【3話・携帯は真夜中に鳴った(後編)】/あのにます

 新菜との会話を聞いてか、野乃花が私の事をずっと見つめていた。

 何も言わなかったが、その視線の意図は何となくではあるが察しはついた。

 「アオト」としての活動を辞めたのか、と野乃花は聞きたいのだろう。

 仮に新菜がこの場にいなくとも、野乃花がそれを言葉にしようとも答える気は無かったが。

 私の返事にひとしきり笑っていた新菜が、話から取り残されてしまっていた野乃花に話題を振る。

「野乃花ちゃんは来年高校生になるんだよねぇ? 高校生になったら、何がしてみたい?」

「高校生になったらですか……。そうですね、バイトしてみたいです、コンビニとか」

 わざわざ労働を所望するとは殊勝な心がけである。口には出さないがそう思った。

 中学生らしい希望に満ちた答えではあろうか。

 私の反応とは逆に、新菜は表情を明るくした。

「私も高校生の時はコンビニでバイトしてたなぁ。あ、コンビニといえばさぁ。先週出たスイーツがね、とってもおいしかったよぉ。かぼちゃクリームのロールケーキのやつ」

「あれ、食べてみたいです」

 私は知らなかったが、新菜の雑な説明で話が通じる程度には巷で話題になっているらしい。

 私は甘い物がさほど好きではないので、機会があれば食べようと勧めてくる新菜に首を横に振る。

 その返事に新菜は不服そうな顔をしたが、直ぐに野乃花との会話に戻っていった。

「あと甘いといったら、あれだねぇ。高校生は恋愛しなきゃねぇ」

 新菜の言葉に、一瞬だけ野乃花の表情が曇った様に見えた。

 野乃花が少し俯き気味に答えたので、あながち私の勘違いでもなさそうであった。

「……私は、その、そういうのはあんまり」

「えぇー。野乃花ちゃんにだって、今好きな男の子くらいいるでしょ」

 私は空になった皿を重ねながら、二人の会話を遮る。

 今日、我が家に来た理由を、新菜は失念しているのではなかろうか。

「野乃花、先にシャワー浴びて。私のベッド使っていいから、先に寝ててよ。私達はレポート長引くからさ」

「え、杏。レポート、もう始めるの」

「当初の目的を見失うなよ」

「まーだーいいじゃん」

「絶対、すぐに終わんないから」

 文句を垂れる新菜を焚きつけて、私は食器を下げる。

 皿洗いを手伝おうとする野乃花を制してシャワールームまで彼女の背中を押していった。

 不要な事を言う前に早く寝て欲しいものである。

 新菜の所に戻ると、形だけはレポートに取り掛かる準備をしていた。

 私はお湯を沸かし新菜用のマグカップにコーヒーを用意した。

 ノートとタブレットPCを開いて新菜の対面に座ると、コーヒーを啜りながら新菜が私に聞いた。

「なんかぁ、訳ありなカンジ?」

「どういう意味?」

「杏、何か隠してるでしょ」

「別に」

 新菜に隠している事がまた増えた、と私の中の良心らしきものが少し疼いた。

 一つは言うまでもなく野乃花の事であり、そしてもう一つは「アオト」の事であった。

 アマチュアの歌手活動を始めたのは些細なきっかけだった。

 小さい頃から歌うのが好きだった私は、高校時代に動画投稿サイトに作品を投稿する多くのアマチュア歌手の存在を知った。

 彼らの様に動画投稿サイトに投稿することを自分でも始めたのは高校三年生の冬だった。

 自室で録音したものを、加工もせずにそのままネット上で公開する程度の事を数回行った。

 そこで私に声をかけてきたのが「鈴乃音鈴乃」というハンドルネームの女性だった。

 鈴乃は作曲活動を行っており、ボーカルを探していた彼女は共同で作品を作らないかと私を誘った。

 そうして鈴乃からの協力を受けながら、私の音楽活動が始まった。

 鈴乃と合作でCDを作り即売会で手売りした。

 ネット上で動画の配信や投稿を行った。

 そして三年間。

 少なくないファンも出来た。

 ある程度の採算もとれるようになった。

 それでも私は。

 歌うことを辞めた。

「あのさ、新菜」

 口数の多かった新菜が静かになったのでタブレットPCから顔を上げると、新菜は頬杖を突いたまま寝息を立てていた。

 恨みを込めて新菜の名前を呼ぶも、反応はない。

 正直、予想通りでもあった。

 私は孤独にレポートを進め、そしてなおかつ、新菜が起きてきた時に備えて私のを写せるような体裁を整えておく。

 その全てを終えても新菜が起きる気配は全くなく、私はメモを書き残してベッドに向かった。

 私のベッドに野乃花が寝ている姿を見て、彼女の存在を思い出した。

 ベッドの真ん中で無防備な寝姿を晒す彼女を見て床で寝ようと思い直す。

 そんな時、携帯のバイブレーションが鳴る音が聞こえた。

 ベッドの傍に置かれた携帯が振動している。

 ショッキングピンクと金の装飾がされたカバーは野乃花の携帯であろう。

 時間は深夜12時を既に回っていたが、携帯はバイブレーションを続けていた。

 怪訝に思い野乃花の携帯を手に取る。

 野乃花の携帯の通知画面には「麻希」という名前の相手から、「話がしたい」というメッセージが届いている事が表示されていた。

「家出少女、か」

 ベッドの真ん中で猫の様に丸くなって眠る野乃花に、彼女の年齢の話を思い出す。

 東京の高校に行きたいというのは本当であろうか。

 彼女はどうして家出をしてきたのだろうか。

 彼女が素行不良を起こす様な性格であるとは、やはり思えない。

 荷物の少なさから突発的な家出であると思うが、そんなことを日常的に繰り返しているとも思えない。

 そんな疑問と、このメッセージに私から応えるべきかを迷う。

 私の指先が迷って止まっている間に、次のメッセージが届いた事が画面に表示された。

『告白には、少し驚いてしまっただけだから』

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