100年越しのラブコメディ

植原翠/『おまわりさんと招き猫4』発売

100年越しのラブコメディ

 某県某市の海岸に、悲しい怪談がある。

「結婚してくれないなら、死んでやる」

 そう言って崖から身を投げた男の魂が、今なお彷徨っているという。愛した女に受け入れられるのを待ち続け、怨念となって残り続けているのだ――。


「重い男だな……」

 観光ガイドブックに書かれたその怪談を読んで、思わずそんなひとり言が洩れた。

 脅してまで結婚を迫るなんて恐ろしい。死んだという結果を鑑みると、断られたのだろう。まあ、こんな男との結婚はご勘弁だが、死なれたら死なれたで一生後味が悪い。それだけでも重いのに、その上まだ魂が彷徨うとは、しつこいにもほどがある。霊的な怖さというよりも、ストーカー的な怖さである。

 この怪談を知ったのは、数日前。ひとり旅の準備をするために、ネットで下調べをしていて目にしたのだった。

 なぜこの観光地を訪れたのか、実は自分でもよく分からない。ただ、突然どこか遠くへ出かけたくなって、有給を取って来てみたのだ。なんであんなに衝動的に行動したのか、自分に疑問である。二十二年生きていて、こんなことは初めてだ。

 この海岸は、奇妙な怪談のお陰で人気の観光スポットになっている。景色はなかなかだ。絶壁の岩場に波が打ち寄せて、呑み込まれそうな力強さと弾けて消える水飛沫の儚さが同居している。

 現在は柵が設けられているが、昔はこんな落下対策はなかったのだろう。ぽつんと立てられた看板には、例の怪談がまことしやかに刻まれていた。

 正直、こんな怪談には興味がない。折角なので、スマホのカメラを起動した。生憎の曇天だが、絶壁とうねる荒波の海の写真をおさめておこうと思う。

 一応観光スポットなのに、観光客がまるでいない。私の他には、学生服を着た男がひとり、柵にもたれているだけである。

「おーい、みっちゃん!」

 男が手を振っている。これは失礼した。どうやら連れがいたみたいだ。

 私は海に向かってカメラを構えた。

「みっちゃん!」

 シャッターを切る。カシャッという小気味のいい音がした。

「みっちゃんってば!」

 水飛沫まできれいに撮れている。もう一枚、今度は空をたっぷり写して……。

「みっちゃんみっちゃんみっちゃん、みーちゃーん! ミツ!」

「うるさいな!」

 勢い余って怒鳴ってから、ハッと口を押さえた。見知らぬ人に向かって、私はなにを……と、思ったのだが。

「だってみっちゃんが無視しよるから。俺やぞ、なんで無視しとんのや」

 学生服の男は、いつの間にか私の真横に立っていたのだ。

 小麦色の肌をした、醤油顔の男だ。高校生くらいだろうか。詰襟の学生服に将校マントを羽織っていて、更には古風な学生帽まで被っている。なんだろう、まるで大正の学生みたいな、古臭い制服だ。

 彼が真っ直ぐに私の目を見て、もう一度名前を呼ぶ。

「なあ、みっちゃん。俺ずっと待ちぼうけくらっとっとよ」

「えっと……」

 にんまり笑う男に、私は一歩、後ずさりした。

「みっちゃんって、私のこと?」

「当たり前やがな!」

 突然だが、私の名前は川嶋理恵である。どの字を取っても「みっちゃん」ではない。

「人違いですよ」

 あしらおうとしたら、男はカッと声を大きくした。

「んなわけあるかい! こっちは百年っくらい待っ……あれ?」

「いい加減にして! さっきからなにを言って……えっ?」

 私と男が言葉を呑み込んだのは、ほぼ同時だった。

 古風な制服だから、足元も下駄なのではと下を見て、気づいた。この男、膝から下が霞んでいる。それどころか、全身がぼんやり、透けて見える。

 男の方も、ぽかんとした顔で私を見ていた。

「ほんまや。あんた誰じゃ?」

「あ、あなたこそ……」

「俺は、岩浪平助」

「いわ……」

 私はちらと、崖に立てられた看板に目をやった。

 海に身を投げて死んだ男。その男の名前が、「岩浪平助」だったのだ。


「そっかあ、みっちゃんやないのか。そりゃそうやな。みっちゃん生きとったら百歳超えてるおばあちゃんやわ」

 平助と名乗った男は、ひとりでこくこく頷いていた。

「お前さんは理恵って名前なんやな。『りっちゃん』や」

「なにがりっちゃんよ……馴れ馴れしいな」

 私は、心霊現象は信じない方である。だから怪談なんか聞いても気持ちの悪い男がいたのだなと思ったくらいで、ここに霊が出るなんて本気にしなかった。

 しかし目の前にいる岩浪平助は、体が透けているし私の手が貫通したし、踏んでも蹴っても痛みを感じていないしスカスカと通り抜けるだけなのだ。

「マジでいるんだ、幽霊」

「マジでおるよ。ただ、全然人に見つけてもらえんけどなあ。霊能者名乗ってやってきよる奴らもな、インチキばっかしで見えとらんかった。孤独やわあ」

 平助は、女に振られて死んだ重い男のわりに、そうとは思えないくらいフランクな奴だった。

 波の音がする。ザザーと近づいてきて、岩にぶつかってパーンと爆ぜる。

「本当に幽霊なの……? なんか外見だけ古臭いけど喋り方は現代寄りだよね」

 にわかに信じられずにしつこく問う。平助は腕を組んで、したり顔で答えた。

「ここ、観光地になっとるからな。人がわんさか見に来よるから、その人たちの会話を聞いてたら、言葉遣いがうつってもうた」

 今現在観光客が私ひとりなのでまるで説得力がないが、幽霊のくせに学習能力があるのは分かった。

「ええっと、『みっちゃん』っていうのが、あんたを振った女なの?」

「振ったとか言わんといて。なんかな、世間が誤解しとんねん。時間が経つにつれて尾鰭背鰭がついて話がひとり歩きしてもてん。真相はそんなんちゃうて」

 平助は霊体の体を弄ぶように、ふわふわと浮かんでは宙返りをしていた。

「たしかに、『結婚してくれなきゃ死んだるで!』とは言った」

「言ったんじゃん」

「でも冗談や。みっちゃんは腐れ縁の友達でな、互いにふざけとっただけやったんや。この危なっかしい崖の近くを通る度、俺は崖のギリギリのところに立って、『結婚してくれなきゃ死んだるで!』と叫んどった。ほんで、みっちゃんが『ほないっぺん死んでこい!』って突っ込んでワンセットのギャグ」

 平助が柵の上に降り立つ。足を着けていないから、正確には柵の上空に浮かんでいる。

「しかし何回もやってるうちに、運悪く足を滑らせて、ほんまに死んでしもた」

「オチが痛快すぎるよ」

「俺、最期に聞いたみっちゃんの言葉『なんでやアホー!』やった」

 なんてことだ。ガイドブックにも書かれるこの怪談は、ただの悪ふざけによる不慮の事故だったというのだ。

「じゃああんた、この地元の人はもちろん観光客にもガセ流してるってこと?」

「俺が流したんやないわ。むしろ俺が愛の重い執着男みたいに語られてんのが心外やねん」

 たしかに平助の言動は、怪談の登場人物のイメージと全然合わない。私は口をぽかんと開けて、ぷかぷか浮いている平助を見ていた。

「じゃ、あんたが死んだのは、怪談で語られてるような熱く見苦しい恋の果てではなく……」

「当たり前や。そもそも、みっちゃんには親が決めた許嫁がおる。そういう時代やったからな」

 なんだか、聞けば聞くほど怪談が作り話になっていく。

「地元民も観光客も、嘘の怪談に踊らされてるんだ……かわいそう」

「でも死んでるんは本当やん。幽霊おるのも本当やん」

「そうだけど、あんたの場合は死んだ理由がセンセーショナルだから注目されてるんだよ。あんたの存在意義は死んだ理由。それが嘘ならあんたに価値はない。ただふざけて事故死したバカな奴」

「言い過ぎや。理由が虚構だったとしても観光資源になっとるのには変わりないやん」

 平助が開き直る。海風が吹いて、私の髪が巻き上げられた。平助は風をも透かす。風の影響を一切受けず、服の裾すら微動だにしなかった。

「みっちゃんはな。事故のあと、一回だけここに来た。俺はその時点で既に幽霊やったんやけど、脅かしたろと思って隠れてたんや。みっちゃん、花を持ってきてな。もう一回、『なんでやアホ』って言った」

 平助はため息混じりに続ける。

「泣いてもおらんかったわ。俺は俺で、脅かすタイミング掴み損ねて出てこられんかった。ほんで、それ以降一回も来てくれへんの」

「みっちゃんさん、結構薄情だね」

「しかも、知らんうちにどっか遠くへ引っ越してん。噂でそれ知って、挨拶くらい寄越せやと思った」

 最後の方は、愚痴みたいな口調に変わっていた。私は彼の話を聞きながら、海原に顔を向けた。

「で。そのみっちゃんさんは、私と似てるの? 初対面の私と見間違えるほど?」

 出会い頭に、みっちゃんの名前を連呼されたのである。聞いてみると、平助はぶんぶんと首を振った。

「ううん、全然似てへんよ。みっちゃんの方がりっちゃんより二倍は太ってるし、八倍くらいブスやし、百倍口が悪い」

「あんた最低ね」

「全く違うのに、それでも見間違うたんは……多分、面影があったんや」

 平助は急に、ぼやっとした表現を重ねはじめた。

「魂の形、っていうんかなあ。目には見えないものやけど、なんだかビビッときてな。顔も確かめず、しかもこんな若いはずないのも分かっとったのに、絶対みっちゃんやと思った」

 それから彼は、不敵な笑みを浮かべた。

「多分、りっちゃんはみっちゃんの生まれ変わりや」

「はあ!? なにを根拠に……」

 びっくりして、咄嗟に大声が出た。平助は怯むことなく堂々と語る。

「俺はな、百年ずっとここでみっちゃんを待っとった。今まで何百何千と人を見てきたが、みっちゃんやと思える人に会ったことはない。それに、俺の姿が見えて、話ができた人もひとりもおらん。りっちゃんだけや。りっちゃんはなにか、特別な存在であることには間違いない」

 繰り返しになるが、私は心霊現象は信じない方である。死んだ人の魂が循環して生まれ変わるという考え自体、有り得ないと思っている。

 しかし、私もなにかに突き動かされるみたいにいきなりこの地に訪れたのは事実だ。なにかの弾みに平助の思いが届いてきて、行動に至ったのかもしれない。

「そや! なあ、りっちゃん。頼みがある」

 平助が改めて切り出した。嫌な予感がする。

「私そろそろ帰るよ」

「俺、見てのとおり地縛霊やねん」

 逃げ出そうとする私を無視して、平助はマイペースに喋り続けた。

「ほんでな、成仏……」

「いやいやいや、面倒くさい。知らん。あんた他人だし私が助ける義理はない」

 こんな漫画みたいな展開に巻き込まれるためにひとり旅に来たのではない。はずだ。平助が私の腕を掴んだ。

「殺生な! こっちは百年誰にも気付かれずになにもせずふよふよしとったんやぞ。いい加減極楽浄土に行きたいねん! これもなにかの縁やろ。人助け、な、人助け!」

 腕を掴んだつもりのようだが、霊魂の彼の手は私の腕をスカッと通り抜けただけだった。私は平助のしつこさに、一旦折れた。

「具体的には、なにをすれば気が済むの?」

「俺、自分がなんで現世にとらわれてるのか自分なりに考えててな。なにかしら心残りがあるんやと思うねんけど、この性格やから生前気にしてたことは大半忘れててな……」

 そう前置きしてから、平助はじっと私の目を覗き込んだ。

「だがみっちゃんのことだけは、はっきり覚えてん。この百年だって、みっちゃんが来るのを待っとった。俺が現世に残ってる理由は、みっちゃんに違いないんや。みっちゃんには、言えずじまいだったことが沢山あるから」

 だろうと思った。私は柵にもたれてため息をついた。まさか、みっちゃんさんを連れてこいとでも言うのだろうか。いや、みっちゃんさんは約百年前に平助くらいの歳だったのだから、もう亡くなっている可能性が高い。

 それは、平助も分かっている様子だった。

「そこで、輪廻転生や。みっちゃん本人はもうおらんのなら、生まれ変わって会いに来たみっちゃん……すなわちりっちゃんに、みっちゃんの代わりに聞いてほしいねん」

「……聞くだけでいいのね」

「ああ。返事もしなくていい。俺は勝手に喋るから。こういうのってな、相手の返事云々よりも、もう吐き出してスッキリしたいだけなんや」

 平助はまた開き直った。

 波が打ち寄せる。私は柵に腕を載せて、遠くの水平線を見つめた。聞くだけなら聞いてやってもいい。いいよとは言わず、黙って平助の言葉を待った。平助も、受け入れられたと分かったらしく、相変わらずの軽い口調で喋り出した。

「あのな、みっちゃん時々、手紙くれたやんな。でも俺、返信書かなかったやろ? なんで書かんかったか、ちゃんと言ってへんかったけどな……」

 本当に、みっちゃんさんに話しかけているみたいな言葉尻だ。

「あれな、みっちゃんの字が下手くそすぎて、実は全然読めなかったからなんや」

 波の音と、海の風が唸っている。

「それとな、『アリが大きくなるとハチになる』って言ったやろ。あれ、嘘や。子供の頃、みっちゃんが俺に『メダカがクジラになる』って嘘教えたことあったやろ。そのとき騙されたのの復讐のつもりで言ったんや。まさか信じると思わんかったが」

 潮風が頬に張り付く。

「あと、みっちゃんたまにお弁当作ってくれたやろ。あれな、タケノコがアホほど硬いねん」

「ろくなエピソードないな」

 ついに、心の声が口から洩れた。海に向けていた顔を、改めて平助に向ける。

「ごめんね平助、黙って聞いてるつもりだったんだけど無理だった。ツッコミ待ちにしか聞こえなかった」

「こっちこそ、ロマンチシズムを期待してたんならすまんかったな」

 しかしまあ、逆に納得だ。こんな人生だった平助の最期が、悪ふざけの延長だったのも仕方ない気がしてくる。

「ほんでな、みっちゃん」

 平助はまた、みっちゃんさんに話しかける態勢に戻った。私も、海に目線を戻す。

「みっちゃんはりっちゃんより、二倍は太ってるし、八倍くらいブスやし、百倍口が悪いけどな。りっちゃんよりみっちゃんの方が、俺にとっては一億倍かわいかったんや」

「私を一億分の一に下げるな……って、え?」

 海に投げていた視線を、再び平助に引き戻す。平助は苦笑いで頷いた。

 私はしばし平助を眺め、目を泳がせて、とりあえず海の方を向いた。頭がくらっとする。

「それ、なんで生きてるうちに言ってくれなかったん?」

 自然と、そんな言葉が出た。

「ちゃんと言ってくれなきゃ、分からんよ」

「だから言ってたやろ。まあ……みっちゃんには許嫁がおったから、冗談にしないと口にでけへんかったけど」

 平助が笑う。風が吹いて、目が乾いた。

「ずるいやん……そういう意気地なしなところ、ほんまに嫌いやったで」

 意識が少し、遠くなる。それなのに、意図していない言葉がつらつらと出てくる。平助はくすくすと笑っていた。

「別に嫌いでええわ。ほんで、あんたは幸せになれたんか? それだけが気になってて、眠られへんのや」

「一時期、この世の誰より不幸やったよ」

 私はまた、無意識に言葉を連ねた。

「平ちゃんが死んだの、私のせいみたいに思えてな。周りは皆、そんなことないって言ってくれたけど。でも悲しくて塞ぎ込んで、この崖には近づけなかった。そのうち、許嫁の住んでる他所の町に引っ越してしまったんや」

 へえ、だから会いにこなかったのね。なんて、私は頭の片隅で考えていた。

「あのな、平ちゃん。私が死んだ理由な」

 喉に、言葉が絡みつく。

「老衰やった。夫と、娘ふたりとその旦那と、孫三人に看取られてな。たくさんの人に大事にしてもらってな、なにひとつ怖い思いせず、幸せな人生やったなあって噛み締めて死んだんや」

「そか。ほんならもう、なんも気にならんわ」

 平助の声に、やけに安心する。

「『結婚してくれなきゃ死ぬ』って言ってたけんな、実際は死んでも、まだ未練タラタラやった。でも時間が経つにつれて、だんだん『俺がおらんくて、みっちゃんはちゃんと誰かと幸せになったんやろか』って考えるようになったんよ」

「私の一生、充分幸せやったし後悔もないんやけどな。『死んだら平ちゃんに会えるんかな』なんて、贅沢なことも思ったんや。でも、私はシワシワのババアやから、会っても平ちゃんには分からんやろうなあって」

 訥々と、勝手に溢れ出てくる。平助はハハッと吹き出した。

「ババアになろうが生まれ変わって知らん人になろうが、どんなに姿が変わっても、絶対見つけるで」

 風が吹き荒ぶ。潮が口の中をしょっぱくする。

「なんでやアホ。重たいねん」

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