未来日記

サムライ・ビジョン

人生いろいろ

 ロボットになったような気分で工場勤務を終え、俺はボロアパートのドアノブに手をかけた。中に入り郵便受けを確認する。


(なんだこれ…)


 税務署の封筒ともうひとつ…ボロボロになった薄いピンクのノートが入っていた。指先のギリギリでそれをつまみ、1ページ目を開いてみた。


◆ ◆ ◆


4月6日 水曜日

 紙を見つけるのになかなか苦労したよ。ひい爺ちゃんの時代だと紙が主流なんだってね。はじめまして。僕はあなたのひ孫にあたるポプリンだよ。

(なんつう名前だ…カタカナでポプリン?)


 僕が生まれたのが2108年で、現在は2124年…青春真っ盛りの16歳だよ!

(嫌味かバカタレが…)


 僕たちは今、訳あってオーストラリアの田舎町に住んでいるよ。

(オーストラリア? なんでまた…)


第三次世界大戦が収束したのが2067年だから、もう57年も前の話になる。

(世界大戦起こんの!? 俺まだ生きてんじゃねぇか!?)


世界大戦が始まる前から、高い税金と低い賃金の板挟みのせいで国外へ流れる傾向にはあったらしい。東京と大阪が大きな打撃を受けてからは、主要都市は今でいう滋賀県の大津市になって、そこからもっと経済的に厳しくなったんだって。

(嘘でしょ…大津市が首都になるのか?)


 実をいうと、今こうして過去の親族に日記を書いているのは僕だけじゃないんだ。友達のリューズくんやマハベラちゃんも同じようにメッセージを書いている。本当は爺ちゃん婆ちゃんくらいの世代に書きたいんだけど、「時空制定法」の3条に書いてあるように…


(…いやわからん! 知るわけないよ!)


未来のことを教えていいのは自分の曽祖父母だけなんだ。たぶん、国のことだから僕たちをナメてるんだと思う。どうせ風化させる…伝承を忘れる…そう思ってこんな法律を作ったに違いない。


◆ ◆ ◆


 ここで日記の宛先…田中のスマホに電話がかかってきた。

「もしもし?」

「おー、悠人ゆうとか? いま家にいる?」

「いるよ、どしたん?」

 通話相手は少し間をおいて話した。


「ひょっとしてお前の家変な日記、届いてるか?」

「え…お前ん家にも届いてんの?」


 友人の話によると、悠人と同世代の人間の中には、日記がポストに入っていたと主張する者が複数人いたようだ。


「イタズラにしては大がかりだよな…」

「悠人、『2022関東大震災』のことは書かれてたか?」


 友人は、口にした言葉とは裏腹に落ち着いた口調であった。


「なにそれ? いや、書かれてなかったけど」

「明日…4月7日の木曜日、昼の3時24分に、伊豆大島のあたりが震源のデカい地震が起こるって俺の日記に書いてあるんだよ」

「…マジで?」

「本当かどうかはわからん。ただ、俺の日記には日付が、俺の友達2人の日記にはそれぞれ時間と場所が書かれてた」


 一人暮らしの悠人の台所から、冷蔵庫の音が小さく聞こえてくる。考え込んだ悠人はようやく口を開いた。

「とりあえず備えといて損はないよな。お前も一応気をつけとけよ?」

「おう」


 電話を切った悠人は、再びノートに目を通した。


◆ ◆ ◆


 僕はこの1ページ分しか書けないんだ。インクが残り少ないからひい婆ちゃんの分を温存しないといけない。

(ギリギリで勝負してんなこいつ…)

 とにかく僕が伝えたいのは、明日は身の安全を確認してということ。ちなみにひい婆ちゃんの名前は高橋春美だよ!

(…え…高橋春美って、幼馴染の?)




 次の日、悠人は仮病を使って休んだ。

約束の324までに、悠人は水と非常食、その他防災セットを用意した。いつもは助手席に誰もいない軽自動車も、この日ばかりは珍しく予約済みだった。


「春美、今いいか?」

 時刻は13時半。高卒で働き出した悠人と大学に通う春美とではスケジュールがまるで違うが、どうやら電話越しの春美もまた状況が同じだったようだ。

「もしかして地震の話?」

「そうだけど…授業は大丈夫なのか?」

「のんきに授業なんかできないでしょ…サボったわよ」


 無意識のサボり同盟。悠人は春美のアパートへ迎えに行った。

「それで、これからどうするの?」

乗り込んだ春美は尋ねる。

「みんなは大芝キャンプ場に行くらしい」

「あー…あそこ海から遠いし、山に囲まれてるもんね」


 車を走らせること約1時間半。都市部から大きく離れ、やがて坂道に差しかかった。山々に挟まれたこの道をまっすぐと行けば、キャンプ場だ。


「おっ、やっぱりみんな集まってるな?」


 着いたのは3時20分。予言された時刻まで残り4分だ。キャンプ場には、平日とは思えないほど何台も車が停まっており、家族を連れてきた者も多くいた。

「さすがに秋田は大丈夫だよな?」

 2人の地元は秋田県の田舎町だ。

「揺れるとは思うけど、そこまで被害は出ないんじゃない?」


 そして、1の位はとうとう「4」を示した。15時24分。

家族を連れた者は抱き合い、ひとりの者はスマホの秒針を見守る。


 時計はその時刻を過ぎようとしている。


「…やっぱりただのデマだった——」




 次の瞬間、遠方から地響きが聞こえてきたのを合図に、大きく長い揺れが街を襲った。

立てないほどの容赦のない強い揺れが1分ほど続き、警報音が各々の機器からけたたましく鳴り響いた。


 予言にもあったように、この地震は後に「2022関東大震災」と呼ばれるようになった。死者10万人以上に登り、行方不明者は5万人を優に超えた。




 あれから半世紀以上が過ぎ、2061年。

悠人や春美がちょうど61歳になる頃、日記に書いてあるように世界大戦が起こり…


 春美は亡くなり、孫は瓦礫の下敷きになった。


「日記には確か…オーストラリアって書いてあったな…オーストラリアはきっと安全なんだろうな…」


 幼い孫が亡くなったためか、知らず知らずのうちに日記は消えていた。


「名前は確か…ポプリンっていったっけ」

 悠人は空港で手帳を開き、書き留めた。


◆ ◆ ◆


4月6日 水曜日

拝啓、いるはずのないポプリンへ。

 君の言った通り、確かにあの日は地震が起きた。あらかじめ教えてくれたおかげでそれは回避できたよ。ありがとう。

 そして、僕の妻と孫は…君のひい婆ちゃんとお父さんは戦火に飲まれてしまった。守ることができなくて申し訳ない。

 今日は、君が16歳のときに書いてくれた日記と同じ、4月6日の水曜日だね。

 もしかするとこれから日本は、大津市を中心に体勢を立て直すかもしれない。

 だけど、ひい爺ちゃんは日本に戻る気はないよ。ふるさとに戻っても、妻と孫は


◆ ◆ ◆


 悠人は、あふれる涙を拭えるものを探そうとリュックに手を入れた。

(…ん?)


 彼が違和感を抱いたのは、四角く柔らかいものの存在だった。彼はリュックにノートなど入れた覚えはない。


「…え?」


【田中ポプリン】


 ノートの表紙には、汚い字でそう書かれている。

悠人は震える手で1ページ目を開いた。


◆ ◆ ◆


4月6日 水曜日

 もう…紙は貴重だって書いたでしょ? インクだって少ないの!

 結果から言うよ。僕の父さんは…あなたの孫は死んでません。瓦礫の中で心肺停止になってたらしいけど、なんとか生き延びたんだってさ。

 あと6年もすれば世界大戦は終息するよ。オーストラリアの4月は日本の4月とはまるで違うけど、現地の人は優しいし、食べ物はおいしいし…オーストラリアの春も綺麗だよ。

 だからひい爺ちゃん、ずっと生き続けて。


◆ ◆ ◆


「春は綺麗…か」


 悠人はひとり呟いた。

春美を思い出したのだ。

失った彼女と引きかえに、ひ孫は生まれた。


 フライトまでのわずかな残り時間を、悠人は静かに待った。


 いま、桜は散らずに満ちている。

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