第20話 ハチロウは獲物を欲す
「……まあ、そういうわけで、昼間に会ったあの人が我々の対象とする『王国の害悪となりうる魔女』である目算が高いと見ましたね」
一番端に位置する建物のなかでリヒャルトが言った。
窓際の寝台に腰かけるリヒャルトの他には、備え付けの椅子に座る二人の男と、扉側の寝台の脇に立つ中年の男がいる。
「ロレンとリオッツが来たら改めて話しますが、目下のところ、あの人達を調査するというのが一番の近道でしょう」
男達はリヒャルトの意見に異論ないようで沈黙を守っている。リヒャルトは納得したように頷くと、出入口へと細い双眸を向けた。
「遅いですねえ。あの二人は何をしているのだか」
「おおかた、リオッツが酒でも飲んでいるのだろう」
椅子に座る長身の男が応える。
リヒャルトが最も信頼する剣の名人であり、長年行動を共にしてきたギアーツだ。
背もたれを倒し、椅子の前脚を宙に浮かせて器用に体勢を保ちながら顔をリヒャルトに向けている。
「私が見てきましょう」
壁際にいた年嵩の男が扉へと向かったが、その鋭敏な聴覚が屋外の足音を聞きつけて動きを止める。
足音は一つだけだった。それだけでは不審と言えるほどのことでもないが、その一事でも油断を怠らないのが〈巡回裁判所〉である。
「どうした。入りなさい」
リヒャルトが促すと、ゆっくりと扉が開かれる。
外の人物が姿を現す前に、扉を注視するリヒャルトの後頭部に硬い物体が押しつけられた。
「動かないで」
その声音を聞いて弾かれたように男達がリヒャルトに目を向ける。彼の後ろにはどこから出現したのか、線の細い女性が拳銃をリヒャルトに突きつけていた。
一同が動揺した隙に扉を開いた男、ハチロウが室内に踏み入る。
中年の男が戸惑いながらも剣を抜こうとしたが、後から動いたハチロウの方が格段に速い。剣を半分ほど抜いた中年男が喉元に冷たい感触を覚えて硬直した。
「やられましたね。やはり魔女がいましたか」
窮地にあっても泰然とした態度を崩さないのは、さすがに〈巡回裁判所〉といったところだった。
さらに配下と敵の立ち位置をそれとなく確認し、どう行動すれば状況をひっくり返せるか、そう思惟する色がリヒャルトの面に浮かぶ。
「我々と話し合いに来たので?」
「いいえ。殺しに伺ったの」
「すぐ、私を撃たない理由は?」
「……旦那」
九紫美が視線で促すと、ハチロウが頷き返す。
「〈巡回裁判所〉の高名を聞いて腕試しをしたいと考えた剣士が、この場にいると思ってもらえば話が早い。先ほどの二人は、まだ修練が足りなかったようで、あんた方に期待している」
「てめ! ロレンとリオッツを⁉」
ギアーツの向かいの椅子に座る若い男が呻き声を上げる。
「今からならば、冥府の道を辿るあの二人に追いつくこともできるだろう」
若い男は逆上しながらもリヒャルトの指示を仰ぐだけの理性は残していた。若い男が目線で問いかけると、リヒャルトが苦々しげに瞳で交戦を許可する。
若い男が立ち上がるとハチロウがそれに向き合う。
中年男はハチロウの背後をとる位置になったが、つけ入る隙が見出せないのと、先ほどのハチロウの早業を目の当たりにして手出しを躊躇っている。
若い男が剣を引き抜きざま、片手斬りでハチロウの左首筋を狙った。
長脇差で防ぐまでもなくハチロウが斜め前に前進して回避。ハチロウは長脇差を無造作に下げたままである。
若い男が手首を返すと、閃光と化した刃先がハチロウの右首へと走る。
急所である首筋なら傷が浅くても致命傷になりうるため、速さを重視した片手打ちで狙っているのだ。
ハチロウは右斜め上から迫る白刃に臆することなく、大きく踏み出した左足を軸に時計回りに回転する。
必殺の一撃がハチロウの頭上を通過し、若い男が痛恨の表情を浮かべたとき、ハチロウは回転の勢いを乗せた斬撃を振り抜いていた。
胴体を薙ぎ払われた若い男の背後の壁に鮮血が極彩色の模様を描き出し、その直後に肉体が叩きつけられた。
すでに死体となった若い男が壁に背を預けてずり落ちるとともに、室内に生臭い血の匂いが溢れ返る。
刃を振るって血糊を払ったハチロウが口を開く。
「残ったお三方のうちで、一番の剣の使い手は誰だ?」
目前で繰り広げられた惨事に顔を青ざめさせていたリヒャルトと中年男の目が、ギアーツに向けられる。
「俺が相手になろう」
ギアーツが立って腰の刀を抜いた。
リヒャルトの配下で唯一ハクランの武器である刀を所持している彼は、この一隊に限らず〈巡回裁判所〉屈指の剣技を誇る剣士であった。
ギアーツは両手を頭上に掲げ、刀を地面と平行に寝かせる上段に構えた。
その構えを見やったハチロウが初めて長脇差を中段に構える。
「貴君、その構えはハクランの〈
ハチロウの問いかけに、ギアーツが間合いを計りながら応じる。
「慧眼だな。先生の道場でも三番手に数えられたこともある」
「ハクラン本国までお名前が響いていた方だが、お亡くなりになられたな。確か三年前の春、石橋の下の川に面した小道で、左肩から胸を斬られて倒れていたはず」
ハチロウの静かに流れる言葉を受けるギアーツの手が小刻みに揺れる。その反応がハチロウの発言を事実だとその場の者に印象づけた。
ハチロウの口唇が開かれ、決定的な一言が放たれる。
「腕試しのために、俺が斬ったからな」
怒りよりも、目前の剣士が師を上回る技量を持ち合わせるという畏怖が、ギアーツの胸腔を支配したようだ。
「うおおおッ!」
挫けそうになった心を奮い起こし、雄叫びを上げたギアーツが上段の刀を懸河の勢いで振り下ろした。
同時にハチロウが前進しながら長脇差に一条の光芒を描かせる。
銀光が走る軌道上にギアーツの肉体が交わったとき、深紅の血潮が天井まで弾けて斑に染め上げた。
声もなくギアーツがうつ伏せに倒れ伏すのを目の当たりにし、さすがにリヒャルトが顔色を変えた。
隊で随一の剣士であるギアーツが敗死したということは、少なくともハチロウには勝てないことが明白となったのだ。
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