ずぼら人間の三年日記

@Aithra

『日記は一夜にしてならず』

三年日記、という本がある。


すなわち、端からのべ三年に渡って日記をつけることが想定されており、やたらに仰々しい装丁とご立派な厚みを備えた──まあ、端的に形容するなら、「地道コツコツ人種用の日記」である。


三年前、目黒のとある雑貨屋さんにて、初めてこの本と出逢ったとき、わたしはまず「なんたる気の長い話かな」と思った。


思えば小学、中学、高校大学から社会に立って、物知り顔した先人から「日記やメモの重要性」はいつだって説かれてきた気がする。


だからといって、およそ只の一ヶ月ほどすら日記を書き上げたことのないわたしに三年間も根気良くやれというのは、さながら、因数分解の分からない人にフェルマーの最終定理を解かせようとしているようなものだ。


まったく無謀である……まるで望みなし……性根からして言語道断……重々承知し置いてはいた。

いた、いたではあるが……しかし悲しいかな、わたしは形から入る性なのである。

すべては肚に燻れる子供心を刺激せん、レトロでアンティークな見てくれが悪い。


かくして衝動買いしてしまったこの三年日記は、買った翌日、早くも無用の長物に片足突っ込んでいた。

意気揚々と手にしたとて、所詮人間、寝れば忘れる。


しかし、そこいらの百均に数冊セットでまとめ売られる類の代物とはわけが違う。

気まぐれの産物と割り切るほど、安い買い物ではなかった。

捨てるに捨てれぬ、投げるに投げれぬ。

昨日に向かって、軽率なみずからを呪ったのを覚えている。


致し方ないので、わたしは差し当たり、できる最小限だけでも記そうと思い立った。

その日に五行、明くる日は三行、明日の明日は「特筆するべき点のない一日であった」と一行きっかり……。

兎にも角にも、なんとかしてサンクコストを回収しなくては、そんな義務感のみがわたしを突き動かしていたのである。


そんなこんなのうち、一ヶ月が経った。

わたしはその杜撰極まる内容もいざしらず、未知の感動に打ち震えていた。


我が半生、ついぞ続かなかったそれが、曲がりなりにも三十日とちょっと。

これはもしやもしかすると、もしかするのでは。

日並に認める文字数が増してゆき、かつてなく調子の絶頂であった。

向こう見ずの幻想に性懲りもなく、希望を見出すのだって無理はない。


無理だった。

数カ月後のわたしは頭を抱えていた。


突然、部署の配属に異動を言い渡されたのである。

新たに覚えるべき事項の数々、アウェーな職場環境、めくるめく毎日。

今となっては、思いだすにも憚られる出来事がいくつか。


このとき、日記についてはもはや執念とか妄念と化していて、ここまで来たからには、食らいついてでも書いてやる、そんな仄暗い決意が燃えていた。


インク切れかけと思しきボールペンで殴り書かれている活字を一語一句漏らさず復唱すると、「今日は日記を書く気も起きない一日であった」……以上である。

果たして日記を称するに値するか否かと問われたなら、沈黙せざるを得まい。


鬱憤を煮詰めた怨嗟が綴られて、なお半年余ほど過ぎた頃。

日記のさまは、火を見るより明らかな変化を遂げていた。


快調な目覚めに感謝し、昼食の美味を訴え、なにか小動物を飼育してみたい、などと日常のささやかな愉しみが全面に押し出されている。

誰ぞこいつは。


いや、うっすら思い出してきたぞ。

頃しも仕事に慣れ親しんできて、そのうえ艶事のほうがふるったのだ。

それできっと、見るものすべてが美しく……なんていう精神状態にあった模様。


なるほど結構、しかし残念だったなわたし。

わたしはそれが、たまゆらの泡沫に過ぎないことを知っている。


数ページばかり捲ればそら、見えてきた。

いずれ来たるべき悪夢、繁忙期である。


来る日も来る日も寸暇を惜しみ、集中力が風前の灯、おそらく満足に寝ていないことは、そのお粗末な文脈からありありと窺えよう。


曰く、「蛍光灯が切れそうだが買い足す時間ない」「ワープロを見るだけでイライラする」「隣から鳴る発情期の猫がうるさい」……。

どうやら日記はストレスの鬼太郎袋としてその役割を果たしているらしく、おおよそ愚痴と文句とが極彩色を呈し、吐き捨てられている。


それから幾月かすると、今度はまたしてもご機嫌な日常録が姿をあらわした。

さらに後のページを見やれば、飽きもせず、沈鬱な側面ばかりのジャーナリズムをひたすら催す場面があったし、反対におめでたい報告の羅列、一行だけのときもたまにはあったりする。


当時のわたしは、我ながらこの落差に、なにも思うところがなかったのであろうか……と、疑わしくなってきた。


わたしはてっきり、この三年日記というやつは、一日の出来事をなるたけ事細かに書き記すことで、のちのち回顧の手がかりにするものだと思っていた。

けれど、いかほどその日の情緒に委ね書いたところで、終いには、当時の精神状態を雄弁に物語る結果に終わるらしい……。

あるいはわたしが、単純すぎるだけかもしれないが。


わたしはそれの、きっと日の目を見ないと推定していた最奥のページに、「多分また買い足す」……と書き残し、本を閉じた。

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