星藍の本棚

桜木くるま

第1話 星藍の本棚とコウノトリ

 深緑色のドレスの上に白いエプロンを着た栗色の髪の少女が部屋に広がる甘い香りにほんのり桜色を帯びたほほをほころばせた。オーブンからチーズケーキを取り出すとそれを丁寧に切っていく。少女はチーズケーキをいくつも作ったが、今日できたものが一番おいしそうだ。

 生きた人たちが住む世界からはるか遠く。広大な宇宙で輝く生命が還る場所――とわの国。色とりどりの花が咲き乱れ、いつでも暖かく、心地よい風が吹いている。空にはいつも満天の星が煌めく。

 そんな安らかな世界の片隅にある小さなレンガ造りの家が少女――セイランの生活を送る場だ。お菓子を作り、入れたての紅茶を飲むこと。花壇を作って花を愛でること。面白い本を読むこと。そんなささやかだがセイランにとって何事にも代えがたいキラキラした楽しみがこの家に詰め込まれている。

 セイランが紅茶を淹れているとかわいらしい装飾が施された鳩時計が鳴った。それと同時に扉がノックされ、軍服を着た青年が入ってきた。瞳も髪も黒い。銃の代わりにアコースティックギターを背負っている。

「ケンイチさん!」

「やぁ、セイラン。すごくいいに匂いだ。またお菓子作りうまくなったみたいだな」

「うん! 今回は自信作よ。食べていって」

 ケンイチを椅子に座らせ、セイランはケーキと紅茶を差し出した。

「ありがとう。うん! 程よい甘さとくちどけ……最高だ」

「やった!」

 ケンイチが喜ぶ顔を見て、セイランはうれしさのあまりガッツポーズをした。

 セイランにお菓子作りを教えたのはケンイチだった。お菓子作りだけではない。とわの国にきた人間は一般的に生前の記憶を持ち、生きていた頃、血のつながりがあったものや仲のよかったものと一緒に暮らす。しかし、セイランには生前の記憶がない。一人ぼっちのセイランにケンイチはとわの国のルールや生活するための術を教えたのだ。

「なぁ、セイラン。お願いがあるんだ」

 ケンイチはフォークを置き、セイランのサファイヤカラーの瞳をみた。

「俺のコウノトリになってくれないか」

「えっ」

 ガチャリと食器が音を立てた。

 セイランはほほを震わせた。

 コウノトリは死者が生まれ変わるとき、新しい『人生』と呼ばれる本を生者の世界に届けるものだ。本を受け取った赤子に死者の魂が入り、新しい人生が始まる。その際、魂は一般的に前世の記憶のほとんどをなくしてしまう。

「頼む。俺の次の人生をセイランに託したいんだ」

「うん……。わかった。ケンイチさんの新しいはわたしにまかせて」

 セイランは頷くとぎこちない笑顔をうかべた。



 とわの国の真ん中には神様が住む宮殿がある。そして、宮殿の中にある図書館には神様が作った小宇宙が広がり、本棚が置かれている。

 星藍の本棚。

 それは星の数ほどある魂の道標が書かれた本が納められた不思議な本棚。そのあまりの大きさにセイランは息をのんだ。ケンイチから自分の名前の由来はこの本棚のようにたくさんの人生を送ってほしかったからだと何度も聞いたが、実際に見るのは初めてだった。

 神様の宮殿に入るというだけでセイランは緊張のあまり気分が悪くなりそうだったが、壮大な本棚を前に気が遠のいていくのを感じた。

「ようこそ、セイラン。ありがとう。君がケンイチのコウノトリをしてくれるんだね」

 セイランが振り向くと純白の衣装に身を包んだ男とも女とも見える美しい姿があった。

 実際に見るのは初めてだったが、セイランは一目で確信した。

「はい、神様……!」

 神様が優しく微笑むとセイランの緊張が嘘のように消え去った。

 神様はセイランに近寄るとまっさらな『人生』を渡した。

「よろしく頼むよ、セイラン。ケンイチは生前、大きな罪を犯した。時代がそうさせたのだ。しかし、その罪が一番傷つけたのは他でもないケンイチ自身だった。ケンイチは死後、このとわの国でセイラン、君を救い、育てた。本来であれば君は――」

 突然、本が輝きだした。

「おっと、いけない。もう出発の時間のようだ。セイラン、これを持っていきなさい」

 セイランは神様から美しい唐草模様のあしらわれた小刀を渡された。それは守り刀だと神様は言った。

「セイラン、よろしく頼むよ。辛いだろうがケンイチのためだ」

「はい」

 セイランがうなずくとその霊体は光に吸い込まれていった。

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