第2話 入れ替わりのHSP


 ――転生一日目、午前八時、ヴィター侯爵邸、リビングルーム、朝食。



 あの後、部屋にメイドさんが訪ねて来た。

 侯爵家の令嬢とも成れば自分で着替える事などしない。

 朝の支度は全て、お抱えのメイドさんがやってくれるのだ。


 ……しかし今、自分が着ている服が非常に気になる。


 キャロルは女性なので、当然ながら今着ているのは女性物の服だ。

 だが中身は男性。なので気分的には女装しているのと変わらない。


(まさか人生で女装する日が来るなんて……身体は女性だからおかしくは無いけど、内心違和感がすごい……)


 最早慣れるしかない。

 男装しても良さげだが、それは様子を見た方が良いだろう。


(それにしても、メイドさんの対応は事務的な感じだったな)


 お抱えのメイドさんともなればそこそこ長い付き合いがあると思われるのだが、ボク……もといキャロルに対する反応は非常に淡々としたものだった。


 お陰でボクとキャロルが入れ替わった事に勘付かれた様子は無かったので、ボクとしては少し安心した。……でもキャロルとして受け取ると、何だか少し物悲しい気持ちになってしまった。


(そう言えば日記にはメイドさんの名前、書かれて無かったな……)


 ヴィター侯爵家には複数人の使用人が仕えている。

 しかし彼女の日記には誰一人として名前が出てこなかった。

 つまり、そういう事なのだろう。


 ――ナイフとフォークでウインナーを切り分け、口に運ぶ。


 朝食はとても暖かくて美味しい。

 でも、この部屋の雰囲気は冷め切っている。

 今この空間にはボクと、端に待機したメイドさんの二人しか居ない。


(日記には、父と兄はほとんど家を空けていて、多忙なため余り帰ってこないと書かれていた。しかも偶に帰って来たとしても夜遅く。なのでキャロルはいつも独りで食事をしていた訳か……)


 リビングに来るまでに何人かの使用人を見かけたが、その誰もがボクに対してかしこまって頭を下げるだけで、会話しようとして来た人はいなかった。 


(まるで腫れ物のような扱い。キャロルにとっては安らげる場所では無かったのか)


 ――彼女の残した日記、その最後のページに記された言葉を思い出す。


『お父様、オリバー兄様、そして天国のお母様。

 不出来な私をお許し下さい。

 家名に泥を塗る未熟さをお許し下さい。

 才無きこの身がこれ以上恥の上塗りをしないよう、区切りを付けたいと思います。

 お父様、今までお世話になりました。先立つ不孝をお許し下さい。

 オリバー兄様、期待に応えられずごめんなさい。

 出来る事なら、お兄様のお役に立ちたかった。

 出来る事なら、お父様ともっと触れ合いたかった。

 我儘わがままを言ってごめんなさい』


 それは彼女の遺言だった。

 そして無念をつづった想いの最後に、彼女は一つの願いを込めていた。


『願わくば、お母様に会えますように』


 彼女は安らぎを、死後の世界に求めたのだ。

 最早彼女の居場所など、何処どこにも無かったから。


(でも、まだ君は生きている)


 死んだのはボクで、キャロルじゃ無い。

 だから彼女にはまだ、チャンスがある。


(ボクにとっては二度目の人生だ。どうせなら、キャロルの想いも汲んで、悔いなく過ごしたい)


 一度は生きる事を諦めてしまったこの身だけど。

 彼女の沈痛な想いを受けて、それを捨てられるほど腐ってはいない。


(社会不適合者が、何処までやれるか分からないけど)


 やれるとこまでやろうと誓う。


(やっぱり食事は、家族と一緒が良い…………のか?)


 されどこの身はHSP。

 おまけにネグレクトされてきた男でもある。


 人と過ごす事自体にストレスを感じてしまうこの身では、一般的な幸せというものをあまり理解できない。正直に言って、家族や恋人と食事をする事に幸せを感じた事は無い。


 それどころか、食事は一人の方が幸せだと感じる。


(……前途多難だな)


 早くも幸先不安になってしまった誓いを前に、この先の苦難を想うのだった。




   ▼ ▼ ▼




 ――午後三時、ヴィター侯爵邸、資料室。



 本棚に囲まれた小さな図書館で、詰み上がった本と向き合う。

 わずかな日光と蛍光灯が照らす、本の香りが満ちる室内。

 この世界の蛍光灯は皆、魔法で明かりをともしているらしい。


「この量を一週間で頭に詰め込むのは現実的じゃ無い。そうなると方法はカンニングか……あるいは、基礎部分だけ暗記して自分の推論力に賭けるか」


 喫緊きっきんの課題として、とある学園への入学試験がある。

 それはヴィター侯爵家の一族として必ず合格しなければ成らない試験。

 その学園の名称は"王立騎士学園"という。


 この学園を卒業して騎士の称号を得た者は、その約半数がダンジョン付きの騎士として、ダンジョン内部にある拠点に配属される。そしてダンジョンの内部には騎士か、国から許可を得た冒険者と商人だけしか入れないという。


 ダンジョンの管理運営にも騎士号の取得が義務付けられており、ヴィター侯爵家には必ず騎士号を取得せねば成らないという掟がある。取得できなかった者は勘当かんどうされて家を追放される模様。


(年齢的に見て、既にオリバー卿が騎士号を取得しているだろうし、ダンジョンの運営は家督を継いだ人がやるらしい。だからわざわざボクまで取得する必要性を感じないけど……そういう問題じゃ無いんだろうな)


 こういう一族の掟とは、家名の箔を付ける為にあるものだ。

 故に掟を守れない者は家名をけがしたとして家から出されてしまうのだろう。


(あー……貴族って面倒だな)


 一通り参考書に目を通すべく流し読む。

 試験の仕方が日本とは違う可能性もある以上、カンニングは成功率が低い。

 そうなるとやはり己の推論力に頼らざるを得ない。


(筆記試験は選択式で正答を一問選び出す形式か。……最悪、条件確率の応用で二分の一にまで絞って賭けるしかないな)


 問題文を見ても分からない場合は、いさぎよく確率論に賭けた方が当たる。


 選択肢が五つあるなら、最初に選んだ答えは80%の確率でハズレ。最初に選んだ答えを除外して、次に選んだ答えは75%の確率でハズレ。それも除外して選んだ答えは67%の確率でハズレ。それも除外すれば残るは二択。50%だ。


 屁理屈でしかないが、何もしないよりはマシだろう。

 学生時代、この方法で苦手な科目を何度かパスした経験もある。


(まぁ、神頼みでしかないのは変わらないけど)


 今は可能な限り情報を頭に入れるしかない。

 この世界に来たばかりで圧倒的に情報が不足している。

 これも情報収集の一環だと思えば、案外スムーズに記憶できる。


(ゲームの攻略知識みたいな物だと思えば割かし楽かな)


 勉強だと思えばはかどらないが、生活を成り立たせる上での攻略知識だと思えば意外と捗る。魔法という地球には無かった要素が、知的探求心の後押しに一役買ってくれているようだ。


 ――しかしその魔法がまた、難題でもある。


 魔法という非科学的な概念を前に、独りちる。


「実技試験は魔法の行使……使えるのか?」


 キャロルの日記には上手く魔法を維持できないという苦悩が書きつづられていた。


(ボクが転生した事で、急に魔法が使えるように成ってたり……して無いか)


 非情に残念ながら神様から転生特典のような物を貰った記憶は無い。

 というか神様に会った記憶すら無い。


おぼろげに、死ぬ直前に暖かい光を見た記憶はあるけど……あれは只の幻覚だったのかな?)


 あれが神様だったというなら色々と教えて貰いたいものだ。

 等と愚痴を零しつつ、当面の課題に一歩ずつ、確実に歩みを進めるのだった――

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