不自由な自由勉強

かなたろー

不自由な自由勉強

 小学生の四年生のころだろうか。わがクラスには週末に自由勉強という宿題があった。

 自由勉強というだけあって、何をやっても自由だ。漢字の書き取りをしてもいいし、算数のドリルをしてもいい。なんなら夏休みの自由研究みたいな手の込んだことをやってもいい。


 私は子供のころは無駄に地図帳を眺めるのが好きな子供だったから、都道府県の形を模写したり、日本の長い川ベスト10を書いたり、今ではすっかり様変わりをしてしまった、ヨーロッパの国と首都を書いたりしていたものだ。


 そして、結構な変わり者なわたしは、その自由勉強が好きだった。

 自由勉強の結果は毎週採点が行われ、その得点はシールの数で記される。そして教室の後ろの模造紙にも、同じ数のシールを張ることができて、クラスメイトの自由勉強の成果は一目瞭然で表示される。


 運動がからしきダメだった自分にとっては、数少ない活躍の場だった自由勉強は、私の承認欲求を程よく刺激してくれていたのだ。

 私はクラスで三~四番、程よく地味に、承認欲求を満たしていた。


 しかし、ある日突然、ピンチが訪れる。


「自由勉強は、何を書いてもいいですが、日記はかならず書いてください。そして日記の内容で、自由研究のポイントは大きく増加します」


 困った。私は日記がとても苦手なのだ。とにかく自分の考えていることを発表することが苦手なのだ。なにせ自分はとりたててとりえのない、つまらない人間なんだもの。


 ほとほと困った私は、学校の帰り道、友達に日記を書くのが苦手であることを告白した。


「なんで? 日記めちゃくちゃ楽じゃん。

「本当?」

「だって日記なんてその日に起こったことを書けばいいだけじゃん」

「そんなの面白い?」

「面白くないよ。だいいち、そんなに毎日面白いことなんて起きないよ」


 目からうろこだった。文章は他人が読んで面白いことが書いてないといけないと思っていた私には青天の霹靂だった。


 さて、なぜ今回、こんな昔のことをつらつらと書いたかと申しますと、いわずもながKACのラストのお題が『日記』だったからでございます。


 そんなわけで、取り立てて面白くない人間の日記にまつわる思い出でございました。


 おそまつさまでした。 

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