失記

lampsprout

失記

 西暦3XXX年。国立歴史資料館には古今東西の日記が展示されている。今週から向こう3ヶ月に渡る、大規模な企画展示だ。中でも日本国内の資料に重きを置いており、かの有名な枕草子の原稿も陳列される。職員たちはこの準備に随分力を注いできた。

 しかし1900年代辺りまでは膨大に遺されている資料も、ある時代を境にとんと出土しなくなる。特に西暦2500年辺りから現在に至るまで、ざっと500年以上。そのため職員は酷い苦労を強いられた。


 ――遠い昔、日本国内で幾つかの会社が電子日記アプリを売り出し始めた。政府も認知機能の維持向上のために日記を奨励していた。超高齢化社会では認知症等が社会問題になっていたからだ。

 だが国民の大半に電子日記が普及した頃、不況が起きた。次々会社は倒産し、アプリも廃止されていった。しかしデータベースは、貴重なため政府が保護していた。例えば有名な日記文学に枕草子があるが、あのように保存すべきと考えたのだ。文学作品とは言えなくとも、当時の生活を遺せるように。

 ところが、時が経ち管理がおざなりになっていたデータベースが突然の磁気嵐によって破壊された。データ基地は厳重な耐震装置を備えた上で、温暖化や台風の影響が少ない北方領土に置かれていたが、それが裏目に出た形だ。

 前代未聞の太陽フレアが生じ、大量に放射線が降り注いだ。宇宙天気の予測技術は当時も十分発達していたはずだが、全く予想外の出来事だったそうだ。その日は、北海道の一部でさえ鮮やかなオーロラが観測されたらしい。変電所で火災が起きなかったのが奇跡といえる。

 結果、電子日記が主流と化していた期間の資料がほぼ遺されなかった。個々人の家には少数が眠っていると当然考えられるが、如何せん捜索に時間がかかる。数多くの機関のデータ基地が被害を受けたため、日記以外の資料もかなり少なくなってしまった。


 作業に骨を折った人々の一員である青年は、1冊の手帳をガラス越しに見詰める。万年筆と思しき紺色の筆跡は、内容を見るに遺書だろうか、細かに震えていた。

 この持ち主も、まさか遥か未来に自身の手紙が公に晒されるとは夢にも思わなかったに違いない。貴重な歴史資料だということはとうに承知しているが、どうにも申し訳無い気持ちになった。自分の手記が公開されるなど考えられない。死人に口なしだからどうしようもないのだが。

 また展示室の最奥、1段高くなった場所には台座が置かれている。そこにはやはり古びた日記帳が1冊鎮座しており、隣に仰々しい機械とヘッドセットが設置されていた。日記帳の中から好みの1節を選び、記憶を追体験できる機器だ。

 職員の青年は暇潰しがてら日記帳をぱらぱら捲り、ヘッドセットを身に着けた。途端、数秒のノイズの後鮮やかな風景が浮かび上がる。

 頭の中で幽かに響くのは、記憶の持ち主の感情。日記から読み取れる範囲で、それも再現されている。

『夢みたいな風景』

 美しいオーロラの下、隣の友人と思しき人物が笑いかけてくる。海外だろうか。

『ずっと前から』

 そうして固く抱擁をかわす。十年来の友人のようだ。

『来て良かった』

 半年以上友人と会っていない青年にとって、それは待ち望んだ温もりだった。作業中の面会制限によって、家族とも会えていなかった。

『お前とだから』

 自分の喜びが誰かのものと綯い交ぜになっていく。失意と寂しさが幻想に呑み込まれる。

『いつかこんな風に』

 ――唐突に記憶から覚めた青年は、幸福の残り香と現実の虚しさに暫し悶えた。もう少し浸っていたいが、いい加減開館時間だった。

 プライバシーの是非を問いつつ、こうして日記から恩恵を得ている。その半端な罪悪感に浸りながら、日記の大半が失われた歳月に思いを馳せた。二度と取り戻せない貴重な資料たち。いや、資料ではない、記憶そのものたち。

 ……過去の記憶を覗き見ることは、正しいことだろうか。他者の感情までも盗み見て。それは最大の個人情報だ。

 されど過去を追想することには価値があり、現在への糧となる。暗晦から逃れる術になり得る。結局やれることに変わりはないのだ。失われるものが、出来る限り少なく済むように。

 ――青年は未だ迷いを抱えつつ、上司の元へ戻っていった。一学者としての使命感を、少しだけ感じながら。

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