変転

 夜も更け、とうに眠りに落ちている時間だった。

 燦人も横になり、目を瞑り眠っていた。

 だが、物騒な気配を感じてすぅ、と目を開ける。

(これは、火鬼の力の気配?)

 それを理解した途端目が覚める。

 ここは月鬼の里だ、火鬼は自分を含め三人しかいない。炯は自分に付き従っているため今も隣の部屋で休みつつ待機している。

(となると柏なのだろうが……)

 どうしてか嫌な予感がした。

 羽織を着て気配の下へ向かう準備をしていると、襖の向こうから「燦人様」と静かに声を掛けられる。

「炯、行こう」

 炯も気配を感じ取り目が覚めたのだろう。燦人は余計なことは口にせず端的にそう言うと、自ら襖を開け足早に外へ出た。

 向かいながら、僅かにだが月鬼の力も感じる。嫌な予感は増すばかりだ。

 案の定向かった先では柏が香夜に向かって力を放っていた。

「柏! 何をしている⁉」

 そう叫ぶが、理由など分かり切っている。

 柏は向かう先が月鬼の里だと聞いた時から納得のいかない顔をしていた。それでも当主の決定だということで大人しく運転してきたと思ったら……。

(やはり納得はしていなかったという事か)

 それどころか不満に思っていたのだろう。香夜に危害を加えるという暴挙に出るほどに。

「燦人様、邪魔をしないでいただきたい!」

 そう叫んだ柏は、炎をあろうことか自分に向けてきた。次期当主である自分に、だ。

 遠縁である柏との力の差は歴然。敵うわけがないというのに。

(だが、いいだろう)

 燦人は込み上げてくる怒りに身を任せて思った。

(私の婚約者を害そうとした罪、その身であがなわせてやる)

 暴力的な感情が沸き上がる。

 求めて焦がれて、やっと会えた存在。可愛くて大事な婚約者。

 彼女を傷つける者は、誰であろうと容赦はしない。

 そんな思いのまま、全力で叩き潰すために変転しようとしたときだった。

「嫌……駄目よ」

 微かな声。だが燦人の耳にははっきり聞こえた愛しい人の声。

 その彼女が立ち上がり、閉ざしていたはずの力を放つ。

 瞬間、キィンと澄んだ音がした。

 彼女の周囲と、自分の周囲に張られた結界。その結界は他の女鬼が張る盾のようなものではなかった。

 円蓋状の、全方面から守る結界。本来の月鬼が持ち得る力。

 燦人は舞台の上に目をやり、眩しそうに細める。

 そこには、月がいた。

 満月を思わせる薄黄色の目。月光を思わせる白銀の髪。そして、鬼の証である二本の角。

 下弦の月の下。かつて、まさに月だと言わしめた月鬼本来の姿となった香夜がそこにいた。

「……美しい」

 無意識に呟いたであろう炯の声が聞こえる。

 燦人は視線を舞台に向けたまま心の中で同意した。

(ああそうだ。美しく可愛い私の月鬼)

 八年前に感じた時よりさらに強い力を持ってそこにある。

 強さ故に惹かれるのか。美しさ故に惹かれるのか。もはや理由など分からない。

 だが、八年前から彼女のこの気配に惹かれていたのだ。

 この思いはやはり変わりないのだと、確信する。

(ただ、願わくば……彼女の心を開放するのは、私の役目でありたかったな)

 香夜の近くで倒れている彼女の養母に一瞬視線をやり、そんなことを思った。

 やがて香夜は力尽きたのか普段の姿へと戻る。

 倒れそうになる彼女を受け止めるため、一週間前と同じように素早く舞台へと上がった。

「燦人様……」

 受け止めた香夜は安心したように微笑むと、そのまま瞼を閉じてしまう。

 閉じていた力を突然解放したのだ。疲れてしまったのだろう。

 燦人は香夜を抱き上げ、先ほどの結界で弾かれてしまっていた柏に視線を移す。

「……柏」

「っはい……」

 冷たく呼びかけると、恐縮した様子で柏は姿勢を正し頭を下げた。

「お前は自分が何をしようとしていたのか、理解したか?」

「……はい」

 多くは聞かない。

 聞かずとも、変転した香夜を見た時の表情を見れば分かる。畏れ、憧れ、敬慕。それらが読み取れた柏に、もはや害意はないだろう。

 ……だが。

「戻ったら当主に報告させてもらう。それなりの罰は覚悟しておくように」

「はっ!」

 今柏を罰したところで困るのはこちらでもあった。自動車を運転する者がいなくなるのだから。

 それに害意がないと分かっているのなら、後で当主からしっかり罰を与えてもらった方が良いだろう。

 燦人は香夜に視線を戻し、安らかな寝顔に相好を崩す。

「貴女は凄いな」

 自分が守るまでもなく、自らの力で、その存在で、周囲を黙らせた。

 それだけの価値が、この小柄な娘にはあるのだ。

 そんな彼女が自分の婚約者なのだと、自慢したいような、隠してしまいたいような複雑な心情が胸に宿る。

 何にせよ、手放しはしない。

 香夜の価値しか見えていないような輩には、決して渡すわけにはいかないのだ。

 愛しい存在を腕に抱き、燦人はそう決意した。

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