第9話  初めての…

「桃太郎は! 何処じゃーーーーーッ!!!」


勢い良く走ってきた桜。


その手には風呂敷が握られていて、隣には火の玉のような小さな妖怪が飛んでいた。


何が起きているのか全く理解出来ないおじいさん達。


しかし、質問の内容だけは分かる。


聞かれた通り、桃太郎を指差すおじいさんと金時。


桃太郎がそこに要ると判断すると、桜は勢い良く滑り込みながら風呂敷の中身を取り出した。


それは おばあさんが心を込めて作った吉備団子。


桜が寺子屋を飛び出す前に おばあさんから手渡された物はこれだった。


金時と若い部下は、それをどうしようとしているのか理解出来ない。


しかし…


その吉備団子の効果を身を持って知っている夜叉丸と、おばあさんと長年連れ添ったおじいさんには理解出来ていた。


…だが…


桃太郎はそれを食べる体力が残っていない。


食べさせる事さえ出来れば…


おじいさんも夜叉丸も、きっとそう思った事だろう。


吉備団子を持ってきた桜でさえ、その事は一瞬考えた。


…しかし…


桃太郎がこう言う状況である可能性を、全く考えていなかった訳ではない。


桃太郎が自力で吉備団子を飲み込めなかった場合の事も、ちゃんと考えてある。


桜は取り出した吉備団子を自分の口に含むと、急いで数回咀嚼した。


そして、飲み込み安い状態になった吉備団子を、桃太郎に口移しした。


触れ合った桜と桃太郎の唇を見て、周りの誰もが動揺した。


金時も反射的に、女の子と自分の目を手で覆い隠す。


それは自分や、自分よりも年下の女の子が見るには早い。


金時はそう判断したのだ。


おじいさん

『愛かッ!!?』


若い部下

『愛だッ!!!』


女の子

『大人ッ!!!』


金時

『先を越されたッ!!!』


夜叉丸

『先を越されたッ!!!』


皆が赤面しながらも驚愕している内に、桜は次の吉備団子へと手を伸ばした。


そして、二個目の吉備団子も同様に咀嚼して桃太郎の口へと移し入れる。


桜の飲ませ方が上手いのか、桃太郎もすんなりと吉備団子を飲み込んだ。


そして桜が、三個目の吉備団子を自分の口へと運んだ時…


溺れていた者がやっと水面に顔を出した時のように、大きな深呼吸をした桃太郎…。


表情は苦しそうだし、咳をして、痛そうな呻き声も挙げている。


しかし…


先程までのような無反応ではない。


寝返りのように身体を動かそうとしているし、心なしか傷が少し癒えているようにも見える。


峠は越えた。


その事を皆が理解して、胸を撫で下ろした。


桜も安心したのか…


その瞳から急に大粒の涙を流し…


そして…


三個目の吉備団子を桃太郎の口へと運んだ…。


その状況を、微笑ましく見詰めていた小型妖怪の瞳…。


その瞳は今や、おばあさんが使う特殊な術によって、その視覚を共有されていた。


小型妖怪が見たものはおばあさんにも見える。


桜と口付けしているようにしか見えない桃太郎の様子を確認して、おばあさんは部屋で一人呟いていた。


おばあさん

「…おやまぁ。

桃太郎も隅に置けないねぇ…。」


かくして、桃太郎の郷が襲撃される事態となった今回の事件は…


大きな誤解を残したまま、一旦の解決を見る事となった。


門番達も深手は負ったものの、その命には別状が無く…


助けた女の子も、家族達との再開を無事 果たす事が出来た…。


そして事件の発端と思われる夜叉丸は…


郷の一角に仮設された簡単な牢に幽閉され…


厳重に見張られた上で、郷の者から連日取り調べを受けていた…。




…数日後…


身体中のあちらこちらに包帯を巻いた状態で目を覚ました桃太郎…。


やっと目を覚ました彼が最初に見たものは、実家の天井と…


相変わらず眉間にシワを寄せて怖い顔をしているおじいさんと…


いつになく冷静なおばあさんの顔…。


桃太郎は、どうやら自分が意識を無くしたままの状態で実家に運ばれ、おじいさんとおばあさんに看病されていたらしいと言う事に気が付いた。


おじいさんとおばあさんに感謝の気持ちを伝えたい。


だが、桃太郎の全身を駆け巡る傷の痛みが、桃太郎の自由を奪っていた。


身体が重くて動かない。


更に、追い討ちのような痛みが起き上がろうとする気力も奪っていく。


いったい自分の身体はどうなってしまったんだ?


まだ五体満足な状態なのだろうか?


桃太郎の脳裏に姿を現した不安…


しかし…


桃太郎には、自分の身体の状態よりも先に確認しなくてはならない事があった。


それは…


桃太郎

「じぃ様…ばぁ様…

オイラが守ろうとした…女の子は…?」


寝起きの桃太郎が発した第一声を聞いた途端…


今にも泣き出しそうな表情へと変わり果てたおじいさんの顔。


そして おじいさんは直ぐに桃太郎に背中を向けて、一言も返さぬまま縁側まで歩いて行ってしまった。


桃太郎は思った…


やっぱり、自分では守り切れなかったのかと…。


また自分は失敗したのだと…


もしかしたら女の子はケガでは済まなかったのかも知れない…


最悪は…死…


桃太郎の心を絶望が覆い隠そうとしていた…


だが…


両手で顔を覆う桃太郎の心情を察したおばあさんの言葉が、闇の中に沈もうとしていた桃太郎の心を救ってくれた。


おばあさん

「…心配しなさんな。

あの娘なら、掠り傷一つなかったよ。

…お前が守り抜いたんだ…桃太郎…。」


それを聞いて表情に明るさを取り戻した桃太郎。


全身の痛みを忘れる程に、その心は喜びに満ちていた。


そして理解した…。


おじいさんは予想も出来なかった自分の快挙に喜んで、泣きそうになったのだと。


いつも おじいさんを失望させてばかりだった自分は、遂におじいさんを喜ばす事が出来たのだと。


だがそうなると、まだまだ子供の桃太郎の好奇心は自分に背中を向けているおじいさんに向けられる事となる。


どんな顔をしているのか、今すぐ見たい。


何を感じているのか、今すぐ知りたい。


そんな好奇心で布団から飛び起きようとした桃太郎。


しかし、元気良く起き上がった彼を襲ったのは…


忘れていたはずの全身の痛みだった…。


痛そうな呻き声を部屋に響かせる桃太郎。


おじいさんとおばあさんは痛がる桃太郎の反応を見て、即座に桃太郎を布団の中へと戻した。


桃太郎

『…そうだ…

オイラは確か、鬼達には勝てていない…!

阿修羅と名乗る女の鬼から執拗な攻撃を受けて…

負けたはず…!』


桃太郎の脳裏に、あの日の記憶が甦る。


阿修羅から受けた攻撃の数々…


その痛みの一つ一つ…


そして…


桃太郎の耳に届いた、少女の悲鳴さえ…


自分が鬼を退治していないのなら…


鬼達を追い払ったのはいったい誰だ?


あの娘はどうやって助かった?


それらの謎がどうしても解けなくて…


桃太郎は不安の眼差しをおばあさんに向け、自分の知らない事の顛末を求めた…


桃太郎

「…鬼達は…どうなったの?」


郷を襲撃した鬼達は確かに追い払った…。


しかし…


おじいさん達と共に鬼達を追い払った、もう一人の鬼…


夜叉丸は…


桃太郎を守った事を感謝されるでもなく…


郷に協力した事を称賛される訳でもなく…


両手首を鎖で繋がれて、今尚 牢屋に閉じ込められている…


その事を…


桃太郎はまだ知らなかった…。


おじいさんとおばあさんに連れられて、幽閉されている夜叉丸の元へと訪れた桃太郎。


桃太郎もまた傷だらけの身体を引きずっていたが…


夜叉丸もまた…


全身に多くの傷を抱えていた…。


それは恐らく、阿修羅から受けたものだけではない。


桃太郎と出会ったあの日に既に負っていた傷…


それも開いてしまったのだ…。


しかし、それ程の傷を負っていても手当てをされた後が無く…


夜叉丸はただ牢屋の床に座って、立てた膝を頭部の支えにして俯いていた。


桃太郎

「…夜叉…丸…?」


意識があるのか…無いのか…


それすら分からない夜叉丸の現状。


あの日助けたはずの鬼が自分を助けたと言う事実。


その鬼が、余りにも惨たらしい扱いを受けていると言う驚きが、桃太郎の身動きを封じていた。


おばあさん

「手当ては拒絶された。

手錠も本人の意思だ。

寝床も用意しようとしたが断られ、食事も取ろうとしない。

決して人と交わろうとしない彼の反応を不思議に思い、何度か質問を繰り返してみたが返事は得られずだ。

…桃太郎…

人が鬼を助けるなんて珍事、桜から聞いても信じられなかったが…

…お前が助けたと言う鬼は…

…コイツだね?」


静かに頷く桃太郎。


その反応に、おじいさんとおばあさんは納得したような表情を見せた。


鬼がただで人を助ける訳がない。


しかし…


保護した野生動物が、時に恩返しをしてくれる事があるように…


夜叉丸もまた、桃太郎から与えられた恩を返そうとしたのだと、二人を納得させていたのだ。


牢に歩み寄る桃太郎。


その歩みが牢の扉の前で止まると、桃太郎はおじいさんとおばあさんにそっとお願いをした。


桃太郎

「ここを開けて欲しいんだ。

鍵を開けてくれないかな?」


桃太郎の願いに答えて、牢の鍵を開けたおじいさん。


だがおじいさんは夜叉丸の事を信用しきっている訳ではなかった。


その腰に携えた刀に手を添え、人知れず迎撃体制に入るおじいさん。


いつ如何なる瞬間に夜叉丸からの攻撃があったとしても桃太郎を守り抜く…


その為に気配を殺して、桃太郎の背後で構えていた…


夜叉丸からも死角になる位置で構えていた…


そのはずだったのに…


桃太郎

「じい様。 大丈夫。

夜叉丸は何もしない。」


隣に立つおばあさんも…


狙われている夜叉丸でさえ気付かなかったのに…


たった一人、おじいさんの殺気に気付いた桃太郎。


まさか桃太郎に見抜かれるとは思っても見なかったおじいさんは絶句してしまい、苦々しい表情を浮かべながら刀から手を離した。


そして同時におばあさんは【ある事】に気付いていた…。


桃太郎の左手首に巻かれている、手首の保護のための布。


…その内側から…


微かな【光】が放たれている事に…。


桃太郎

「…夜叉丸…。

…オイラを助けてくれてありがとう…。」


片膝を着き、目線の高さを夜叉丸と合わせる桃太郎。


夜叉丸はまだ下を向き、決して桃太郎の方を見ようとはしなかったが、その言葉は届いているようだった。


地面を指でなぞり、何やら文字のような物を書き始めた夜叉丸。


それは桃太郎の目からは「無事で良かった」と書いてあるように見えた。


桃太郎

「…もう…

…喋る力も残ってないのか?」


桃太郎の質問に「違う」と書いた夜叉丸。


夜叉丸は体力の低下を否定するが、その指は桃太郎の知る彼の指と比べると遥かに細く…


一度だけ見た彼の走力からは考えられない程に弱々しかった。


体力が残っているだなんて嘘だ。


今にも命を落とす事になるかも知れない。


そんな夜叉丸の目の前に、自分の右腕を差し出した桃太郎。


腕に巻かれていた包帯を取り外すと、一番細い手首部分を夜叉丸の口へと近付けた。


桃太郎

「噛め!」


動揺するおじいさん。


おじいさんは普通ならば考えられない桃太郎の行動に焦り、割って入ろうとしたが…


おじいさんの目の前に腕を出したおばあさんによって、それは阻止された。


…様子を見よう…


無言のおばあさんから伝わって来るその想いが、おじいさんのにも伝わっていたのだ。


桃太郎

「授業で習ったんだ!

妖怪は【気】の固まりみたいな物なんだろ!?

【気】を吸収すれば、体力は回復するんじゃないのか!?

人体にも【気】は流れているって教わった!

じゃあオイラの身体からでも【気】は吸収出来るんじゃないのか!?」


桃太郎の申し出に対する夜叉丸の答えは【否】だった。


夜叉丸はもう、桃太郎に傷付いて欲しくない。


それが自分の手による物ならば尚更…


そんな夜叉丸の優しい気持ちは、桃太郎にも伝わっていた。


今にも事切れてしまいそうなのに、それでも桃太郎を気遣う心優しい夜叉丸。


そんな彼を、桃太郎はどうしても助けたかった。


しかし、どうすれば拒絶する夜叉丸を助けられるのか?


その方法に頭を悩ませる桃太郎。


そんな桃太郎の目に映ったのは、夜叉丸の書く文字…


震える指で書いた、まるで遺言のような文字が、夜叉丸の本音を桃太郎に語っていた…。


夜叉丸

『…俺は今まで、多くの他人を傷付けて来た…。


それは人や、同族である鬼だけではなく…


俺に関わろうとした妖怪や動物…


全ての存在にまで至った…。


何も傷付けたい訳じゃない…。


誰一人、傷付けたくはない…。


ただ会話しただけ…


ただ少し関わっただけで、その相手は俺が手を下さなくとも不幸な事故に遭って、人生を台無しにするんだ…。


中には命を落とした者もいる…。


それでも俺が関わりさえしなければ、俺は生きていても問題はないと思っていた…。


…だけど、そもそもその考え方が間違っていたらしい…。』


夜叉丸の書く文面から見え隠れする夜叉丸の真意。


少しだけ明らかになった、夜叉丸の過去。


そこに悔いや無念がある事も…


それでも生きて成したい【何か】がある事も…。


夜叉丸が抱えているであろう問題は、まるで呪いのようなもの…。


その呪いがどういった物であるのかは、今の桃太郎には分からない。


解決出来る物なのか…


それには何が必要なのかさえ…


…それでも…


桃太郎は夜叉丸に、生きていて欲しいと願ってしまった。


夜叉丸の両襟を両手で掴み、夜叉丸の視線を無理矢理 自分に向けた桃太郎。


虚ろに世界を映す夜叉丸の瞳に飛び込んで来たのは…


涙を堪えて自分を睨む桃太郎の姿だった…。


桃太郎

「夜叉丸!! オイラと一緒に来い!!」


桃太郎が叫んだ言葉に、自分が頑張って説明した内容が伝わっていないと感じてしまった夜叉丸。


如何なる条件であれ、誰かと関わる事が招く災厄を恐れて自ら幽閉されたと言うのに…


このまま終わろうと考えていたのに…


それが最善であると思っていたのに…


…それなのに…


僅かに揺れてしまった夜叉丸の心…。


「着いて来い」?


そんな言葉…言われた事がなかった…。


誰もが夜叉丸を遠ざけた…。


近くにいて欲しいと願ってくれる相手など…


何処にも居なかったのに…。


初めて出会った自分を必要としてくれる存在。


その出会いに歓喜すると共に、そんな存在には、やはり傷付いて欲しくないと願うから…


だから…


夜叉丸

「…だから…

…関われないって言ってるだろ…」


遂に言葉を発してしまった夜叉丸。


それが大切な誰かを傷付ける事になるかも知れないと分かっていたのに…


それでも…やはり…


夜叉丸

「俺の側にいると不幸になるんだ…

俺の意思に関係無く、お前を巻き込む事になるんだ…

何が切っ掛けで この呪いがお前を襲うのか、俺自身にも分からないんだ…

それなのに お前が側にいたら…

守り通せる自信なんて…俺には…」


桃太郎

「守ってくれなくて良いッ!!!」


夜叉丸の最後の言葉を遮った桃太郎の叫び。


それは牢屋の外にまで響き渡り…


おじいさんとおばあさんの心にまで響き渡り…


夜叉丸の心さえも捕えていた…。


桃太郎

「見ろよ! オイラのこの身体を!!」


夜叉丸の同族である阿修羅手によって、致命傷の深手を負った桃太郎の身体。


後少し手当てが遅ければ、間違い無く終わっていたであろう小さな命。


しかし、桃太郎が伝えたかったのはそんな脆さの話ではない。


桃太郎が夜叉丸に伝えたかった事。


…それは…


桃太郎

「夜叉丸の呪いじゃ、オイラは死なないッ!!!」


それを聞いた途端…


夜叉丸の中で何かが変わった。


桃太郎

「夜叉丸と関わったらどうなるのかなんて分からないよ!

だけど何が起こったってオイラが生きていれば…

夜叉丸が自分の命を投げ出す必要なんか無いだろ!?」


何故、桃太郎はそこまでして夜叉丸の事を守ろうとするのか…?


その答えはとても単純で、とても明確なもの…。


桃太郎には、孤独に生きて孤独なまま人生を終えようとしている夜叉丸が、自分と重なって見えていたのだ…。


桃太郎には孤独を跳ね除ける心の強さは無かった…。


誰かに認められたくて、今も もがき苦しんでいる。


それでも誰からも認められない自分の弱さを恥じている。


何年間もの間 努力を重ね続けて、それでも望んだ自分になれない事で、自分の弱さを更に自覚して…


いっその事、受け入れて貰う事など諦めてしまおうかとも思った…


何度も…何度も…。


だが、それは孤独を受け入れたとて同じ事だと感じていた…。


誰からも認められないのなら、認められなくても良いからそっとしておいて欲しい。


それで自分の問題は解決するのだから、もう何も言わないで欲しい。


そう願った事が、桃太郎にもあった。


一人で生きると言う決断は強さだと誤解して…。


…しかし…


桃太郎は、ある日 気付く事が出来たのだ…。


一人で生きるのもまた、やりようによっては弱さなのだと…。


誰からも受け入れられる事もなく、一人で生きている夜叉丸は…


そう言う生き方を選んだ自分自身だと、桃太郎に感じさせていた…。


まるで分身…


そんな夜叉丸と、あの日あの時 舞っていた桃の花びらが引き合わせてくれたのだと…


桃太郎は、そう信じていた…。


…そして夜叉丸も…


今はもう…桃太郎の事を他人として見る事が出来なくなっていたのだ…。


夜叉丸

「…ああ…そうか…」


桃太郎の気持ちに、やっと気付いた夜叉丸…。


桃太郎もまた、変わりたくても変われない人間だったのだ。


夜叉丸とは違い、他人ではなく自分を不幸にして…


そして夜叉丸と同様に、皆から避けられて生きてきた…。


桃太郎が、どんなに悔しい思いをして生きてきたのかが、夜叉丸には分かる…。


桃太郎が、どれ程に孤独だったのかが夜叉丸には分かる…。


初めて誰かと通じ合えたような…


そんな感覚…。


桃太郎の瞳に映った夜叉丸自身が問い掛けて来る…


「本当に良いのか?」


いつもの夜叉丸なら…


動揺して孤独な生活に逆戻りしていた事だろう…。


しかし…


「また失うかも知れないんだぞ?」


「大切に思えば思っただけ、失うのは痛い。」


「覚えているだろう?」


「目の前にいる誰かが、最後の呼吸を終える…その瞬間の事を…。」


夜叉丸に訴える夜叉丸自身の言葉達…。


「もう【孤独】に抵抗するのはやめよう。」


「今まで通り、一人で居よう。」


「楽になろう。」


そう訴えてくる弱い自分自身に、夜叉丸は少し笑いながら首を横に振った。


夜叉丸

「…もう…

…疲れちまったよ…。」


自分の襟を掴む桃太郎の右腕を掴んだ夜叉丸の右手。


力無く掴むその手から伝わって来る、何かの意思。


その手に一瞬 視線を奪われた桃太郎が再び夜叉丸の瞳を覗き込んだ時…


桃太郎は夜叉丸の変化に気付いた。


夜叉丸

「…良いんだな?

…桃太郎…

この呪いは手強いぞ?」


…【生きよう】とする、力強い眼差し…。


…そこから感じ取れる、これまでの自分自身と戦おうとする意思…。


…明らかに、先程までの夜叉丸とは違う…。


…この呪いは手強い…


…それは裏を返せば「共に戦え」と言う意味…。


夜叉丸の言葉に隠された真意を理解出来た時…


桃太郎の胸の奥から、それまで感じた事のない喜びが溢れ出して来た。


桃太郎

「ああ! 来い! 夜叉丸!!」


桃太郎の腕に噛みつこうとする夜叉丸の牙。


しかし…


今の夜叉丸を回復させる事が出来る程の【気】が、桃太郎の体内には存在しない事を おばあさんは見抜いていた。


おばあさん

「待ちなさい。」


静かに、ゆっくりと二人に歩み寄る おばあさん。


桃太郎の目の前まで近付くと おばあさんは足を止め、それまで持ち歩いていた風呂敷を桃太郎に手渡した。


おばあさん

「…鬼に食べさせる目的で持ってきた訳じゃなかったんだけどねぇ…。」


風呂敷の中身は…


おばあさんの御手製の吉備団子。


一口食べれば百人力の力が沸いてくる不思議な団子。


その秘密の正体は、団子の中に込められた おばあさんの強力な【気】の力…。


それが夜叉丸の命を救い…


瀕死の桃太郎さえ救い出した…。


本当は、道中 桃太郎に食べさせるつもりでいた。


…しかし…


今の桃太郎から更に気を吸い取るとなると、今度こそ死は免れない。


おばあさんは桃太郎を助ける意味でも、その吉備団子を夜叉丸に与えるしかなかった。


おばあさん

「…与えておやり。

…きっと良くなるから…。」


おばあさんに言われるがままに、夜叉丸に吉備団子を食べさせた桃太郎。


すると…


あんなに細くなっていた夜叉丸の指が、見る見る内に元の太さへと戻って行く…。


痩せこけていた頬も膨らみを取り戻し、肌にも色艶が甦って来た…。


夜叉丸自身も、その身体に力が戻って来るのを感じ取る。


そこに入って来たおじいさん。


おじいさんは夜叉丸の両手から手錠を外すと、たった一言だけ夜叉にこう言った。


おじいさん

「…共に戦ってくれた礼じゃ…。」


照れくさそうに、夜叉丸から視線を外すおじいさん。


夜叉丸もまた照れくさそうにしながら、おじいさんに向けて無言のままの一礼をした。


そんな夜叉丸の目の前に差し出された桃太郎の右手…。


「掴め」と言わんばかりのその手の先に視線を向けると、そこには夜叉丸を真っ直ぐに見る桃太郎の笑顔があった。


今まで…


同族からでさえ遠ざけられていたのに…


触れる者、全てを不幸にしてきたこの手なのに…


それなのに…


こんなに笑顔でこの手を取ろうとする人間の子供…


【桃太郎】…


その不思議な存在に、夜叉丸の閉ざされた心は開き始めていた…。


夜叉丸

『…ずっと諦めながら…

…それでも、心の何処かで探していた…

…守っても守っても居なくなってしまう奴らではなく…

…守らなくても…俺を一人にしない存在…

…もう俺を孤独にしない存在…

…もう俺を…

…【寂しい】とは感じさせない存在…

…俺は凄く我が儘な事を望んでいるのだと諦めていたのに…

…それなのに…

…今…目の前に居るのは…』


…そこに吸い込まれるように、桃太郎の手を取った夜叉丸の手…。


桃太郎の手の温もり…


初めて感じたような気がする、他人との触れ合い…


それは…


桃太郎にとっても同じ事だった…。


今まで、どんなに努力を続けても得られなかった他人との繋がり…。


初めて誰かに必要とされたと感じる、その手の感覚…。


桃太郎の中にも、大きな変化が訪れていた。


この時 繋がれた、桃太郎と夜叉丸の絆…。


…これが…


…二人の運命が変わった瞬間だった…。


おばあさん

『…そう言えば…

…誰かを忘れているような…。』


小型妖怪

「おーい! 俺の事も出してくれよー!」


おばあさんは桃太郎が逃がした小型妖怪を家に留置していた。


飽くまで念のためだったし、ご飯も与えていたのだが…


小さな檻から出られない小型妖怪は、いい加減 精神的にやられ始めていた。


おばあさん

『…ま、いいか。

…思い出せないと言う事は、大した事ではないだろう…。』

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