祝儀袋

スケジュール帳を開くと「アナログなんですね」なんて会話が始まる一連の流れを何度経験しただろうか。


私は、デジタルにはデジタルの良さがあると思うし、紙のスケジュール帳も好きだが、基本的にはアプリを常用しているタイプだ。


近年、デジタルに移行していったものは多い。

手紙からチャットツールへ。紙幣から電子マネーへ。効率重視の人間なので、そういうものの恩恵を多分に受けている。


先日は、ついに「ご祝儀もデジタルサービスにならないかな」なんて会話をした。

それはピン札を用意することを忘れていて大変だったという同僚の言葉から始まったものだったと思う。


その時の会話は、他の「あったらいいな」に派生して大変盛り上がったが、私は祝儀の件から心ここに在らずだった。

「ちょっと、それは違うかも」と思い始めたのだ。


そこには一体どんな違いがあるのだろうか。

週末に行われる友人の結婚式に向けて、祝儀袋を選びながら考えた。


特に忙しい訳でもないのに、仕事を言い訳にして「こんな形でごめんね」と、友人の誕生日を電子ギフトで済ませたこともあるような人間である。

それなのに、なぜ祝儀には引っかかりを覚えたのか。


思い出したのは年末年始のコマーシャル。

お年玉を電子マネー送ろうという内容だった。当時「なんか、嫌だな」と思ったものの、最近は会いたくても会えない人もいるから、とすぐに思い直したのだった。


多分私は「相手のために何かした」「自分のためにしてもらった」という証拠が、どちらかの手元に残るのが好きなのだと気付いた。


昔からお年玉の袋は大事に取っておきたいタイプだったし、便箋を選ぶ時もめちゃくちゃ悩む。そして訪れた美術館や旅先では、必ず絵ハガキを買う人間なのだ。


今回も奮発して、ちょっとだけ質の良い祝儀袋を手にとった。

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1996 鴨の羽 @kamonoha_9

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