ触れた。


 窓から見える景色はまだ17時頃だというのにも関わらず、もうすっかり暗くなってしまっている。つい最近夏休みを堪能したばかりだったというのに、気づけばまた冬休みが近づいていた。しかし。相変わらず僕たちの関係に進展はない。僕ははぁと息を零して彼の手を避けるように顔を背けた。


「髪、伸ばしてんの」

「なんで」と、デリカシーのない彼が問う。

「ひなたの真似」


 僕は少し嫌味も込めてそう返してから、一茶の淹れていってくれた目の前の冷めてしまったココアをぐいと飲み干した。もちろん、鈍感な詩音くんにそんな高度な嫌がらせが届くはずもない。彼は小首を傾げて数回瞬いた後、ニッと八重歯を見せた。


「俺はいつもの楓の方が好き」


 彼は、そう言って僕の髪のすっかり色落ちしてしまったメッシュ部分を弄った。

 それもそうか、と思う。彼はもう、僕をひなたの代わりとしてなんて見ていない。そんなことは夏に言われた言葉でわかっていた。『もう大丈夫だから。ありがとう』と、彼はそう言った。それに、全てが詰まっていたんだと思う。


「……そっか」


 僕が彼の目を見ずに答えると、彼は急にすくっと立ち上がり僕の目の前のカップを持ちあげた。


「ココア、淹れてくる!」


 別に、今の一杯で充分なのに。それでも、彼が僕に何かをしてあげたい気持ちは何となく伝わってくるので、僕はただ彼の言葉に頷いた。

 彼もきっと、僕をひなたの代わりにしたことには罪悪感を抱いているのだろう。だから最近はよく、こうして罪滅ぼしに色々とお節介を焼かれている。まぁ、彼のしたいようにすればいい。

 僕は彼がいなくなり静かなリビングで暇になり、テーブルに裏向きに置かれていた自分のスマホへ手を伸ばした。

 そこには案の定、例の彼女からのメッセージが表示されている。


『先輩、最近バイト少ないですね。寂しいです』


 僕はそんなメッセージに返信すらすることなく、再び裏向きにしてスマホをテーブルへ戻した。


 バイトが少ないのは、なんだかんだ言ってこの詩音くんにお節介を焼かれている感じが嫌いでないからだろう。むしろ。僕はこれに相応の幸せを感じてしまっている。だから。せめて、きっと長くは続かないこの幸せを味わい尽くしてしまおうと思う。


 彼の向かったキッチンへ視線を向けると、彼は一生懸命にココアの粉の入った箱を見つめていた。大方、作ったこともないのだろう。そんな彼もどこか愛くるしく思えて、僕は一人ふっ、と笑みを漏らす。


「詩音くん、やっぱり俺ホットミルクがええ」

「あ、うん……!」


 僕が声をかけると、彼は勢いよくハッと顔を上げ冷蔵庫を確認しまるで水を得た魚のようにせっせとホットミルクを作り出した。僕はそれに一安心し、またそんな彼の真剣な表情をただ眺めるのだった。

 僕がもし、ココアの一つも作れないとなると皆幻滅するだろう。なのに、詩音くんがやると顔のおかげでただのギャップになってしまうのだから悔しい。でも。それでもやっぱりそんな様子が普段と違って可愛いなぁ、なんて思ってしまうのだから、僕はちょろいんだと思う。


 そうして一人詩音くんの鑑賞会を開いていた時、玄関からガチャリと鍵の開く音がした。そろそろ二人が返ってきたのだろう。僕もそろそろ席を立って買ってきたものを片づける手伝いをしなくてはならない。そう、気持ちを切り替える。

 しかし、少し待ってみてもリビングへ入ってくる様子はなかった。なにかあったのだろうかと思い玄関の方へ顔を向ける。その扉の向こうからはガサガサと慌ただしい音が聞こえる中、ふと大きな声が響いた。


「詩音くーん。助けて~」


 必要以上に大きな声に、電子レンジを見張っていた詩音くんがビクリと肩を揺らす。そして、困ったように電子レンジと玄関への扉を交互に見る姿が面白くて僕はふはっと声を上げた。


「詩音くん、僕行ってくんで」

「あ、お願いしまぁす」


 僕はそうして、少し名残惜しい気持ちを胸に険しい表情でホットミルクを作る彼を置いて玄関へと向かった。扉を開けると、そこには大きな箱を持ったひなたと、両手に大きな袋をいくつも抱える一茶。それに加えて、玄関には大量の袋が置かれていた。


「えっ、楓が来ちゃったの」と一茶は言う。

「うわぁ……なしたんこの量……」


 僕が思わず眉を顰めると、一茶とひなたは仲良く二人でふふんと鼻を鳴らした。

 なるほど、と思う。僕ははぁと息を吐き、玄関に置かれた袋を持ち上げた。


「明日はなにもせんくてええって言ったやろ……」


 踵を返してリビングへと向かう。しかし、背後の二人のしたり顔は容易に想像がついた。


「またまたぁ。嬉しいくせに、誕生日パーティ」


 ひなたの声に、僕はつい上がった口角を見られたくなくて急いでリビングへと向かった。



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