遺品整理

くにすらのに

第1話

 男手ひとつで俺を育ててくれた親父が還暦を前にして死んだ。

 母親は物心つく前に他界していて思い出は何もない。強いて言うなら親父と並んで仏壇の前で手を合わせたことくらいだ。

 

 不器用ながらも料理を作ってくれたり、学校行事にも必ず顔を出してくれた。

 だから俺は寂しくなかったし感謝もしていた。


 お互い仕事が忙しくてから温泉旅行なんかも行けなくて、定年して暇になるのを待っていたらそのチャンスすら失ってしまった。


「まあ散らかってるわな」


 基本的に掃除は俺が担当した。肉体労働だし、腰が痛いが口癖の親父には任せられないからだ。

 だけど一室だけ。親父の書斎だけは手付かずだった。

 二人きりの家族とは言えプライベートな空間に立ち入ってあれこれ弄り回すのは気が引ける。

 

 自分で整理整頓している可能性に賭けたが、結果は散らかり放題。

 親父にとっては貴重なものでも俺にとっては不要なものなら処分してしまいたい。

 結局、物の価値なんて人が決めるのだ。


「うわあ、マジで酷いな」


 誰も居ない部屋で、もしかしたら部屋の主に届くのではないかというわずかな期待と共に不満を口にする。

 当然ながら反論は来ないし、ただ虚しさだけが心に残る。


 アルバムや表彰状など、一点ものはきちんと保管するとして、古い本なんかは容赦なく捨てると決めた。

 一応間に写真やお金が挟まっていないか確認したがそれもない。サイン本なんかもその人のファンに怒られるかもしれないと思い確認したが、特別変わったものは出てこなかった。


「これは……」

 

 ほとんどが捨てる箱に仕分けられる中、一冊のノートを発見した。

 表紙には日記帳と記されている。

 パラパラとめくると最後のページまでしっかりと文字が刻まれていた。


「親父、マメだもんな」


 こういうものを見だすと掃除が終わらないとわかりつつ、親父との思い出に浸りたくてつい読み始めてしまった。

 だが、日記に書かれているのは親父の学生時代。俺が生まれる前の話だった。

 

“今日から新学期。一年生の時は彼女ができなかったけど今年はいけそうな気がする。春を運ぶ風の匂いが去年と違うからだ。”


 日記というよりは小説のような一文に新学期と書かれている。日記帳というのはカモフラージュで、おそらく親父が学生の頃に書いた妄想小説だ。


“7時15分。家を出発する時間になると同時にインターホンが鳴った。こんな朝早くに非常識な。しかし玄関を通る以上はその非常識な人間と対面しなければならない。新生活の出鼻をくじかれモヤモヤしながらドアを開けると、たしかにそこには非常識な人間がいた”


 こりゃ小説だな。俺はそう断定した。

 日記にしろ小説にしろノートの最終ページまで書き続けた親父の根性は称賛に価する。こういう性格の人だから男手ひとつで俺を育てられたんだろう。

 視界が歪んで文字が見えない。指で目を拭って続きを読み進めた。


“メイドだった。メイド喫茶にいるような露出の多いタイプではなく、イギリスのお城に務めていそうなロングスカートで背筋がピンと伸びたクラシックタイプのメイドさんだ。大人びた立ち姿とは対照的に顔つきは幼い。同い年かあるいは年下か。少なくとも大人ではない”


「ははっ。ラブコメ小説かよ」


“両親を早くに亡くし、今はその遺産でつつましく生活しているオレにはメイドさんを雇う余裕なんてない。彼女にも事情があるのだろうが、ここは大人しくお引き取り願おう”


 なるほど。物語の主人公は自分をモデルにしたらしい。親父も早くに両親を亡くして、この主人公のように遺産で一人暮らしをしていたと聞いたことがある。おかげで一通りの家事はできるんだと自慢気に語っていた。


 さすがに最後まで読んでいたら掃除が終わる前に日が暮れてしまう。親父の妄想小説の世界にいつまでは浸っているわけにはいかず、俺は最後のページまで飛んでみた。

 これで完結しているのか、あるいはどこかに続きを書いたノートがあるのか、どちらにせよこれは保存決定だ。

 親孝行される前に死んだ親父の墓の前で朗読してやろう。


“オレはさやかと生涯を共にすることを誓った。彼女の命の灯が尽きたそのあとも、彼女が残してくれた宝物を守っていく。その役目を終えたら、また一緒に過ごそう”


「…………」


 さやかというのは母親の名前と同じだった。片想いしていたさやか、未来の俺の母親との妄想を書き留めていたのか?

 違う。この文はそれをすぐさま否定させた。


 まるでもうすぐ死ぬとわかっているような語り口。そして残してくれた宝物、俺を守り切ったらまた一緒に……。


「本当に日記なのか」


 読み飛ばしたページの中から適当なところをピックアップする。

 そこにはさやかとの楽しい思い出が描写されていた。もちろん俺が生まれる前の出来事なのでこれが真実なのか妄想なのか正解は誰にもわからない。


 だけど間違いなくこの世界で若かりし両親は生きてた。

 もっと早く見せてくれれば良かったのに。そんな文句を言う相手はもういない。

 それに自分がこの立場だったら、息子にこんな恥ずかしい小説風日記は読ませられない。

 俺が書斎に入るのを頑なに拒み続けた理由がようやくわかった。


 ピンポーーーン


 インターホンの音が思い出に浸る俺を現実へと引き戻した。

 一体誰だろう。何か通販で頼んでたっけ?

 

 待たせているうちにとんぼ帰りさせては申し訳ないので階段を駆け下りた。

 曇りガラス越しに映るシルエットは微動だにせず玄関の前に立っている。

 その立ち振る舞いから礼儀正しさが伺た。


「はい」


 ゆっくりとドアを開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 親父の妄想が俺にまで広がった?

 おいおい。うちにはメイドさんを雇うような遺産なんて残ってないぞ。


「はじめまして。わたくし、あなたのメイドからお嫁さんにクラスチェンジする予定の可憐と申します」


 スカートの裾をつまみ恭しく挨拶する姿はれっきとしたクラシックメイドそのものだ。

 親父の妄想小説日記と似た展開に頭が追い付かない。


「あの……うちお金ないんで」


 そっとドアを閉じようとした瞬間、ガッと靴を挟まれた。高級感あるハイヒールを傷付けて弁償を迫られても困る。俺はドアを閉める力をゆるめることしかできず、可憐と名乗るメイドを招き入れてしまった。


 そして、それが当然であるかのように可憐との同居が始まる。

 突然始まったメイドさんとの生活に際し何かヒントがないかと親父の日記を読み返すとある変化があった。


 さやかの部分が全て可憐に書き換わっている。

 俺の記憶違いか? いや、間違いなく母親と同じ名前だった。


 まさか可憐さんが書き直したのか?

 そう疑いたくなるくらいにさやかという名前の一切が消えていた。

 

 何より1番大きな変化は最終ページだった。

 両親を亡くした主人公が妻と子供と末永く幸せに過ごしたというものに変わっている。


「……疲れてたのかな」


 親父が死んで悲しみにくれる間もなく事務手続きに追われる日々。

 きっと記憶が食い違ってしまったんだろう。


 なぜかメイドさんと生活しているのもきっと夢だ。


 と、思っていた。

 それに気付くのはそう遠くない幸せな未来。

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