第30話 〈黒塗りの規律〉コホシュ・ブラック

 ソナマナンが拳銃を連射し、コホシュの周囲の壁が粉を上げて弾け飛ぶ。


「全然当たらないじゃないの!」


 ソナマナンが毒づくと、隠れていた壁から身を乗り出したコホシュが反撃。ソナマナンの目前に弾丸が食い込み、ソナマナンは小部屋のなかに上体を隠した。


「ああ、どうしましょ⁉ 撃ち合いでは完全に私の負けだわ」


 ソナマナンが射撃に長じていないこともあるが、前身が訓練を積んだ警官だけにコホシュの銃の腕は人後に落ちないものだった。


 正攻法で撃ち合っては、確実にソナマナンが先にくたばるだろう。


「クルシェも忙しいみたいだし」


 酒場の方は一度静かになったと思ったが、再び銃声や何かが砕ける音が鳴りだしている。すぐにクルシェが応援に来てくれることはなさそうだった。


「こりゃあ、とってもまずいわ!」


 部屋のなかで喚くソナマナンへと、通路から声が投げかけられる。


「お姉サマ、いつまでも隠れてイル気なら、私からソッチに行きますね」


 足音が近づいてくる気配があるが、ソナマナンは扉から顔を出すわけにはいかない。狙いすました一撃で額を撃ち抜かれるだけだ。


 だからと言って、このまま部屋にいては追い詰められるのは必至である。


「まったく、佳人薄命なんて信じたくないわ」


 ソナマナンが部屋のなかを見渡す。


 この部屋は事務室に使われているようで、机や書類綴じが幾つも収まった棚が並んでおり、床面積の割りに狭く感じる。扉の反対側の壁面には窓が備えられ、それが半開きになっていた。


 ソナマナンが窓から顔を出すと、向かいは隣の建物の壁になっているが、一人は通れるくらいの隙間があって店の裏口に通じている。


「イイんですのヨ。隠れていても、ワタシの勝ちよ」


 コホシュの声が扉の近くから聞こえ、ソナマナンは焦った。


 ここから裏口に回り込むことは論外だ。コホシュは裏道の存在を知っており、この部屋からソナマナンが姿を消せば裏道を疑うのは当然だ。あの狭い道では身を翻して反撃することもできない。


 ソナマナンは時間稼ぎのために机上の書類綴じを通路に投げ捨てる。瞬間、連続する発砲によって書類綴じは粉々に破砕した。床に落ちたとき、それは散々になった紙の束と化している。


 コホシュは警戒したのか足音が止まる。その間にソナマナンは頭上の蛍光灯と通風口を見上げ、思索を巡らせた。


「悪あがきは済みマシタか、お姉サマ」

「もう少し付き合ってくださるかしら」


 ソナマナンは部屋の中央から通路に向けて射撃しつつ、通風口の蓋を外す音を誤魔化した。さらに部屋の照明を撃って破壊し、室内を闇に封じ込める。


 コホシュが扉の横に現れ、拳銃を構えたが、漆黒の背景に溶け込んだソナマナンの姿を捉えられないようだった。その逆にソナマナンからは敵の身体が光に浮き立って見えるのだから、射撃に困ることはない。


 コホシュが狙いをつける前にソナマナンが銃撃を見舞い、顔のすぐ横に朱の火花が咲いたのに驚いたコホシュは慌てて通路に逃げ帰った。


「ほほほ! どう、これで形勢逆転じゃあないの⁉」

「さすが〈毒婦〉お姉サマ。雑魚ではないデスネ」

「当たり前よ。私だってこれまで幾度の死線を……」


 ソナマナンの言葉を銃声が掻き消し、明かりに満ちていた通路が暗黒に包まれる。


「何ですってー⁉」

「条件が同じナラ、アトは腕前の差が戦いの趨勢を決しマスネ」

「『スウセイヲケッシ』……? 外国の言葉を使わないでくださる?」

「お姉様の母国語ナンデスが?」


 暗闇に立ち尽くしていたソナマナンの前で、いきなり閃光が瞬いた。発砲に伴う光でソナマナンを視認したコホシュが続けて弾丸を送り出す。


 初弾より遥かに正確性を増した一発が耳元を掠め、ソナマナンは悲鳴を上げつつ手探りで事務机の後ろに隠れる。


 機先を制して戦いの主導権を握ったコホシュは机に向けて銃を連射した。鉛玉の驟雨を浴びて砕ける机の破片を被りながら、ソナマナンが涙ぐんで頭を抱える。


「あああああああ⁉ どうすればいいの⁉」


 銃撃が小休止し、コホシュが弾倉を入れ換える。


「そろそろ終ワリにさせてもらいマスネ」


 コホシュが言っても顕著な反応が無くなった。怪訝な表情で試しに撃ち込んでみたが、先ほどまで発せられていたソナマナンの声音が途絶えている。


「ははあ、ソウ来ましたネ」


 コホシュは合点すると、躊躇なく部屋に踏み込んだ。

 ソナマナンが通風口の蓋を開けていたことは気付いている。毒を媒介する返り血を浴びないよう、距離をとってコホシュは通風口が通る天井に弾丸を撃ち込む。


 数発の射撃を終えてコホシュが眉根を寄せた。ソナマナンを仕留めた手応えがないのだ。天井に穿たれた穴から血液が滴ることもなく、何の存在も窺えない。


 まさか、とコホシュが窓から外を見渡した。表通りの照明の余波で室内よりは視野が利くなか、裏道にもソナマナンは見当たらない。


 突然、ソナマナンを見失ったコホシュは焦燥も露に壁へ張りつくと通路から半身を乗り出して辺りに銃を乱射した。

 何度か閃いた光のなかにも人影はない。


 不気味な恐怖に勝てず、コホシュはウィロウと合流しようと部屋を出た途端、背後から冷たい風が流れ、後頭に絶望を具現化した感触を覚えた。


「ど……〈毒婦〉お姉サマ……」

「コホシュちゃんたら、本当に手こずらせてくれて、めっ!」


 コホシュは痛恨の思いが胸に詰まってうまく息ができないようだ。

 部屋を出てすぐ後ろを取られたということは、ソナマナンはずっと部屋のなかに隠れていたことになる。


 通風口か裏道に逃げたと思わせ、第三の選択肢を用意していたのだ。


「セ、せめて銃で殺シテ」

「あら、駄目よ。私の髪をこんなに塵まみれにしておいて。許したげない」


 コホシュの首筋に柔らかく、熱く、濡れたものが触れた。


 ソナマナンの接吻を受けた箇所から何本も筋が走り始めたのは、ソナマナンの魔力である〈艶毒〉の回った血管が膨張しているのだ。


 暗くて見えないが、即座に肌が壊死して青黒く変色もしているだろう。激痛が肉体の内側で弾けても、呼吸困難になっては叫ぶこともできない。


 コホシュが壁に寄りかかりながら鮮血の塊を吐き出し、そのまま崩れ落ちた。


 コホシュが倒れたとき、床に果物を叩きつけたような濡れた音がソナマナンの耳に届いた。

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