愛の記録(月光カレンと聖マリオ11)

せとかぜ染鞠

第1話

  …… 明日3月 30日 はあなたと私が出会った日であり,あなたの新しい誕生日で

  あり,私たちのお別れの日です。このような忌まわしい私に育てられた18年を, 

  どうぞ恥じたりしないでください。あなたは如何なるときも私の穢れに染まるこ  

  となどなかったのですから。そしてこの日記の次頁からが空白であるように私た

  ちの関係も明日からは真っ白なのです。

   誇り高く,その名のとおり清らかに生きてください。あなたの人生に幸多かれ

  と祈っています。               シスターの仮面を被った悪党


 18冊目の日記帳を閉ざし,過去の日記帳とあわせて純白のベールでつつんだ。

 冷水を浴び十字架の前でひたすら祈りを捧げ,幻聴と幻覚を待つ。やがて聞こえないはずの旋律が鳴り響き,見えないはずの神の降臨を迎える。身を委ね意識を失う。

 いつ目覚めたのか気づかないまま無数の墓地の一つ一つに花を手向け,海の彼方のとき色を帯びる光景に感涙を催す。夜明けだった。

 シスター聖マリオとしての最後の勤めを為果しおおせて修道服を脱いだ――

 春靄を切りさき丘を駆けおり波間に飛びこむ。待ち侘びていた鮫の背に乗り,海を渡って某国の陸へとあがる。雪山をじのぼり,頂で胡坐をかいていると,鉄の巨塊が火花を散らしつつ日本列島むけて飛んでいく。

 爆裂弾だ。射程圏内に竜宮島も含まれる。雑役の娘キヨラコが今日,目の手術を受ける病院のある島だ。

 山頂から飛びおり頭から雪雲を突けば透過する結晶が八方に散る。結晶と結晶の弾けあう間隙を過ぎ,速度をあげて爆弾を追いこしてから,余裕をもって黒光りする滑らかな側面にしがみついた。天を埋めつくす種々大小諸々の鳥たちが一斉に降下して風勢を起こしながら周囲に密集する――みんな,そんなに俺さまが好きかよ。あんまり惚れるなよ。

 色取りどりの鮮やかな羽毛と,何処からともなく吹きよせられた薄紅の花弁と,牡丹雪とが激しく渦巻きながら綯い交ぜとなった。

 爆弾が進行方向を転換して高度を急激におとした。速度も徐々に減退していく。

 海面を突きやぶり鮫とドルフィンの大群が舞いあがる。大群は巨大な一波となって爆弾をのみこんだ。うねりをなす波の上から鯨の一族が潮を吹きつつ重なりあっていく……

 爆弾は海底に激突して爆発した。

 沈没船が次々と浮上し,一挙に溢れでた金銀財宝が陽光を受けて強烈な反射をなしながら宝島を形成した。宝島に一番乗りで上陸し,勝ち鬨をあげた。

 夜になったが,どうしても気持ちを抑えられない。手術が成功し幸福を享受するキヨラコの姿を一目だけ見たい!――

 舌先で硬口蓋を打ちならしたが,馴染みの鮫たちは現れない。仕方なく竜宮島まで泳いだ。

 月が皓々と照らす夜道をフードを目深に被って急いだ。

「竜神さんに見初められっぞ――はよ,出といき」老女に声をかけられる。「美人は島に入っちゃいけん。竜神さんが目ぇ覚ますけん」そう言って竜宮病院そばの小高い土盛りを見あげた。

ばあちゃん,この人 ―― 男じゃがね 」頰被りした婦人が老女の腕を叩いて頭をさげた。「竜宮山いうんです」老女の見ている,病院より低いなだらかな土盛りへ視線を走らせる。「竜宮山の神様が島へ来た美人を外へ帰さんように悪さをなさる。それで災いが起きるいう言い伝えですけど――気にせんでください。子供の遊び場になっとる普通のお山ですけん」

 2人と別れてから病院の壁を這いあがり,病室のなかへ忍びこもうとした。

 ――キヨラコとまともに目があった。

「きゃああああぁぁー!」キヨラコが悲鳴を発し,入ってきた看護師に抱きついてこちらを指差す。「鬼神が! 悪魔が! 物の怪が!」

 看護師が恐るおそる窓外を確認してからキヨラコの背中をさすった。「何もいませんよ」

「本当におりましたのよ!――霜のおりたごとく髪を乱し,透きとおる肌に,青とも赤とも色を定めぬ炎のような瞳が爛々と輝いておりました!」

「手術後ですもの――目も本調子ではないんでしょう」

「信じてくださらないのね――宜しくってよ,ええ,結構です ―― 三條さんじょうさんはまだですの。島へマリオさまをお迎えにいらしたはずでしょう。もうお戻りになってもよいのでは? 遅すぎます! 早くするよう連絡してくださいな!」

 目の見えるようになったキヨラコの性格は,以前とかわってしまったように思われた。

「遅くなりました! ―― 」三條 公瞠こうどう巡査が病室へ駆けこんでくる。怪盗月光カレンの宿敵であり,シスター聖マリオの信者でもある好人物だ。

「あら,マリオさまはどうなさいましたの! 何故,御一緒ではないのですか!」

「……あの,マリオさまは……マリオさまは,ほら,人にはお顔をお見せにならないお考えをおもちですから――島へキヨラコさんがお戻りになってから――多分,お戻りになってからお会いするおつもりなのでは――」

「そんなのおかしいではありませんか! 私は大手術を受けましたのよ! 私をこよなく愛しておられるマリオさまがいらしてくれないはずなどございませんわ!」

「むむむぅっ――あの,そのかわり,これを!」日記帳の入るベールのつつみを掲げる。「礼拝堂にありました」

 キヨラコが乱暴に受けとるなり,つつみを解いて1冊目を手にする。頁を捲る手が次第に早くなり,全てを読みおわらないうちに,倒れこむように積みかさなる日記帳を崩し,18冊目を押しひらいた――

 眦を決して唇を嚙みしめる。

「何よ! こんなもの!――」第18冊の日記帳を窓外へと捨てた。「こんなもの! こんなもの! こんなもの!――」次々と日記帳を投げすて最後は数冊纏めてベールごと放りなげた。純白のベールが翻りながら月光の届かぬ闇底へ消えていく。

「あなたね! 私を騙そうとしている!」長身の三條に食ってかかる。「マリオさまを独占したいから,私を遠ざけようとしているのね! 簡単にいくものですか! 善人ぶったあなたの心中はお見通しよ!」

「キヨラコさん……」

「近寄らないでちょうだい!」無慈悲な輩の野良犬を駆逐するみたいな手振りをして睨みつける。「マリオさまは渡さない! マリオさまは私だけのものよ!」頭をかかえ,亜麻色の髪を振りみだす。「ああ! マリオさま! 何故,このような試練をお与えになるのです! 何故お捨てになるのなら,お拾いになったのです! 最初から情などおかけにならねばよかったのです! 手切れ金がわりに目をお治しくださったとでも仰いますか! それならば目などりません!――」キャビネット上の裁縫箱から摑みとった鋏を斜め十字にひらくなり刃を両眼に突きたてた。「これでお戻りいただけますね! わたしのもとへお戻りください!――」血塗れの顔に微笑を浮かべて窓辺に寄ると,満月へむかって両腕をのばす。「ああ,マリオさま!――」窓外へ身を投げた。

「キヨラコ!――」その指に触れたはずだった。

 竜宮山の頂上に亀裂が入り,裂け目から橙の火炎ほむらがふきあげた。火塊と溶岩の混じる爆風が襲来し,意識が飛んだ……

 浜辺へ打ちよせられていた。視線をあげれば教会が見えた――聖マリオの降臨したと名高い離島の教会だ。鮫たちが気絶した俺を運んでくれたのかもしれない。

 疲労に身を起こす気力もわかず,砂浜に鼻先を埋めれば,人気を感じる。目端にそばで倒れる男の姿が飛びこんだ――

「三條!」と肩を揺さぶると,譫言うわごとを呟いた。「マリオさま……月光カレン……」

 竜宮山の噴火に伴い生じた地震のために地盤が沈下し,隣島は消失した。俺の育てた娘も,彼女と過ごした日々を綴った愛の記録も深い海の底を漂っている……

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