第5話 幼馴染と『セ』から始まる4文字の行為

「う~ん……」


 作業を中断して、俺は椅子の背もたれにもたれかかった。

 天井を見上げて、握っていたタッチペンを指の間でもてあそぶ。


 深夏と『彼氏彼女』とやらを始めてから一週間ほどが経過した。

 だからといって、俺の生活にこれといった変化があるわけでもない。


 毎日学校へ行って、帰ってきたら漫画を描く。深夏の作った飯を食い、夜には彼女を家まで送る。


 これまでと同じような、そんな日常を相変わらず送っていた。


「……少し休憩するか」


 ペンを置いて立ち上がると、隣の部屋へ続く襖を開いた。

 すると、勝手に俺のベッドに寝転がって漫画を読んでいた深夏が「あれっ?」と顔を上げる。


「どしたの? 作業は?」

「なんか調子出ない。ちょっと休憩」

「作業するって言ってからまだ5分も経ってないよ?」


 漫画を閉じた深夏が身を起こす。って、おいこら。スカートであぐらかくのやめろ。


「そういう日もある」

「でも昨日も全然進んでない感じだったよね?」

「そういう日が連続することもある」


 どんなに作業を先へと進めたくとも、どうしてもアイデアが必要になる場面は必ずやってくる。

 そして、今はその『アイデア不足』な感が否めなかった。


「ふ~ん? 大変そうだねぇ、漫画を描くってのは。あ、コーヒー淹れたげる」

「助かる」

「カルピス多め、重曹は一杯だけで良かったよね?」

「牛乳と砂糖な? や、色とか確かに似てるけどさ……」


 結局、深夏が持ってきたのは、ごく普通のカフェオレだった。


 そのカフェオレ片手に、俺は棚から取り出した漫画にぼんやり目を通す。作業の進みが悪い時には、カフェインとインプットが最大の薬だ。


 そんな風にして、のんびりとインプット作業を続けていると、ふと、深夏が話しかけてきた。


「隆文ー」

「ん-、今漫画読んでるからあとでな」

「ういうい」


 深夏が黙り込む。

 それから十分ほどかけて漫画を読み終えた俺は、続刊を取ろうと本棚へと手を伸ばした。


「てい」

「いてっ」


 後頭部に深夏の手刀を食らった。


「なんで叩いたし?」

「さては貴様、あたしがさっき話しかけたこともう忘れてるな?」

「あー……そういやそんなこともあったっけ」


 記憶を振り返りつつ、再び本棚へと手を伸ばす。


「てい」

「だから痛ぇな?」

「今はあたしと話してるんだから、漫画の続きを手に取ろうとしないの。分かった?」

「それ、分からないとダメ?」

「うん。ダメ」


 ダメらしい。

 仕方なく、本棚へと伸ばしかけていた手を引っ込める。深夏がこういう言い方をする時、俺には拒否や反論が許されていないのである。


「それで、なんだよ」

「漫画が行き詰ってるなら、あたしとなんかしない?」

「なんかって?」

「恋人っぽい感じのこと」


 また変なことを言い出しおった。

 胡乱な目つきになる俺に、深夏が言葉を続ける。


「ほら、隆文って今、ラブコメ描いてるんでしょ? お師匠さんに言われて」

「まあ、そうだな」

「じゃあ恋人しようよ」


 恋人をするって日本語としてどうなん?

 でもまあ、なんとなく深夏の言いたいことは分かった。要するに、ラブコメ漫画を描く取材の一環として、恋人っぽいことでもしたらどうか? という感じの話なのだろう。


「よし、分かった。じゃあ恋人するか」


 そんな感じで、俺たちの『恋人っぽいこと』が始まった。


  ***


「……分からん」


 俺たちの『恋人っぽいこと』が暗礁に乗り上げた。

 それも当然だ。恋人をする、と言ったところで、『恋人っぽいこと』がなんなのか二人してまったく思いつかなかったのだ。


 なんせ、俺たちは幼馴染にして彼氏彼女同士なのだが、恋愛感情は特にないのである。そんな関係で恋人っぽいことを想像しろと言われたところで、無理があるというものだろう。


「頼りないなぁ、漫画家志望。恋人っぽいことのひとつやふたつぐらい、パッと出してみたらどうなの?」

「それができたら苦労はしないし、作業も行き詰らないんだよなぁ……」


 深夏とする恋人同士っぽいこと……本当になにも浮かんでこない。


 しばらく考えてみて、苦し紛れに「デートとか?」と言ってみたりはしたものの、


「それ、ついこの間やったばかりじゃん。あともうそろそろ夜になるし、今から出かけるわけにも行かないでしょ」


 と、却下されてしまった。


「……ダメだ。深夏とする恋人同士っぽいことがまったく思い浮かばん」


 結局、30分ほど唸ったところで、俺はそう言って降参する。

 ガキの頃にケツの穴まで洗い合ったことのある幼馴染相手に、今さらどうやって浮ついたシチュエーションを想像すればいいというのだ?


 俺が頭の中でそんな風に言い訳していると、だ。


「……もしかして、それがいけなかったんじゃない?」


 と、深夏がなにかに気づいた様子で言ってきた。


「……それ、というと?」

「その、ほら、あたしとする・・・・・・恋人同士っぽいこと、って考え方」

「は?」

「だからさ。あたしと恋人同士っぽいことをするって考え方だったから思い浮かばなかったんじゃないかなって。そこはもっとなんていうか、一般的な恋人がする、恋人同士っぽいことって考え方の方が思いつくものもあるんじゃない?」

「あー」


 それはあるかもしれない。


 というか、師匠にも割とその手の指摘はよくされる。『お前はすぐに一般的な視点が抜け落ちる辺りがクソだなー』とかけらけら笑って言ってくるんだよなあのクソ女……いやまあ確かにごもっともではありますが。


「しかし、一般的な恋人同士がしてるっぽい感じの恋人っぽいことかぁ……」


 改めて、腕を組んで考えてみる。

 すると、真っ先に浮かんできたのはとある単語であった。


「なにか思いついた?」


 問いかけてきた深夏に向かって、その単語を口にする。


「『セ』から始まる4文字の行為」

「ああ、セ○クス」


 おいこら。

 せっかく俺が気を遣ってボカした言い方したのに。

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