第七話「十五夜の追憶」③
「ふぁーぁ……あれ、何でここに座ってるの?」
「あー……その、左寺さんに用事があって来たんですけど……」
「あぁ! 雨彗ちゃんの! それでさっき機嫌が悪かったのねぇ。ごめんなさいね、まだピリピリしているから……あ、ここの近くに小さいカフェがあるんだけど、そこに行かない?」
「カフェ! 行く行く!」
「ちょ、火糸糸ちゃん!」
突如立ち上がった彼女の目には『甘いもの』と書かれていた。ダメだ、これは止めても無駄なやつだ。彼女の反応を見た一人のおば様。目尻にシワを寄せて微笑む姿はまさにマダムと言ったところだろうか。
一つ一つの動作が丁寧である人を見るのは藤原敦美さん以来かもしれない。私が一人あたふたしていると、あっという間にマダムに連れて行かれるツインテールの彼女。これは付いて行くしかないか、と思い「十五夜さん、行きますよ!」と立ち上がった。
「ま、待って! 私も行くの?」
「えぇ。火糸糸ちゃんが行っちゃったんですから仕方ないですよ。ほら、早く」
渋る彼女は私を見上げ、目を泳がせる。私が手を差し出しているのを少し見つめた後、一瞬だけ手を伸ばそうとした。私はそれを見逃すわけがなく、パシッと掴んで「ほら!」と急かした。
だいぶ先へと歩いて行ってしまった彼女たちに追いつくために足を必死に動かす。二人ともそこそこ高いヒールを履いているのに何でここまで歩くのが速いのか。
「へー! 左寺さんと仲良しなんですね! 通りで美人なはず……」
「いやねぇ、そんな褒めても何も出ないわよ! それより、雨彗ちゃんに用事があるって何事?」
「あれ、私達のこと知りません? 結構、有名人だと思ってたんですけど……」
二人の話し声が聞こえて来た時にはすっかり仲良くなっていたようで、談笑中だった。私と十五夜さんは後ろで話を聞く形になっているが、確かに私達の事を知らない人って珍しいな、と思った。
何せこの格好で異質な存在、それに加えて天界と地獄を行き来しているのだから自然と目立つ。しかし、マダムは頭を傾げて「あら、そうなの?」と不思議そうにしている。
「まぁ、知らなくても大丈夫ですよ! ただのお手伝いをしているだけなので!」
「あら、偉いわねぇ」
うふふ、と口元に手を当てて笑っているマダムは「あ、あそこよ」と指を差した。その先には小さい小屋がポツンと建っている。煙突が一つあり、白い煙がもくもくと出て行く。その風に乗って来る香りは出来立てのパンの匂いを思い出させた。自然とお腹が空いて来て、ぐぅとお腹が鳴った。
「あらあら、あなたもお腹空いているのね? ここのフレンチトースト、本当に美味しいから期待しててね」
しまった、あの時に何か食べていれば良かった。薬草の匂いとは打って変わって、美味しそうな匂いだとここまでお腹が空くのか。生きていると対して変わらないので不思議に思うが、今はそれどころではない。カフェに着いた後、マダムは常連だったらしく「こっちよ」と手慣れた様子で案内してくれた。
「じゃあ、いつものランチを彼女達にお願いします。私含めて四人分ね!」
「かしこまりました」
サラサラと紙に書いた後、すぐに厨房へと戻って行った。中へ入ってからは更にパンの香りに包まれたので、早くランチが来ないかなぁと期待してしまう。
「それで、雨彗ちゃんと会いたいの?」
「会いたい、と言うよりも話がしたいって感じですかね」
「まぁ、あなたが?」
「あ、いえ。私じゃなくて、この人です」
さっき去った店員さんが水の入ったコップを四つ持って来て、それぞれ私達の前に置いた。「ありがとうございます」とお礼を言った後に私はすぐに訂正をした。ずっと火糸糸ちゃんと話していたマダムは私の方を見て、「あなたもお手伝いさん?」と聞いて来た。
「そうですね、そんな感じです。左寺さんに会いに来たんですけど、さっき断られちゃって……その、昔は仲が良かったけど、ある事がきっかけで悪くなったと言うか……」
「そうだったのねぇ」
依頼者のこと、そして相手のことをどこまで話して良いか分からないので少しだけ言葉を濁す。本人が目の前にいるのもあるが、ここでする話でもないだろう。
マダムは目の前に置かれた水を手に持って一口飲む。私が指差した方向にいる十五夜さんを見て、「あなたが雨彗ちゃんと会いたいの?」とストレートに聞いた。
「そう、です……でも、私には会う資格がないって言うか。そもそも、彼女と親友だったのに私がそれを壊したって言うか……ごめんなさい、こんな話をしても困りますよね」
「そんなことないわ。話してくれて、ありがとう。えっと、何とお呼びすれば良いかしら?」
「あ、私、十五夜紫苑って言います。月の十五夜って書いてもちづきって読むんです」
「あら、素敵なお名前ね。十五夜さん、あなたはどうしたいの?」
「どうしたい、とは?」
「彼女と、雨彗ちゃんと会って、どうしたいの?」
さらっと人の名前を褒める事が出来る女性って魅力的だよなぁ、なんて場違いなことを思っていた。物腰柔らかに見える彼女はただ優しいだけでなく、厳しさも兼ね備えている。私達と話していた時とはまた違った視線で十五夜さんを見つめた。
その視線はやはり藤原敦美さんを思い出させるのだ。何となく、心を見透かしている感覚。そんな彼女の質問に対して明らかに動揺した十五夜さんは、「そ、それは……」と言葉に吃った時だった。
「お待たせいたしました。こちら、特性ランチプレートでございます」
気まずい空気の中入って来たのは店員さんだった。両手に一つずつ持ったプレートの上にはおしゃれに置かれたサラダとフレンチトースト。「彼女達を先に」とマダムが私と火糸糸ちゃんに譲ってくれた。
ふんわり香ってくるミルクと卵の匂いにお腹を空かせるが、食べて良いものなのかと戸惑っていると「お先にどうぞ」と微笑まれたので遠慮なくフォークとナイフを用意した。
「私はね、六十七で死んだの。そこまで若くもないけど、歳も取ってないのよ。六十七年間生きていたら友達との喧嘩なんてしょっちゅうよ。そのまま縁を切った子もいるし、数年越しに仲直りした親友もいたわ」
「凄いですね……」
「大したことないわよ。ただのおばさんの人生だもの。でもね、本当の親友って言うか、本物の友達って言うのは切っても切れないものよ」
淡々と話をするマダムは鼻にかけるような話し方を一切しない。年寄りの人は自慢や説教が多いと思っていたけれど、彼女は違うらしい。依頼人の中にも似たような人がいたけれど、珍しいのではないのかなぁと思いつつサラダを口に運ぶ。
「それで? あなたはどうするのよ」
「……私、は……もう一度、笑い合いたいっ……一緒に笑って、あの時みたいに、仲良くしたいっ」
ポタリ、ポタリ、と木の机の上にシミを作っていく。我慢していたのか、それともマダムによって掘り出されたのか。溢れる言葉は全て本音なのだろう。私達よりも向いているんじゃないか、と一瞬不安になって火糸糸ちゃんを見ると黙々とランチを食べていたのでちょっとホッとした。
「もう一度、親友になりたいんですっ……」
「そう。今言ったこと、彼女に伝えれば良いのよ」
「でも……」
「そうしないと、二度と仲直り出来ないわよ」
じっと見つめる彼女は、迷う十五夜さんを追い詰めているように見える。ジリジリと追い詰めるよりも、言い訳出来ないようにしているような。「二度と」を強く主張したのが聞いたのか、動きがピタリと止まった。
「まぁ、出来ないと思ったらそこまでだよ」
「ちょっと、火糸糸ちゃん!」
「死んだら変われるって思う人いるけどさ、結局は変われない人は変われないんだよ」
黙々と食べていたツインテールの彼女は、チラッと十五夜さんを一瞥した後にコップの水を飲み干した。「ふぅ、お腹いっぱい!」とお腹を摩っている姿からは想像し難い鋭い言葉。唇をギュッと噛んで何かを我慢しているのか、それともこれからのことを不安に思っているのか。
「……ちゃんと、伝えたいです」
「何を、伝えたいの?」
「私の気持ちと、謝罪の言葉。そして、あの日のことも。面と向かって、しっかりと目を見て」
オロオロとしていた姿は何処へ消えたのか。真っ直ぐと前を見て、目を見て話している彼女はいつも通りの強気な姿勢だった。焚き付けたのは火糸糸ちゃんの言葉か、それともマダムの言葉か。真相は定かではないが、それを聞いたマダムが「そう」と微笑んだ。
「じゃあ、きっともう届いているかもしれないわね」
パチっとウインクをしたマダム。何を言っているのだろうと思い頭の上にクエスチョンマークを浮かべていると、「四温……」と十五夜さんを呼ぶ声がした。
声のした方を見ると、そこには左寺さんが立っていた。眉尻を下げて目には涙が溜まっている。私も驚いて「え、何で?」と言うと、「呼んじゃった」と舌をピロッと出すマダム。意外と策略家?とも思ったが、それよりも彼女達のことが優先だ。私が何か言う前に左寺さんが口を開いた。
「何よ……今更、あんなことを許せだなんて……」
「ごめんね、早艸……私、親友失格だよね……」
「ずっと、ずっと、心に残っていたんだからぁっ……裏切るなんて、酷いよぉ……」
「ごめん、ごめんね、早艸。……許されるなんて、思っていない。それでも、貴女に会いたかったの」
「我がままで、ごめんね」と聞こえた最後の言葉は涙声だった。謝ってばかりの十五夜さんは精一杯の勇気を振り絞ったように聞いている。彼女が宣下した通り、目を見て真っ直ぐに伝えた。
「雨彗ちゃん、あなたも素直になりなさい。寂しかったんでしょう? 裏切られた事を、信じたくなかったのでしょう?」
途中で口を挟んで来たマダムは左寺さんに向かって優しく話しかけた。子供に向かって諭すように話す彼女は彼女のことよく知っているらしい。
内容をそこまで深く聞いて来なかったのも納得できる。親友に裏切られる。その行為がどれ程までに残酷なのか、目の中で揺れ動く感情が示していた。
「……すぐには、許せないかもしれない。でも、でもねっ……私達は、ずっと、ずっと親友よぉっ……」
「早艸っ!」
頬を伝い流れる一筋の涙は輝いていた。太陽に反射してとか、そんな科学的なことではなくて、素直になったことを表すような綺麗な涙。彼女の言葉を聞いた十五夜さんはガタッと勢いよく立ち上がり、一目散に親友の胸に飛び込んだ。
気が強い彼女が流す涙は間違いなく本物で、何十年、何百年とかかった仲直りもきっと本物に違いない。抱き合った二人は子供のように泣きじゃくり、他のお客さんからの視線が少しだけ痛かった。まぁ仕方ないだろう。だって、何世紀も超えた仲直りなのだから、これくらい大目に見よう。
*
真っ赤に腫れた目のまま、十五夜さんは仕事へ戻って行った。私達はてっきりこのまま天界で暮らすのかと思っていたのだが、本人曰く「こっちの方が性に合うのよ」とのこと。つい数時間前まで借りて来た猫のように大人しかった彼女はすぐに切り替えてていつもの気の強い女性へ戻って行った。
「ほんと、私達必要だったのかなー?」
「どうだろうね。……でも、これで左寺さんの気持ちも晴れたんじゃない?」
彼女を見送った後、手持ち無沙汰な私達は廊下を歩いていた。すれ違う職員さん達は何だか忙しそうで、この前「現世で災害が多発している」と聞いたのを思い出す。恐らくそこで死んだ人がたくさんいるから慌ただしいのだろう。バタバタ過ぎ去る職員さんを横目に私達はのんびり歩いている。
「ま、今回は流石に報告書ないっしょ。やーっとゆっくり出来る!」
「こーら、何言ってんのよ。あるに決まってんじゃない」
コツン、と火糸糸ちゃんの頭に当たったのは紙束を丸めた物。「え?」と間抜けな声を出した火糸糸ちゃんはすぐに「げっ」と声が変わった。
「こら、人を見てその反応はないでしょう」
「十五夜さん、どうされたんですか? 仕事に戻ったんじゃ……」
「あぁ、そうそう。これを渡そうと思ってね」
はい、と言われて手渡されたのは丸めていた書類。少しだけ癖のついている書類を真っ直ぐにして目を通すと、デカデカと書かれた三文字。
「はぁ? 今回も書くの⁉︎」
「当たり前でしょ。ほら、今からいつもの部屋に戻って行きなさい。完成したら、私の所まで持ってくるのよー」
ヒラヒラと手を振って去って行く十五夜さん。あの時のしおらしい彼女はとっくとのとうに消えてしまったらしい。私は「まぁ、そうだよね」と納得していたが、隣にいる一名様は納得していない様子。わなわなと震えているのでスッと自分の耳を塞いだ。
「何で! 毎回こうなるのよぉ!」
予想通りに叫んだ彼女は「抗議してやる!」と息巻いて姿が見えなくなった犯人を探しに行った。大人しく書けばいいのに、と思いつつ渡された書類を見る。
『報告書』と書かれた紙の下の方に小さめの付箋が貼られていたことに気が付いた。ペリッとめくり取って見ると、そこには『今回はありがとうね。報告書、短くても良いから』と書かれていた。
「ほら、やっぱり。大人しく書けば良かったのに」
遠くで十五夜さんの名前を叫びながらヒールで走って行く彼女を見つめる。天界に住んでいる人の手伝いを始めてだいぶ時間が経った。もうそろそろ終わりに近づいているんじゃないかと思っている。
誰かに聞いた訳ではないのだが、感覚で終わりが近づいているのを感じるのだ。このまま平和に終われば、彼女達との時間も忘れるのだろうか。感傷に浸りながら私は例の部屋に先に向かうことにした。
しかし、数日後に入って来た知らせに私は自分の勘は正しかったのだと思い知らされることになる。
『左寺雨彗さんが、行方不明になった』のだ。
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