第七話「十五夜の追憶」②

「心艮さん、連れて来ましたよー!」


口を開いた時、重苦しい空気の中に突っ込んで来たのは笑顔いっぱいの吉糸さんだった。少し遠くから手を振っているので手を振り返すと、「こっちに来てもらってもいいですかー?」と叫んだ。私は自分の腕を使って大きな丸を作り、「火糸糸ちゃん」と声をかける。


「はいはい、分かったよ。あーあ、もう一つ食べたかったのになぁー」


「すみません、さっきの注文キャンセルでお願いします」


かしこまりました、とウェイトレスさんが言うと私達は急いでお店を出た。テラス席に座っていたのもあり、外から声をかけられても問題はない。ただ、他のお客さんからの視線が痛かったけれど。それはいつもの事だからと自分に言い聞かせ、ブツブツと文句を言っている火糸糸ちゃんの腕を引っ張った。


「意外と早かったですね」


「一応、準備してもらっていたんで! では、十五夜さん。頑張ってくださいね」


「……うん、ありがと」


吉糸さんの後ろにいた彼女は、いつものように堂々とはしておらず俯いている。自信なさげな表情に先程の書類に書かれていた内容を思い出した。


ここで聞くか、と一瞬考えたが誰が聞いているか分からないと思い「じゃあ、行きましょうか」とだけ口に出す。私の誘いに静かに頷き、「早く行こーよ」と急かす火糸糸ちゃんの後ろを付いて行った。


カフェからは少し離れているエレベーターに向かう途中、それはもう今まで以上に視線を感じた。だって、職員の一人である十五夜さんが依頼主だと知れ渡っているから。私達の依頼人はほぼ全職員が把握しているらしい。


初めての時のように手間取る事によって時間や手間がかかるからだとか。それならもっと早く行動して欲しかったと思うのは私だけだろうか。


「あの、ごめんね」


「何に対しての謝罪ですか?」


「だって、迷惑、かけてるし……」


「別にー? 私達も、もっと迷惑かけてたんだからここの位全然へーき」


彼女からの謝罪の言葉を聞いても何も私達には響かなかった。嫌いだからとか、そんな事じゃなくて。ただいつものお礼を兼ねてと思っているだけだ。


だから火糸糸ちゃんもいつも通りの返事をして、エレベーターに向かう足を止めない。しかし、それでは気が済まないのか「でも……」と話を続けて来る十五夜さん。


「だから、平気って言ってんじゃん。もしかして、自分の生前の内容を知られたからどうしようって思った?」


「……」


「やっぱり、そうだったんですね。……十五夜さん。私達はあくまで『恩返しのお手伝い』として依頼を遂行しています。正直、貴女が左寺さんと出会ってどうしようが関係ないんです」


「そーそー まぁ確かにあの内容はビビったけどさ。あの時代なら仕方ないと思っちゃうけどなぁ。だって、生きるためだったんでしょ?」


彼女のいる方へ目線を送ると静かに頷いていた。唇を噛み締め、あと少しで血が滲みそうだ。あの時の事を思い出してしまったのだろうか、と心配になるが歩みを止める訳にはいかない。


「って事で、速く歩く!」と火糸糸ちゃんがグイッと引っ張った。一瞬、目を見開いていたので怒られるかなぁと思ったが、彼女は小さな声で「ありがと」と言っただけだった。


「さーて、タイミングよくエレベーターが来たんだし、さっさと行きますかぁ!」


「火糸糸ちゃん、張り切るのは良いけど空回りしないでね」


「分かってるよ!」


エレベーターの前に着くと、ちょうど誰かが降りて来たようで中は空っぽ。まるで私達が乗るのを待っていたかのように開いている箱の中へ入って行った。カチッと『天界行き』と書かれたボタンを押し、重い鉄の扉は閉まった。


エレベーターでの中では変わらない会話をして、ガチガチに固まっている十五夜さんを安心させる。深刻な顔をしていた火糸糸ちゃんは元に戻り、私も会話が苦手なりに話に花を咲かせようとする。


火糸糸ちゃんはこう言う時に遠慮なく楽しい話を振って相手を喜ばせるから凄いなぁと尊敬する。下ばかり向いていた十五夜さんが少し笑顔になった時には心が温かくなった。


「はーあ、本当火糸糸ちゃんは面白いわね。こんなに笑ったの、久しぶりよ」


「そー? ま、これで一通り笑ったから何とかなるでしょ」


「……うん、そうね。頑張るよ。心艮ちゃんもありがとうね」


「いえ、私は何もしていないので……」


「そんな事ないわ。ありがとう」


チカチカと光っている『天界』の文字。あと少しで着く事を示している。箱の中にある蛍光灯に照らされた彼女はいつもの優しい彼女に戻っていた。


目尻を下げているのを見ると、若干腫れている。泣いていたのかな、と考えながら「頑張ってくださいね」とだけ伝えるとチーンと天界に着いた音がした。


ドアが開くのがゆっくりと感じるのは私も緊張しているからなのだろうか。私達よりも先に一歩外へ出たのは十五夜さん。その後に続くように火糸糸ちゃんと私は一緒に外へ出ると、ふわりと風に乗って独特な匂いがした。


「これは……薬草の匂い?」


私達の鼻をかすめたのはあまり嗅いだことのない匂い。独特な香りはそこら中に漂っているようで、火糸糸ちゃんは眉間にシワを寄せている。確かに人によってはこの匂いは苦手かもしれない。私は何となく自然の匂いに近い気がして心が温かくなった。


「……ここはね、天界行きになった人の中でもかなり優秀な人が働くことの出来る薬場なの。彼女は、早艸はここで働いているのよ」


「薬場……」


山の麓から少し離れている所にポツンと建っているのが彼女が働いている場所らしい。指差す場所には煙突から煙がほのかに出ており、その煙がこちらの方まで来ているのだろう。匂いが充満する中、ついに火糸糸ちゃんは鼻を摘んだ。


「行くなら早く行こうよ。ここに出たってことは、いるんでしょ?」


「そう、ね。行きましょうか」


ここから去りたいのか、それとも早く終わらせたいのか分からないが、火糸糸ちゃんは鼻を摘んだまま十五夜さんの後ろを付いて行く。山の近くだからなのか、少しだけ肌寒く感じる。

風がそこそこ吹いているようで、私の前を歩いている彼女のツインテールが揺れた。それをじーっと見つめていると、「ちょっと、どうしたの?」と振り返る持ち主。


「よく揺れてるなーって思って」と思った事をそのまま言うとふふっと笑ってから「猫じゃん」と言って再度前を見た。


近付くと薬草の匂いが強くなって行く。鼻に手を当てていた彼女がいつの間にか手を下ろしていた。慣れたのかな、と思って話しかけたら「どうしたー?」と鼻声だったので「いや、何でもない」とすぐに気を取り直す。まぁそうだよね。簡単に匂いに慣れる訳ないし。


「さて、着いたけど、これからどうするの? とりあえず、ノックする?」


「ちょっと、ここは十五夜さんに任せようよ。私達は見てるだけって言ったじゃん」


「はいはーい」


変わらず鼻声のまま彼女は扉の取っ手に触れようとしたので私は急いで止めた。一歩下がり、両手をギュッと握っている十五夜さんの名前を呼び、前に進むように促す。しかし、一歩も動けない彼女。よく見てみると足がすくんでいるようで、微かに震えている。


「あれ、心艮ちゃん? 何でここに……」


この時ほど心臓が跳ねた事はない。後ろから話しかけられたことに驚いたのではなく、いつもと同じ調子で話しかけて来た彼女に心臓が止まるかと思ったのだ。振り返ろうとしても体が思うように動かない。油が刺されていない機械の如く鈍く動かして後ろを向く。


「こん、にちは。今日は、貴女に会いたい人がいるので来ました」


「会いたい人? もしかして、あなた達の間にいる人かしら?」


「そうです。ご紹介します。いえ、もう知っているはずです。十五夜もちづき紫苑しおんさん、もとい、四温しおんさんです」


嫌な汗が背中にツーっと伝っている。そんな事を悟られないように私自身表情筋を動かして笑みを作る。私と火糸糸ちゃんの間にいた十五夜さんは握っていた手を緩め、少し、また少し体を回転させて振り返った。


ガチガチに固まっている彼女は呼吸を忘れているのか、息遣いを感じられない。それもそのはず、彼女達は生前は仲が良かった親友。ずっと仲良くしていた二人であり、撲殺した左寺雨彗さんを食べた張本人なのだから。


「……何で、あんたが、ここに……」


「今回の依頼主、それが彼女です。左寺雨彗さん、あなたに会いたいとのご依頼で連れて参りました」


あくまで淡々と話を進めて行くことに集中する。この前の左寺さんの様子は異常だったのだが、今は何事も無かったかのように振舞っているのだ。その行為自体に正体不明の感情に襲われそうになる。


しかし、今は私の事よりも十五夜さんの依頼が優先。何をするか分からない彼女が暴れそうになった時には全力で抵抗する気でいる。


「左寺さん。一回で良いから彼女と話してあげて。許してあげてとは言わないから、話だけでも……」


「今更、何?」


「早艸……」


「話すって、何を? 私を殺した理由? それとも、天界行きになったから長年いる私に媚を売ろうって?」


下を向いていた彼女が顔を上げた時、ゾッとした。あの時とは違う、何も映さない目。真っ暗で冷たい深海にいる彼女の瞳の奥には誰もいない。独りぼっち。その言葉が今の彼女にはピッタリだ。


いつもなら火糸糸ちゃんの話を優しく聞く姿は何処かへ消えてしまったのか、そもそもそれ自体が幻影だったのか。手に持っている竹で編まれた籠をギュッと強く握りしめている。


「お願い、話をしたいの。少しだけでも……」


「……うるさいなぁ」


「え?」


「うるさいって言ってるのよ! もう、二度と顔を見せないで」


ツカツカとこちらに向かって来た彼女。何をするのか、と身構えたのだが私と十五夜さんの間を通り抜けた。彼女の一つにまとめられた髪がしなり、薬草の香りがほのかにした。


その匂いに気づいた時にはバタン、と扉が閉められていた。ここまで拒絶されると思わなかった私と火糸糸ちゃんは目を見合わせる。隣にいる女性は下を向いたままピクリとも動かない。


「……心艮ちゃん、火糸糸ちゃん。ごめんね、協力してくれたのに、こんな事に、なっちゃって」


「十五夜さん……」


「早艸の、言う通りだよ。今更、何を話すって言うんだろうね。もう、諦めて帰ろ……」


「帰らないよ。絶対に、帰らない。十五夜さんが話をするまで絶対に帰らないから、私」


諦めて帰ろう、彼女がそう言いかけた時。被せるようにして強い口調で言い、その場に座り始めた火糸糸ちゃん。いつもなら汚れるからとか言って座らないのに、ためらいなく土の上に座り込んだ。


「ちょっと、何してるの?」


「だって、私達の依頼終わんないじゃん。それに、少しくらい話を聞いてくれても良くない? ほら、心艮も一緒に座って!」


「もーはいはい。分かったよ」


グイッと私の服を引っ張る彼女。地面に座る事に抵抗のない私はスカートがくしゃくしゃになるのを構わずに座り込む。肌寒く感じるけど、ここら辺は日が当たっているのでポカポカしている。思ってたよりも平気かな、と思っていると明らかに動揺していた。


私と火糸糸ちゃんを交互に見ている彼女に対して「ほら、十五夜さんも座りなよ。暖かいよー」と呑気に声をかけるツインテールの彼女。


「え、ちょっと! 何で座り込んでいるの⁉︎」


「えー? だって、話すんでしょ? 左寺さんと」


「そう、だけど……でも」


「きっと誰かが開けてくれるから、それまで待とうよ」


大きな欠伸をしながら「誰か開けないかなぁ」と空を見つめている。私も同じように綺麗な空色を見つめた。ふわふわと浮いている雲を見て火糸糸ちゃんが食べていたパフェのクリームを思い出し、ぐぅとお腹が鳴る。


私達を見つめていた十五夜さんはどうするか悩んでいる様子だったが、その後ため息をついて同じように座った。


「……私、許されるべき人間じゃないのよ。だって、親友を殺しただけじゃなくて、それを、彼女を……」


「それを決めるのは殺された左寺さん次第だよ。自分で決めつける事じゃないでしょ」


座ったは良いものの、下を向いて消極的な発言ばかりする彼女に対して火糸糸ちゃんは真っ向から正論をぶつける。キュッと握りしめた彼女の拳は少しだけ赤みを帯びている。私は何も言わずに拳に手を添えた。


これ以上、自分を責めないで欲しい。確かにした事は悪いけれど、これ以上自分を責めて何になるのだろうか。

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