守護

 香夜は病み上がりということもあり、燦人とそのお付きの炯、そして養母以外の人とは会わずに里を出る準備を進めていた。

 とは言え自身の持ち物はそれほど多いわけではない。

 嫁入り道具は養母が用意すると言っていたし、持ち物の整理は早々に終わる。

 なのですることと言ったら、髪や肌の手入れくらいなものだった。

「その傷んだ髪と荒れた手を少しでも何とかなさい。そんなみっともない姿で嫁に行くつもりですか?」

 そう言って髪に良いとされる椿油や手荒れに効くという塗り薬を渡してきた養母。

(いや、髪はともかく手荒れはあなたがそういう仕事をさせてきたせいでは……?)

 と思わなくもなかったが、驚きの方が強いこともあって口には出さなかった。

 良い所に嫁として出すからには少しでも身なりを整えさせないと品位に関わる、という養母の言い分は理解出来るが、何だかんだ言って香夜のためになることをしてくれている様にも見えてどうにもおかしい気分になる。

 思えば宴の前から少しおかしかった。

 着物を渡した時もそうだし、その着物自体も養母が自分のためにと用意したには上質過ぎた。

 見栄えだけ取り繕えば良いのならここまで上等なものでなくても良かったはずだ。

 燦人の婚約者となり彼と接する機会が多くなったので、結果的には良かったのかもしれないが。

 燦人がいるうちはこれを着ていろと言われたが、里を出る時には養母に返すべきなのか。

 だが、この着物以外は着古した襤褸ぼろに近いものばかりだ。この着物が無いと流石に困る。

 里を出る時に返さなくては駄目だろうか。

 返すとしてもせめて代わりにもう少しまともな着物を貰えないだろうか。

 流石に襤褸を着て燦人の隣には立ちたくない。

 だが養母も何かと忙しいらしく中々話す機会が無い。

 それならそれで手伝うと申し出ても「お前は部屋から出ては駄目だよ!」ときつく言われてしまうのみ。

 あれだけ厳しく仕事を押し付けて来ていた人物とは正反対にも見える。

 それだけ日宮の若君の婚約者という立場は強いのだろうか?

(……それも何か違う気がするけれど)

 とにかく着物のこともあるのだから、里を出るまでに機会を見て養母と話をしようと思っていた。


 そうして燦人が里に来て一週間が過ぎた頃。

 久しぶりに養母や燦人達以外の人物が香夜の部屋を訪れる。

「相変わらず辛気臭くて狭い部屋ね。燦人様はよくこの様な部屋に来ようと思えるものだわ」

 部屋に入るなり座りもせずにそう言った鈴華は、香夜を馬鹿にした態度を崩す様子はない。

 それだけならいつもの事なのだが、普段浮かべている嘲りの笑みが無いことが香夜には少し不思議に思えた。

「あの、御用は……?」

 いつもの様に嫌がらせをされたくは無い。

 香夜はあまり機嫌を損ねぬ様、鈴華に用件を問う。

「まあ、簡潔に言わせてもらうわ。香夜、今晩例の舞台で舞ってくれないかしら?」

「え?」

「お父様はあなたを花嫁として里から出すことを決めたけれど、納得していない者もいるのよ。ちゃんと紋様が光って力があると分かればいいの。月が出てきたころに使いを出すから、来なさい」

「え? でもお養母様は部屋から出るなと――」

「お母様の言葉などどうでもいいわ。いいから来なさい」

「っ!」

 とても冷たい目で告げた鈴華は、そのまま香夜の部屋を出て行ってしまった。

 馬鹿にした態度で嘲笑するのがいつもの鈴華だ。あのような冷たい目は初めて見たかもしれない。

 言いようのない不安が巡る。

 だが燦人達は今日はすでに訪れ客室へ戻って行ってしまった。養母は今日も忙しいようで訪れる気配はない。

 鈴華はだからこそこの時間に伝えに来たのかもしれない。

 相談するならば自分から行くしか無い。

 養母の言いつけを破る事になるが、鈴華の言葉には嫌な予感しかしない。

 だが、そう思って部屋を出ようとすると廊下の先に鈴華の手の者と思われる男がいて睨まれる。

 相談にも行けず、香夜はただ夜が更けていくのを不安を抱えて待つしか出来なかった。


 今晩は下弦の月。その月が上るのは、深夜と呼べるような時間帯だ。

 ただでさえ不安だというのに、そのような時間帯に連れ出そうとするなど嫌な予感しかない。

 夜も更けた頃、鈴華の使いとして来たのは彼女の友人の一人で少しふくよかな娘だ。

 顔を青ざめさせて「来て」とだけ告げる。そんな彼女に嫌な予感は膨れ上がる。

「嫌です。……私は行きません」

 首を横に振り拒否すると、もう一人大柄な男が現れた。廊下で香夜を見張っていた男だ。

「鈴華様がそれを望んでいるんだ。無理矢理でも来てもらう」

 男は告げると同時に動き出し、大きな手で香夜の口を塞ぎ抱えてしまう。小柄な香夜には抵抗すら無意味なほどの力の差。事実暴れても口を塞ぐ手すら外せない。

 この男は鈴華に心酔している里の者達の一人だ。彼女の婚約者候補にすら名が上がらないような男だが、だからこそひたむきな程に心酔している。

 そうして結局攫われるように香夜は自室から連れ出されてしまった。

「やっと来たわね」

 篝火の焚かれた舞台の上に放り投げられた香夜に冷たい声を掛けたのは鈴華だ。

 炎の揺らめきが、彼女の美しく無表情な顔を妖しく照らしている。

 鈴華は香夜を連れてきた二人を下がらせると、冷たい眼差しのまま口元に笑みを貼り付けた。

「やっぱりどう考えてもあなたのようなみすぼらしい娘が燦人様の婚約者だなんて信じられないのよ。辞退する気はないかしら?」

 提案の言葉なのに、まるでそうしろと命じているかのようだ。

 だが、それは無理な話。

 燦人が望み、長も方針を決めた。そして何より香夜も燦人と共にいたいと思うようになっていた。

 たった数日でも、香夜の心にはもう燦人が住んでいる。自ら手放すことが出来ない程に、彼の存在は香夜にとって大きなものとなっていた。

「……嫌です」

 そう答えればどうなるか、考えなくともわかる状況。

 それでも、自分の口から辞退するなどという言葉を紡ぎたくなかった。

「そう……なら、仕方ないわよね?」

 貼り付けていた笑みすらも消した鈴華は、誰かに場を譲るように香夜から離れる。

 すると突然、火の玉の様なものが香夜の顔の横を通り過ぎた。髪が少し焦げたようだ。

「すみませんね。あなたのような弱い鬼の血を一族に取り入れたくないのですよ」

 現れた男は優しく微笑んではいるものの、その目と態度は人を馬鹿にしていた。

 里の者ではない。だが香夜にも見覚えがあった。

 珍しい自動車を運転してきた人物だ。確か燦人はかしわと呼んでいただろうか。

「とはいえ私の言葉など燦人様は聞き入れないだろう。だから、こうするしかないのだ」

 そう言葉にしながら、柏の姿が変化する。

 篝火で赤みを帯びていた髪が更に赤く染まり、黒かった瞳が赤く光る。そして、額の髪の生え際辺りから、二本の角が生えてくる。

 変転。

 聞いたことはあるが、月鬼には失われたもののため初めて見た。

 驚き動けずにいるうちに、柏はその手に先ほどよりも大きな火の玉を出現させる。

「すみませんね。死んでください」

 謝罪の言葉を口にしているのに、欠片も悪いと思っていない様子で柏はその力を放った。

「っ!」

 避けることも出来ず痛みを覚悟して目を閉じた香夜だったが、中々予想していた痛みは来ない。

 熱は感じるが、何かに遮られているような感じだった。

 そっと目を開けると、火の玉と香夜の間に一人の女性がいる。彼女は結界の盾を出し香夜を守ってくれていた。

(どうして……?)

「っく! やっとこの子が幸せになれそうだというのに、こんなこと許してなるものですか!」

 そう叫んで火の玉を霧散させた彼女を香夜は驚きの表情で見つめる。

「……お養母様?」

 呼びかけに振り向いたその人は確かに養母だった。

 髪を振り乱し、急いで来たことが分かる。

「香夜、逃げなさい。ここは食い止めておくから」

「でも、何故――」

 早口で告げた養母に何故助けてくれたのか聞こうとするが、その前に鈴華の金切り声が響いた。

「お母様⁉︎ 何故その子を庇うの⁉︎」

「鈴華……お前のためでもあるんだよ?」

「どうして……分からないわ、お母様!」

 母に裏切られた気分になったのだろう。鈴華は幼子の様にいやいやと首を横に振った。

「落ち着いて、少し下がっていなさい。あなたの母まで殺しはしませんから」

 柏は面倒そうに眉を寄せつつも、口調だけは優しげに言い鈴華を下がらせる。

 そして冷徹な目をこちらに向けた。炎のように赤いのに、ぞくりとする冷たさがある。そこに躊躇いなど欠片もなかった。

「どいてください、と言っても無駄の様ですね」

 話し合いの余地もなくそう言ってのけた柏は、また火の玉を出現させて香夜に向かって投げつける。

「くっ!」

 そしてまた養母が結界でそれを防いでくれた。

「お養母様⁉」

「早くっ! お逃げなさい! あなたは月鬼の宝――いいえ、華乃かのの大事な子。あの子が亡くなったとき、私は何が何でも守ると決めたのだからっ!」

 華乃とは母の名だ。友人だとは聞いていたが、それほどに仲が良かったのだろうか?

 いや、それよりも何故ここまでして自分を守ろうとしてくれるのか。

 今まで厳しく当たってきたではないか。邪険に扱ってきたのではなかったのか。

 疑問ばかりが浮かぶ。

 だが、今目の前で自分を守ってくれているのは確かにその厳しいはずの養母だった。

「思ったより粘りますね……。だがこれで!」

「きゃあ!」

 ばきん、と結界が壊れるような音がして、養母が弾かれる。それをとっさに受け止めようとした香夜も共に倒れた。

「その娘は養女なのでしょう? 実の娘より養女を大事にするのですか?」

 柏の呆れたような声に、養母は辛そうに体を起こしつつも睨みつける。

「香夜も鈴華も、私の大事な娘です!」

「っ⁉」

 躊躇いのないその言葉は、紛れもなく養母の心からの言葉だった。

 養母が何を思って自分に厳しく接していたのかは分からない。何を考え、今守ってくれているのかは分からない。

 だが、その思いだけは本物なのだと……頭ではなく心が理解した。

 燦人によって溶かされ壊されてきた心の壁が、養母の言葉で全て砕け散る。

「お養母様……」

「……泣いていないで、逃げなさい。燦人様なら、あの方ならきっと貴女を幸せにしてくれるだろうから」

 いつの間にか零れていた涙を養母の手が拭ってくれる。

(ああ……この手だ)

 幼い頃、泣き疲れた自分を撫でてくれた手。熱に浮かされて辛そうな自分を撫でてくれた手。

 養母はずっと、自分を見守ってくれていたのだ。

 思えば、養母は厳しいだけで手を上げたりはしなかった。邪険そうに扱いながらも、穢れた娘や呪われた子などと口にしたこともなかった。

 手を上げるのも、蔑みの言葉を投げつけてきたのも、他の誰かだ。

 壁がなくなり、むき出しになった心に温かい想いが流れ込んでくる。その温もりは心に熱を灯し、強い力となって香夜を勇気づけた。

「柏! 何をしている⁉」

 そのとき、少し離れた場所から燦人の声が響く。

「もう来てしまったか……。燦人様、邪魔をしないでいただきたい!」

 柏は両の掌に炎を灯らせ、片方は香夜達に、もう片方は燦人に向ける。

「嫌……駄目よ」

 燦人も、養母も、傷つけさせない。

 彼らを傷つける者は、誰であろうと許さない!

 香夜は立ち上がり、心の赴くままその力を放った。

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