他人の日記は勝手に読んではいけません。

柳生潤兵衛

ホラーな現実。

 今日は風が強い。

 高層ビルの並ぶここは特に酷い。


 夜間施設警備の仕事を終えた俺は、まだ人気の薄いビル街を駅に向けて歩く。


(電車に乗ったら、小説の続きを読もう)


 俺は、業務の空き時間に読み進めているホラー小説の続きが、気になって気になって仕方ない。


「ううっ! それにしても、風強過ぎだろ」


 俺は頭を前に出して前傾姿勢となり、強烈な向かい風に逆らいながら歩いていると、歩道に本が落ちているのを見つけた。


 本は風上に背表紙を向けて落ちていた。


 今は安定しているが、転がって来たのか汚れが付き、角は潰れていて表紙にも擦り傷が深く刻まれている。


「あ~あ~! 可哀そうに……」


 俺は本好き、それも“紙の本”が好きなので、このように本が傷ついていると居た堪れない。

 本を拾い上げて、少しでも汚れを落とすべく、パタパタとはたく。


 本は書籍ではなかった。表紙には、英語の筆記体で『Diary』と印字されている。


「……日記か。誰かのカバンからでも落ちたのか?」


 俺は周囲を見回すが、落とした人はいないみたいだ。


(…………)




 俺は誘惑に負けて、確実に誰かの物である日記帳を開いてしまった。

 読みかけのホラー小説よりも、他人の日記の方に天秤が振れてしまった。


 日記には女性の字で、男女の関係にある職場の上司らしき男性との事が赤裸々に、そして妻子あるその男性との関係を続けるのか見を引くのか、苦しい胸の内の吐露が綴られていた。


 端々に『死にたい』とか『楽になりたい』と、不穏な言葉も書かれていた。


 俺はページをめくりつつも、駅に向かって歩を進めた。

 相変わらず強烈な向かい風に晒されながらも、俺は日記から目を離せなかった。


 ページをめくった俺の目に、今日の日付が映った。


「今日?」


(“今日”は、まだ始まったばかりだぞ?)


 俺は、そう考えながらも歩みを止めずに、そして日記帳の今日の日付の文を見る。


『もし、この日記を拾った人が私とは逆の方向に行ったら諦めよう』


(おっ――おいおい! わざと落として何かを占うのか?)


 更にその先を読む。


『でも、もし私の下に歩いてきたら、その人に飛び降りよう』


「はあ?」


思わず声を出した瞬間、車道を挟んだ反対側にいた歩行者が甲高い悲鳴をあげた。


「キャーーッ!」


俺の視界と本に、フッと影が差したと思ったら――


バチャンッ!


 俺の背後で、何かが潰れるような――柔らかいものが道路に叩きつけれたような――大きな音。

 それに、俺の背中からふくらはぎにかけて、雨の日に車に水を撥ねられたのと同じ感触……。


「い、一応救急車!」

「今掛けてる!」

「飛び降りか?」

「ええ、女性だった」

「あの人、巻き添えになるところだったわよ?」

「うわ~。俺、初めて見たよ……」

「あ~あ、あの服の汚れ、どうやっても落ちねんじゃね?」


周囲が騒然としている。

俺は、正面から強風を受けたまま、背後に血飛沫を浴びて動けずにいた。


俺の両手は、ダラリと下っているが、“飛び降りた人”の日記はしっかりと握られたままだった。


                              (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

他人の日記は勝手に読んではいけません。 柳生潤兵衛 @yagyuujunbee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ