第8話 幼馴染と陰口

 その日もその日とて、深夏が教室で被っている分厚い猫は絶好調だった。


「水樹さんって、やっぱり髪綺麗だよねぇ……。さすが、学園の大和撫子……」

「あはは……大げさだよ」

「大げさじゃないって! 肌とかももっちもちだし、普段からどんな手入れしてたらそうなるの?」

「そう言ってもらえると、普段から手入れを頑張ってる甲斐があるな」


 昼休憩の、教室の風景。

 深夏がクラスメイトと机を囲んで弁当を食べながら、そう言ってにこっと柔らかく微笑む。


 外行きの笑顔の効果は絶大で、深夏と一緒に食事をしていた女子たちは分かりやすくきゃあきゃあと黄色い声を上げた。


 深夏の人気は男女を問わない。誰もができた女だと褒めそやかし、彼女と仲良くなろうとする。

 そして、深夏は深夏で、あえて特定の誰かと深く親しくなろうとはしない。そうすることでバランスを保とうとするのは、彼女なりの処世術のひとつである。


「……」


 彼女が今日のように、クラスメイトと食事を共にするのも珍しいことではない。

 だが、特定のグループ、特定の人間といつも食事をとっているというわけでもない。


 声をかけられた時、食事に誘われた時、向こうの方から近づいてきた時に、あえてそれを断らない、というだけのことだ。


 そんな彼女の試みは、今のところ、この高校に上がってからは上手く行っている。

 そうやってクラスの人間を平等に扱うことで、類まれな美貌に産まれてしまったことで生じる恐れのある軋轢から、深夏は身を守っているのである。


 つくづく、女社会というのは恐ろしい。美人は損をするとはよく言われているが、深夏を見ているとあながち嘘でもないのかもしれない。


 とはいえ、俺がどうこう言うべきことではないのもまた事実だ。

 昼飯のコッペパンの最後の欠片を口に押し込み、俺は席を立った。


  ***


「水樹ってさぁ~、なーんか、ヤな感じじゃね?」


 トイレに行った帰り道、途中でそんな声が聞こえてきて、俺は思わず足を止めた。

 水樹という苗字は珍しい。もしかしなくても、深夏のことだと俺は思った。


「分かる。聖人面してるけど、絶対アイツ性格ワルいよね」

「人のこと見下してる目ぇしてるもんね~。顔は良くても心は汚い的な?」

「つか知ってる? 水樹の母親って水商売やってるらしいよ」

「なにそれウケる。え、ってことは……あいつも案外、男とか食いまくってたりするんじゃね?」

「いわゆる清楚系ビッチってやつ? 超ぴったりすぎんだけど」


 ……無責任に他人に悪意をぶつけ、非難することを、俺は悪いことだとは思わない。

 それは一種の娯楽であり、自分より下の人間を作ることで精神的優位性と安心感を得ようとする、人間の本能的な行動のひとつだからだ。


 漫画の……物語の勉強を師匠の下で行っていると、否応なく人間という生き物の心理について学ばされるところがある。だから俺は、今、水樹を非難している彼女たちを非難はしないし、こうした陰口を彼女たちが叩いていることを醜いとも間違っているとも思いはしない。


 ただ、ムカつきはする。


「……っ」


 だけど、ここで表立って彼女たちにその感情をぶつけたところで、巡り巡って深夏に迷惑が降りかかるのも分かっている。

 分かってはいるが、行き場のないもどかしい感情は、胸の内側で燻ぶり続けた。

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