日記が教えてくれたこと

千石綾子

明日の日記

 早朝に割と大きな地震があり、地震が苦手な僕はすぐに飛び起きた。棚や部屋全体はさほど揺れていないのに、何故だか机だけが大きく揺れている。椅子が倒れ、机の引き出しが飛び出した。

 急いでツイッターの地震情報アカウントをチェックしたが、震度3弱。皆のツイートも『ちょっと揺れたね』『びっくりしたー』など、なんだか呑気なTLだ。


「なんだかなあ」


 思わず独り言を呟いて、散らばった机の周りの筆記用具や本を拾い集める。ふと、床の上に開いたままのノートを見つけた。

 日記帳だ。

 

「あー」


 思わず気の抜けた声が出た。

 割としっかりとした厚手の日記帳。しかし中身はスカスカだ。


『2月15日

 あいつと口論した。あんなつまらないことにこだわるなんて、まるで子供だ。構わずに放っておくのが一番だ。僕とあいつの距離は程よく保たれなければならないのだ』


『2月23日

 寝坊して例のイベントに行きそびれた。きっと縁がないのだろう。代わりに友人と遊ぶ。悪くない。友情は僕を裏切らない。僕が友情を裏切らない限り』


『3月4日

 心が空っぽで力が出ない。アン〇ンマン、僕に愛と勇気を分けておくれよ』


──なんだこりゃ。


 たった三日分の日記。いつのものだっただろう。まさに三日坊主の僕らしい。更に曖昧でつまらなくて痛い。まるで意味が分からない。

 そのままゴミ箱に放り投げようとした時、ページがぺらりとめくれた。まだ何か書いてある。しかもみっちりとだ。


『6月3日

 なんということだ。なんということだ。こんなことになるなんて。分かっていればもっと大事にしてあげたのに。僕は当たり前に感じていてその大事さにまるで気付いていなかったのだ。僕の心も粉々に砕けてしまった。失ってから本当の大切さに気付くなんて、僕は何て大馬鹿なんだろう。他にやってあげられることがいくらでもあったというのに。まったく、なんてことなんだ。こんなダメな僕が情けなくて、床にうずくまって泣くことしかできない。こうなる前にやってあげられたであろうことをひとつひとつ噛みしめながら』


──なんだこりゃ!


 こんなもの、書いた覚えがない。しかしこのクセのある筆跡は確かに僕のものだ。それにしてもこの日付……。今日は6月2日。この日記帳は今年のものだ。ということは──。


「これ、明日の日記じゃないか」


 途端に気味が悪くなり、日記帳を机の上に放り投げた。日記帳はあの長い殴り書きのページを開いたままになっている。

 少し深呼吸をして、恐る恐るまたあのページを覗きこんだ。


 これによるとどうやら僕は今日か明日中に何か大事なものを失うようだ。

 お金だろうか。いや、どうも違う。人だろうか。そうかもしれない。母親か? 昨日からなんだかだるいと言っていたっけ。まさかコロナにでも感染した訳じゃないだろうな。


 僕はいてもたってもいられず、台所に行き母親がいるのを確認した。──無事だ。


「どうしたの幸助。随分早起きね」


 まだ朝の6時前だというのに、母はもう起きて朝食と弁当の準備をしてくれている。今までは当たり前だと思っていたけれど、これってなんて有難い事なんだ!


「母さん、いつもありがとう。何か手伝おうか?」


 思わず口走っていた。母は目を丸くしてこちらを眺めている。


「あんた、何か変なものでも食べたの?」


 驚いてはいるようだが、嫌がっている様子はない。むしろ喜んでいるようにも見える。感謝を伝えるって良いものだな。

 

「体調悪いっていってなかった? 病院、行ってみなよ」

「いやねぇ、大丈夫よ。草むしりに夢中になってちょっと疲れただけよ」

「何か手伝えることがあったら、本当に言ってくれよ。我慢しないで」

「はいはい、ありがとう」


 苦笑する顔も嬉しそうに輝いている。割と元気だ。どうやら何かが起きるのは母ではないようだ。


 では犬の正太郎だろうか。僕が飼うと言ったくせに、今では餌やりから散歩まで皆父と母がやってくれている。学校から帰ってくると遊んでほしくてボールをくわえてやってくるのに僕ときたらいつも無視して部屋に入ってしまう。


 あの寂しそうな茶色い瞳を思い出すと、物凄い罪悪感に駆られてきた。


「正太郎、正太郎!」


 呼ぶと、遠くから足音が近付いてきてボールをくわえた正太郎が尻尾をぶんぶんと振って僕の前にお座りをした。


「正太郎、公園で遊んで来よう。ボールで遊ぼうか」


 僕は近くのドッグランが併設された公園に正太郎を連れていき、思う存分遊んでやった。帰り道も車に気を付けて歩いた。僕の勘が言っている、僕が失うのは正太郎ではない、と。


 家に戻ると父が帰ってきていた。


「父さん、いつも僕らのために働いてくれて有り難う」


 僕は真っ直ぐに父を見つめて感謝の気持ちを伝えた。父は目を見開いて腰を抜かしそうにしている。いつも無視してごめんよ、父さん。本当は大事に思っているんだ。

 その日の晩酌は僕がお酌をしてあげて、父はとても上機嫌のまま床に就いた。

 もしも父に明日何かあったとしても、僕の後悔は少しは緩和されるのだろうか。僕の心のモヤモヤは結局晴れることなく今日という日が終わってしまった。


 翌朝、目が覚めても家族は誰一人欠ける事なく元気に過ごしていた。もしかすると家族ではないのかもしれない。他に僕にとって大切な存在とは──。


 そこで僕ははっとした。

 史織、僕の初めての彼女だ。

 幼馴染がそのまま付き合い始めたので、照れくさくてついついつれない態度をとってしまう。寂しい思いをさせているのではないだろうか。


 僕は財布とスマホを握りしめて家を出た。


「何よ、珍しいじゃない。そっちからかけてくるなんて」


 拗ねたような、嬉しいような声。


「ファミレスで朝飯でも食わないか? 奢るから」

「やだ、どうしちゃったの? 万年金欠なのに」


 デートはいつも割り勘だった僕をからかうように史織は言った。やっぱり不満を募らせていたんだろうか。僕は決して良い彼氏とはいえなかったはずだ。


 史織はふわふわのパンケーキを嬉しそうに頬張っている。こんな風に飾らない彼女が僕は大好きだ。まだ誰にも言っていないけれど、いつか大人になったら彼女にプロポーズしたいと思っている。──と思った自分に今僕は驚いている。

 僕はこんなにも史織の事を大事に想っているのだ。クリスマスも男友達と過ごして彼女をほったらかしにしたり、フィギアだらけの部屋を見せたくなくて遊びにくるのを断ったりしていたというのに。

 

 僕がないがしろにしていたのは史織だった。失ってから嘆くよりも、今ここできちんと思いを伝えよう。


「史織、僕は史織のこと、本当に大事に思ってるから」

「幸助、どこかに頭でもぶつけたの?」


 彼女は真顔で聞いてくる。たったこれだけのことでこんな反応をされるなんて、僕は本当にダメなやつだ。


「今までダメな彼氏でごめん。これからはもっと史織との時間を大事にする。だからこれからも僕の彼女でいてくれるかな」


 史織は真っ赤になってうなずくと、大きな一切れのパンケーキを口に放り込んだ。可愛い。僕もなんだか胸が高鳴って顔が赤くなっているのを感じていた。


 その時。地面が揺れた。

 昨日の地震などまるで大人しいと言えるような、大きな揺れだ。


「キャー!」


 史織も、ファミレスにいる女性達も皆怯えた声を出し、子供達は泣き出した。僕と史織はテーブルの下に潜って揺れが収まるのを待った。ぎゅっと手を握りあって、僕達は互いを見つめた。すると不思議と怖くなかった。


 しばらくして、安全を確認した店員の誘導で僕らはテーブルの下から出た。ラジオによると震度4強あったそうだ。あちこちに割れたグラスが散乱していた。


 それを見て、僕ははっとした。


「ごめん、家に帰る!」


 そう言って僕は駆けだした。真っ直ぐ家に向かって階段を駆け上がり自分の部屋に入った。すると──。


「あああああああああああああああああああああっ!」


 見事に棚が倒れており、そこに飾ってあったフィギュアや陶器のスタチューが床に散らばっていた。無残にも半数以上が折れ、砕けていた。


「僕の! 大事な! フィギュアたち!!!!!」


 棚を固定さえしておけば……。前もってもっとできることがあったはずなのに。レアなお宝の数々の欠片を見つめて僕は床にうずくまって泣くことしかできなかった。あの日記にあったように。

 折角の日記の警告があったにもかかわらず、結局僕は大切なものを失ってしまった。


 僕は思い知った。耐震対策はきっちりとしておかなければいけないと。そして、これからは日記はもっと具体的に書こうと心に誓った。



                了


(お題:日記)

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