第5話 ばいばい
どれくらい気を失っていたのだろうか? 時間にしたらそれほど経ってはいないだろう。気が付いた時には心配そうに俺の顔を覗き込む五十嵐さんだけだった。
銀髪が何処かに隠れている可能性もあると思い、俺達は店内にある洗濯機と乾燥機の中を一台ずつ探したけれど見つけることは出来なかった。あの光景はいったい何だったのだろうか……。
「銀髪ちゃん無事に帰れてるといいね」
「あれだけ元気な奴だったし大丈夫だろ」
俺の腹が突然ギューとなる。そういや昼飯も食べていなかったし銀髪が居なくなって緊張が解けたのか腹が空いてきた。
たしかクロワッサンが数個残っていたはずだ。辺りを見回すと目当ての袋が床に落ちている。人のクロワッサンをこんな所に置いていくなよ。
「残り二個か……五十嵐さんも食べる? お腹すいたでしょ?」
あいつ更に二個も食ったのか……。
「ありがとう、でもやめとく。エヘヘ」
「うまい棒なのに……」
「?」
「なんでもないです……いやー美味しそうだなー」
袋から取り出すとバターの香りが漂ってきて食欲をそそった。
パン屋に売られている普通サイズのクロワッサンも美味しいけれどボロボロと表面が崩れて食べにくいのがマイナスだ。俺はこの一口サイズに焼かれた物の方が安心して味わえる。
「おいしい?」
「食べたいのなら素直に欲しいって言えばいいのに」
「い、いらないわよ! そんな庶民のクロワッサンなんて」
「庶民ってなんだよ……結構うまいんだぞ? 食べてみろよ」
「いらないって言ってるでしょ! あたしは今ダイエット中なの!」
ダイエットねぇ……滅茶苦茶食いたそうな顔してるじゃないか……可哀そうだし最後の一個はこっそりバッグの中に入れといてやるか。本当にダイエットなら冷蔵庫にでもしまうだろう。
「味は落ちるだろうけどな」
「何の話?」
「いや……なんでもない」
「ふーん。まぁいいけど……帰るね」
五十嵐さんは椅子から立ち上がるとバッグを重たそうに担ぎ上げて言った。そういや濡れたままだったもんな……水分を吸収した衣類を持ち帰るのは大変そうだ。もう銀髪もいないことだし乾かしていったら良いのに。
「乾燥機使っていかないの?」
「うーん、もういいかな。家で洗いなおす」
「ん? 洗濯機持ってるの?」
「あるよ? 知らなかった?」
「なんで
「別にいいでしょ。持っていたら来ちゃいけないっていうの?」
「そういうわけじゃないけどな」
「細かいこと気にしてるとモテないよ?」
「大きなお世話だ」
「それじゃあまたね、集塵くん」
「あいよ」
五十嵐さんは軽く微笑むと胸元で小さく手を振ってランドリーから出ていった。それにしても何故こんなにも疲労しなくてはならんのだ……。
「ん??」
五十嵐さんも帰ってしまったし俺もそろそろ自宅に戻ることを考えているとポケットの中から微かな振動を感じた。
スマホを確認してみると最近入れたばかりの無料コミュニケーションツールであるカインに通知が届いているみたいだった。会話にインするからカインだとか何だとか……略せばいいってものでもないと思うけど。
正直メールだけでも問題なかったのに五十嵐さんが半ギレしてくるから仕方なくインストールしたんだよな。
「五十嵐さんからだ」
俺の誕生日を入力すると、おなじみの緑色をしたカインの画面へと切り替わった。誕生日を暗証番号に使用するのはセキュリティ的には良くないのだろうけど、パスワードだらけであるこのご時世で、ややこしいものは忘れてしまいがちだし特に困るようなデータなんて入ってはいない。
「なになに………なんでクロワッサンがあたしのバッグに入ってるのよ!! そのまま入れるなんてありえない! 服は汚れるしクロワッサンも食べれなかったじゃない! 今度なにか奢ってよね! プンプン」
五十嵐さん風に喋ってみたが男の俺には無理があったな……完成度が低すぎた。ところで最後のプンプンってなんだ?
「やっぱり食べたかったんじゃないか。素直に食べたいっていえば良かったんだよ」
大体クロワッサンだって食べれないことはないし洗濯物だって一度は汚れを落として綺麗なはず……俺なら迷わず食べる。まぁ、服が汚れてしまったのは申し訳なかったけれど洗いなおすって言ってたから問題は無かったはずだ。
食事を奢れか……五十嵐さんと食事出来るなら毎日だってご馳走してやろう……お金があればね。
なんだか想像していたら気分が上がってきたな。自宅までスキップしたくなってきたぞ。幸い通行人も見当たらないし久しぶりにスキップしてみるか。
「いくぞっ!」
運動不足の俺がいきなりスキップは若干の不安があったが思い切って跳ねてみた。
「右足からっと……」
タンッ!
「左っと……」
タンッ!
「おおおっ! 出来る出来る!」
久しぶりだったが意外にも軽やかに跳ねれるものだな……同時にこの移動速度に感動すら覚えてしまった。スキップなんて何年ぶりだろうか……こんなにも軽やかに舞えるなんて思いもしなかったぜ。俺はそのままタタンッタンタンと軽やかに地面を蹴って自宅に向かった。
タタンッタンタンッ! タタンッタンタンッ!
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