【3話・携帯は真夜中に鳴った(前編)】/あのにます

「え、野乃花?」

 私の家のドアの前に、野乃花が制服姿のままで座り込んでいた。

 予想していなかった再会に、私は困惑した。

 こちらに気付き顔を上げた野乃花は表情をぱっと明るくする。

 彼女は今朝別れた時と変わらず制服姿のままで、濡れている様子もなかった。

 夕立よりも前からだとすると、いつから座り込んでいたのだろうか。

 何を言えば、と迷う内に沈黙が生じる。

 夕立がトタンを叩く音が一層強く耳を刺す。

 新菜が首を傾げて私に聞く。

「この子、どなた?」

「え、えーっと、親戚の子」

 新菜の当然の問いに対して咄嗟に誤魔化してしまったが、言ってしまってからひどく後悔した。

 後に一層の事態の悪化を招く予感がした。

 援助交際しようとしていた女子中学生を引き留めて、家に連れ帰って泊めた。

 なんとも都合も人聞きも悪い話である。

 馬鹿正直に話せるものでもないが、誤魔化したことで妙な下心や犯罪の気配を疑われてしまう気がした。

「そうなんだー、お名前は?」

「野乃花って言って、中学生でさ。遊びに来るって約束をすっかり忘れてた」

 そう言いながら野乃花に目配せをする。

 私の話に適当に合わせてくれよ、と強く念じる。

 新菜の存在に、野乃花からは緊張の色が見えた。

 野乃花が黙ったまま頭を小さく下げた。

 小鳥のような仕草だった。

 それを見た新菜は笑顔で言った。

「多めに食材買っといて丁度良かったねぇ」

 適当な相槌を打ちながら私は内心では焦っていた。

 野乃花と新菜を家に招き入れながらも、どうしたものかと頭を抱えたくなる。

 野乃花について、というよりもお互い何も知らない。

 新菜に対して、野乃花が親戚の子であるという建前を通すだけの会話を成立させられそうになかった。

 野乃花とは小さい頃に会ったきりであると、私は新菜に対してさり気なく予防線を張る。

 新菜がいつもの調子で返事をした。

 買い物袋は新菜に預け、私はベランダに出た。

 夕立に襲われた洗濯物を手に私が呻いていると、新菜は慣れた手つきで冷蔵庫を開けて溜め息を吐いていた。

 殆ど何も入っていない、もはや只の冷たい箱の前で、新菜は私に不機嫌そうに言う。

「杏さー、ちょっとは自炊しなよぉ」

「特に困らないけど」

「私が来なかったら、野乃花ちゃんの分はどうするつもりだったの? それで、野乃花ちゃんはなんでまた急に遊びに来たの? この辺に住んでるカンジ?」

 その質問には答えようが無く、私は野乃花に視線をやった。

 私と目があった野乃花は、きょとんとした顔をしていたが、一拍空いてから慌てて口を開く。

「神奈川なんですけど、東京の高校に通いたくて。それで、その下調べで」

 誤魔化すために吐いた嘘にしては妙に纏まっていた。

 もしかして、真実が多少なりとも混じっているのではないだろうかと思った。

 新菜が今日の夕食の支度に取りかかり、所在無さげな野乃花を手伝いとして呼んだ。

 調理の手伝いを頼むことで、初対面である野乃花との会話の糸口を掴んでいる様子を見て私は感心する。

 私が大学生活を送る上で、何人かの友人と繋がりを得ているのは新菜の助力あってのことであった。

 元々手伝う気も無かったが、新菜にキッチンから追い出された私はとりあえず部屋でも片付ける。

肩越しに二人の会話を盗み聞いていた。

「アオトさんの大学のお友達、ですか?」

「アオト?」

 野乃花の質問に、新菜は首を傾げ、私は背に冷や汗をかいた。

 新菜にも「アオト」としての活動について話していない。

 ここで「アオト」について露呈するのは勘弁してほしいと、私は慌てて口を挟む。

「秋穂戸あいおとね、秋穂戸。間違えたんでしょ」

「杏と野乃花ちゃんは、苗字違うの?」

 新菜が話を振って、野乃花は頷いた。

「紀相のりあいって言います。その、遠い親戚で」

「そうなんだぁ」

 新菜がフライパンに火をかけた。

 フライパンがオレンジ色なのは新菜の趣味である。

 調理器具の殆どが、我が家で新菜が料理する為に揃えた、というよりも揃えさせられたものである。

 先程、新菜が我が家の冷蔵庫の惨状を見て嘆いた通り、私が自炊する事は一切無かった。

 手早く三品を作り終えた新菜が私の名前を呼ぶ。

 食器棚の前で渋い顔をした新菜が私に聞いた。

「この家、三人分のお皿あるの?」

「バラバラなら、なんとか」

「お皿とか揃えようよぉ。こういう時、不便じゃん」

「こういう時そうそう無いし」

「フォークが二本しかないんだけど」

「私が箸で良いよ」

「パスタなんだけど」

「異文化交流だよ」

 軽口を叩きながら食卓に並べ終える。

 自炊がどうこう、健康がどうこう、と小言を言う新菜を無視して私は手を合わせた。

 それを見た新菜が野乃花にも食べる様に促す。

 野乃花が遠慮がちに手を付けるのを見て新菜が聞く。

「ちょっと辛かったかな、大丈夫?」

「美味しいです。新菜さん、お料理お上手なんですね」

「ありがとー。でも私より杏の方が料理めっちゃ上手なんだよ。実家がイタリアンのお店だもんねぇ」

「そうなんですか。そんな話聞いた事無かったです」

 聞いたことが無いという野乃花の返事に、それも当たり前であろうと思ったが。

 野乃花が言った言葉の意味に遅れて気が付く。

 私が「アオト」として活動していた時に、動画サイトで配信を行っていた事がよくあった。

 その雑談の時に実家の話をしていなかった事を野乃花は言っているのだ。

 野乃花が知っているのは私ではなく「アオト」という存在だけであり、それは当然でもあった。

 そりゃそんな話はしたくないよ、と私は思いながら新菜の方にさり気なく視線をやる。

 新菜が野乃花の発言を特に気に留めず、私に話を振ってきた。

「杏は大学卒業したら、継ぐんでしょ?」

「継ぎたくは、ない」

 私の実家は、長野の観光地で小さなイタリアンの店をやっていた。

 継ぎたくは、ない。けれどもその先の言葉はハッキリと形に出来なかった。

 大学の専攻は社会学で実家の家業と関係のある分野ではない。

 大学進学時、卒業したら店を継げと両親に言われてはいた。

 四年前の事で、大学在学中にその話は一度も具体的にしていない。

 しかし、私もそれをハッキリと断ったわけでもなく。

 実家に戻る予定だから、と就職活動はしなかった。

 けれども実家に戻る事に対して釈然としない自分がいるのも確かで。

 けれども、それを力強く否定出来る自分がいないのも事実で。

 大学生活で何を成し遂げたわけでもない。ずっと歌い続けてはきた。

 形になったものもあった。

 応援してくれる人もいた。

 けれども、それは、私の後ろに出来た道ばかりだった。

「でも、杏を大学には行かせてくれたわけじゃん。良いご両親じゃん」

「大学は出ておけ、ってさ。でも、四年間の代わりに残りを差し出せって言われてる気がする」

「捻くれてるなぁ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る