第30話 悪役令嬢マーシフル
――転生六十四日目、午後四時、ラ
ビヴァリーさんが退出してから数刻。
兄への手紙をしたためながら時を待つ。
――そして静かに時計の針に耳を澄ませ、物思いに
嵐の前触れを察知したのか、窓辺に映るのは鳥達の一斉蜂起。
街に巣食った鳥たちの群れは、ダンジョンの出口に向かって飛び去って行く。
――そして数瞬、街中に
それは恐らくモンスターの群れを抑える為に、騎士団が人為的に二層への出入口を崩落させて閉じたのだろう。
崩落した
(騎士団の判断力は素晴らしいな。抑えきれない量だと察して封鎖に踏み切ったか)
このベイルロンドの防衛を任される、優秀な司令官による素晴らしい状況判断。
グレイ・フィルターから聞き及んでいたが、噂に違わず英傑である様子。
彼
(その有能さ、ありがたく使わせて貰いましょうか)
外から届くのは、騒然とした戸惑いの声。
それらを制止し、市民を避難誘導している騎士達の声。
恐らく待ち人の到着だろう。
――パーティーホールの扉を開けて入って来たのは、息を切らせたフロイト男爵の姿だった。
「良かった……まだここに居ましたか。さぁ、避難しましょう! 騎士団から避難命令が出ています!」
彼はボクに手を差し伸べる。
その姿は
このような事態など想定していなかったのだろう。
無論、そうでなければ困るのだが。
「避難はしません」
「冗談を言っている場合ですか!? 緊急事態です! 申し訳ありませんが、
そう言って強引に手を掴もうとした彼の手は、ボクの一言で制止した。
「ご安心を。私にとって、これは
ボクから放られた言葉に、彼の瞳は信じられないとばかりに見開いた。
そしてその表情は、見る間に唖然と、険しく変わった。
「……キャロル様。四日前、
震える声色と、険しさの中に映る恐怖と動揺。
ボクの瞳に映る、野心的な執念の
「協力者に依頼していました。……私が英雄に成る為に、テロリズムのお願いを」
虚偽では無いと気付いたのだろう。
彼が数歩、力なく
「な……何て事を……! 貴女はっ……! 自分が何をしたのか分かっているのかっ!!」
「分からずにこんな事はしませんよ」
「正気じゃない……狂ってる……! この事は、オリバー卿に報告させて頂きます……!!」
「是非お願いします。私からも口添えしましょう」
気負いも無く、優雅に椅子から立ち上がるボクを見て、彼は
「そ、それはどういう意味で……」
「言葉通りです。私の協力者に付いて、情報が不足していてはオリバー卿は納得しないでしょう。ですから、私の口からその情報を伝えさせて頂きます。……リード・J・フロイトという、
――そして彼が仕掛けた迷彩と盗聴の魔法カードを、懐から取り出して見せた。
無力化された二枚の魔法カードと、ボクの口から出た自分の名前に、フロイト男爵は絶句する。
スパイ行為の動かぬ証拠を突き付きられればそうなるのも当然。
加えて彼にはボクの本当の協力者が誰なのか分からない。
つまり自身の潔白をオリバー卿や騎士団に証明する手段が無いのだ。
となればオリバー卿の事だ。疑わしきは罰するだろう。
彼がオリバー卿にとって重要な手駒でないのならば尚の事。
「それは……脅迫ですか……?」
「それ以外に聞こえますか?」
(盗聴や尾行は彼の本意では無かっただろうし、オリバー卿からの指示であるのも分かってる。……でも、ここは引けない)
事情が分かってしまう分、力なく両膝をつくフロイト男爵の姿に心が痛む。
見方を変えれば、彼もまたヴィター家の内輪揉めによる犠牲者でしかない。
(彼を
可愛そうに思うが、ここまで来た以上
後は彼をオリバー卿の手中から奪う為、最後の選択を推し迫る。
――魔法カードを仕舞い直し、絶望する彼に片手を差し伸べ悪魔の言葉で
「私の手を取りなさい、リード・J・フロイト。私と来れば、このリスクに見合うリターンを提供しましょう。貴方に夢があるのなら、この踏み絵が貴方を更なる高見へ
惑わされ、
呼吸は乱れ、頭を抱える姿に
彼の乾いた喉から
「私には、守らねば成らない人がいます……その為に……ヴィター家に取り入る為に、どんな理不尽な要求にだって応えて来たつもりです」
「レディ・キャロル……貴女は、オリバー卿を超えられますか?」
彼の悲壮な決意が心に伝う。
ここで言葉を濁せば彼は協力を拒むだろう。
騎士団に全てを打ち明け、罰を受け入れようとするのは想像に
(己の余生を牢獄で過ごす事になろうとも、大切な人を守るつもりか)
それを思えば彼を解放するべきだろう。
しかしボクにはそうできない。
――なぜならこの身は、悪役だから。
全てを救うヒーローには成り切れない。
この手で守れるのは一つだけ。
「オリバー卿は通過点です。私にとって、彼は一つの過程に過ぎません。先を見据えているからこそ、彼を超えられないはずがない」
「では、貴女の目指す場所はどこに……?」
「レオナルド・L・ヴィター。我が父の意思と主張を、翻意させる事」
レオナルド卿の名を聞き、彼が驚きに目を見開いた。
「鋼の意思と、鉄の心を持つと評されるヴィター侯爵を……ですか?」
彼の戸惑いに微笑みかけて、問い返す。
「ええ。鉄と鋼は、
彼の気持ちを落ち着けようと、軽く放った冗談に、彼は乾いた笑いで応えて見せた。その表情には、先程まであった鋭い感情が抜け落ちている。
「ははは……確かに、言われて見ればその通りですね……」
「気分が落ち着いたようで何より。それでは、私の申し出を受けて頂けますか? そろそろ腕も痛くなってくる頃合いでして」
差し伸ばし続けていた片手を見て、彼は慌てて立ち上がり、両手で握り返した。
「覚悟は決まりました。貴女に従います。……もっとも、こうなってしまった以上私に選択権など無いも同然ですが……」
「私も心苦しい思いですが、飽くまで自分の意思で"
ボクの手を握る、彼の瞳に映る罪悪感。
それこそが"共犯者"に求める大事な要素だ。
「ははは……末恐ろしい方だ。とても十六の少女だとは思えませんよ……」
見た目はそうでも中身は違うのだから当然の事。
もっとも、時期に年相応の少女に戻る。
その時が来れば彼にも理解できるだろう。
――そして彼は
「貴女を監視するように言われ、それを断れなかった事、心よりお詫びいたします。そして二度とこのような行為に手を染めないと固く誓います。私に
という訳で、協力者となった彼に一つ要請を出す。
「では一つ、貴方にやって頂きたい事があります」
「私にできる事でしたら何なりと」
「この手紙を可能な限り早く、オリバー卿の元に届くよう手配して頂けますか?」
「手紙を……? まだ封がなされていないようですが……?」
「貴方にも手紙の内容を見せた方が話が早いと思いまして。確認後、封はそちらでして頂けると助かります」
「そうでしたか……
ボクからの手紙を確認した彼は、唸るように感嘆した。
「――なるほど……これは、オリバー卿もそう動かざるを得ないでしょうね。……本当に、貴女はどこまで先を見据えておられるのやら……私では想像も付きませんよ」
「引き受けて頂けますか?」
「勿論です。信用できる伝手を頼れば、数刻後には確実に届くでしょう」
「それは何より」
――快く引き受けてくれたフロイト男爵は、まるで憑き物が落ちたような様子でボクに別れを告げ、足早に立ち去って行った。
(これで
事の
戦場となる舞台へ足を踏み出す。
屋上では準備を終えた妖精達が、さぞ困惑している事だろう。
(妖精さん達は計画を知らないし、悪い事したな……出来得る限り、あの子達には責が及ばないように配慮しないと)
純粋な善意から協力してくれた妖精達へのお礼を用意しなければ。
無事に事が収まれば、街や国からそれ相応の評価と報奨が与えられるだろう。
それにオリバー卿へ無事に手紙が届けば、万が一の心配も無くせる。
(ボクからのお礼は何にしようか……スイーツ一年分食べ放題、とか?)
金銭よりも甘い物の方が妖精達は喜びそうだと想像しながら、ボクと妖精達の知性の結晶を受け取りに、屋上に出向いたのだった――
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